『灼熱カバディ』におけるカウンターの物語的役割について

 『灼熱カバディ』は小学館の漫画配信アプリ「マンガワン」で連載中の、武蔵野創氏によるカバディを題材としたスポーツ漫画である。
 サッカーの名選手だった主人公の高校1年生・宵越竜哉を中心に、青春のすべてをカバディにかける男子高校生たちを描く。
 まずはカバディのルールについて、大まかにではあるが触れておこう。カバディは1チーム7人、道具を一切使わずに素手で行われるチームスポーツである。1人の攻撃手(レイダー)が相手の陣地に立ち入り、守備(アンティ)に捕まらないようにしつつタッチし、自分の陣地に帰ってくることができれば得点となる。逆に守備は、攻撃手の帰陣を阻むことができれば得点が入る。また、攻撃手は攻撃中ずっと「カバディ」と言っていなければならず、この発声を「キャント」と呼ぶ。攻撃手にタッチされた守備はコートの外に出なければならないが、味方が得点したらコート内に戻ってくることが出来る。コート内の守備が全員コートアウトした場合、相手チームに2ポイントを入れたうえで全員が戻ってくることが可能で、これをローナと呼ぶ。
 『灼熱カバディ』には、王城正人というキャラクターが登場する。王城正人は主人公である宵越竜哉が所属する能京高校カバディ部の部長を務める3年生で、10年以上の競技歴を誇る。また作中で「世界組」と呼称される中学生時代の選抜選手であり、細身ながらも強力な攻撃手として描かれている。
 そんな王城の特徴として、「カウンター」と呼ばれる技を使用することが挙げられる。このカウンターとはどんなものか。単行本2巻に収録されている10話「自己紹介」から王城本人による説明を引用しよう。

突発的な動作(アクション)…力を入れる時人は必ず息を、『止める』か『吐く』か…逆を言えば、息を『吸う』時は無防備に近い。
その瞬間、こっちのMAXを合わせると触るのも倒すのも楽になる…「よーいどん」には弱いけど。
あと『カウンター』を悟らせない努力も必要なんだ。

 また王城はカウンターについて、「ボクシングなんかで使われてる…」と説明している。ボクシングにおけるカウンターを大辞泉で参照すると、「カウンターブロー」の項目で、以下のような解説がされている。

ボクシングで、相手が攻撃のために前へ出たときに、こちらから打撃を加えること。カウンターパンチ。

この解説や作中の台詞から、カウンターは相手のタイミングが鍵になっている技だということがわかる。では、なぜ王城はこの技を使うのだろうか。それはまず、彼の体格が理由であることが作中でも示唆されている。
 9話「なんでお前が?」で、自分が所属する部活の部長とは知らずに王城と対面した宵越は「細くて死にそう…」と感じている。また腕相撲をした際は王城は宵越に負けており、筋力が強くはないことが伺える。
 また、公式戦で対決した同じ世界組にして伯麗インターナショナルスクールカバディ部の部長・外園丈治は、87話「主役と脇役」で、「マサトは倒す筋力がないだけで、守備の動き自体はできる。」とモノローグの中で述べている。
 王城の幼馴染であり、能京カバディ部の副部長を務める井浦慶からは「捕まれば、即終わりの身体」と評され、王城が力にはそれほど長けていない選手であることは、他のキャラクターの視点から客観的に繰り返し語られている。
 マンガワン内で公開されている「ちょいたし」における王城のプロフィールによれば、王城の身長は171㎝、体重は58kgである。
 同じ攻撃手である宵越の体重が身長187㎝に対して75kgと設定されている。またライバル校である奏和高校のエース攻撃手である高谷煉の体重が185㎝の身長に対して75kgに設定されている。このことから考えると、レイダー同士で比較しても細身である。
 金子茂氏による「カバディ競技選手の体格に関する研究」で示されているアジア大会に出場した日本代表選手の平均体重は概ね70kg前後であり、論文中に示されているデータにおいては60kgを下回っている選手はいない。現実世界の競技カバディの観点から見ても、王城の体重はカバディ選手としてはかなり軽く設定されていると言って差し支えないだろう。
 金子氏は同じ論文で、パキスタンやインド、バングラディシュ、スリランカ、ネパール、タイなど他国の選手の体格に関するデータも踏まえて、「カバディ選手の体格は、やはり身長175cm〜180cm、体重75kg〜あたりが、俊敏な攻撃・防御のできる体格ではないかと考える。」と述べている。王城を攻撃の師匠として慕う埼玉紅葉高校カバディ部の選手・佐倉学は攻守に優れた選手として描かれているが、佐倉の体格が身長180cm、体重80kgとなっている。この佐倉の体格がリアルカバディの見地から見て理想的であるとすれば、やはり王城は体格ではカバディ向きの体格であるとは言い難い。
 そんな王城の、相手との体格差をカバーするのがカウンターである。王城自身、大山律心高校との試合でカウンターを使用した際、モノローグで「…自分より力の強い人間を倒す。その為に身につけた力だ。そう簡単に枯れてたまるか。」と語る(100話「あなただけを見つめて」)。
 体格や筋力では勝てない選手に勝つための技術、それがカウンターである。そこで本稿では、単行本18巻までの範囲の中で、このカウンターが『灼熱カバディ』という物語において果たす役割について考えてみたい。

 まずは、カウンターが初登場した回について検討しよう。カウンターの初登場は前出の10話「自己紹介」である。足の怪我で入院していた王城は、この回で復帰後初めてとなる攻撃をする。そこで宵越は、体格やウェイトでは優っているはずの王城に何も感じない状態から接触され、また次の攻撃では倒されて驚愕している。この回におけるカウンターの描写は王城の強さを信じていなかった宵越に凄まじい衝撃を与えるものであり、また王城の体格によらない強さを宵越を倒すことで示している。10話のエピソードタイトル「自己紹介」は、無論王城の宵越に対する自己紹介であるが、同時に読者に対する自己紹介でもある。カウンターの作中での初披露によって、王城の攻撃手としての強さは鮮烈に印象付けられる。
 王城登場以前、宵越が1話「カバディってなんだよ」でカバディは格闘技に近いと気がついた際に、

しかし格闘技に近いからこそ必要な事がある。階級だ!!
それ程、身長や体重は大きなハンデになる!!

とモノローグの中で述べている。その一方で宵越と同じ1年生畦道相馬は小柄ながらも大変強い筋力を持つ選手として描かれる。2年生の水澄京平・伊達真司の2人は共に体重80kgでパワーに優れており、筋力や体格などのフィジカル部分はカバディにおいて重要な要素であることが提示されている。
 そんな中で登場したのが、他の選手と比べて細身な王城正人、そしてカウンターである。宵越から見ればその体格は「大きなハンデ」だったのであろうが、王城はカウンターによってそれを覆す。当初は畦道の筋力によって倒された宵越が、筋力によらないカウンターによって倒されることは、宵越にとってさらなる異質さとの邂逅である。体格というハンデをカバーする王城の存在は宵越の中に「最強」を強く刻み、そして宵越が王城を「最も強い」と認める強力な布石となるのである。ここでのカウンターは、王城の強さとそれに伴う衝撃を最短距離で宵越に、そして読者に印象付ける役割を果たす。

 次にカウンターが登場するのが、奏和高校との練習試合である。王城はそこで攻撃に出るや否や、「聞く」ことに長けた高谷煉ですら気付かないほど奏和の守備に接触する。17話「二人の獣」ではチェーン(守備同士が手を繋ぐこと)をカウンターによって突破している。この段階では、同じ世界組で奏和高校カバディ部の部長を務める3年生・六弦歩ですら未だカウンターの存在を知らず、奏和の守備にも衝撃を与えている。高谷もまた王城がチェーンを突破したことに対して「ウチの室屋と木崎さんがパワー負けする相手か!?」と驚きを見せている。
 六弦が畦道と水澄の2人の守備に掴まれてもなお帰陣するパワー系レイドを見せている展開が描かれた上で、王城はカウンターを使う。初見では何をされたのかもわからず、力と結びつくことのないカウンターは、試合の最中にあってやはり異質である。
 六弦が攻撃に出た際、「俺が王城ほどの肉体ならば倒されていた。」と心の中で語られる。ここにおいてもなお王城はカバディ選手として身体的に恵まれないことが印象付けられている。競技に不向きともいえる身体で戦う人間が、カウンターという技術で戦い、それが敵に脅威を与える。
 王城は16話「愛」において、カバディを「高嶺の花」と評し、自分と六弦との差は「カバディへの愛の違い」であると述べる。競技に向いていない身体で、いかに戦い続けるか。その答えの一つがカウンターなのであろう。カウンターとは王城のカバディに対する愛の形の一つである。
 この練習試合ののちに行われた、王城を攻撃手とする部内の守備練習で、王城はカウンターを使った直後はわずかに体が浮き、大きくは移動できないことを宵越は見抜き、その上で作戦を立てている。最初はその「異質さ」になすすべもなく倒されるだけだった宵越が、カウンターの特性を利用できるまでになる。ここでカウンターは宵越という他者から「見られる」ことによって、カウンターを使われたさらにその先の道筋が示される。
 カウンターののちに少し浮くという特徴は、埼玉紅葉高校と関東2位の強豪・英峰高校との合同合宿最終日に行われた試合でも、英峰戦において「唯一の隙」とされている。しかしここでは能京での部内練習とは違い、王城は浮き方を縦ではなく横に変えている。しかしその上でもなお、英峰の守備に王城は帰陣を阻まれる。改善された「唯一の隙」と、それを倒す英峰。この局面において、カウンターは王城の強さを前提とした上で英峰の強さをも示している。
 この試合ののちに行われたのが、能京と紅葉による試合である。埼玉紅葉高校カバディ部の部長であり、選抜選手時代の王城の後輩に当たる右藤大元はカウンターについて、58話「師弟対決」で

正人さんの『カウンター』…ありゃあ武道に近い…!こっちが押したり引いたりする力を利用する技。だから押しも引きもしちゃダメなんだ。
留まる…!!!それがベストな対抗策…!!!

とカウンターの仕組みを見抜き、カウンターを使えなくしている。その後右藤は王城の足を掴んだ腕を思わず引いてしまったその一瞬にカウンターを使われ、倒されている。
 カウンターによって生じた滞空時間にチームメイトからの支援を得て紅葉が王城を倒しに向かったが、王城はその倒しに来た相手を地面がわりにし、自分の軽さを利用することで移動する力に変えている。英峰戦での攻撃失敗を踏まえた上での対抗策を考え出している。
 この場面において、カウンターはカウンターだから強いのではないということが示されているのではないだろうか。王城が強いのはカウンターを使えるからではなく、カウンターを含めた自分の持つ全ての技術を使いこなし、修正しながら競技と向き合うことができるからなのである。
 王城はこの直後、佐倉に足を掴まれて倒されるが帰陣を果たしている。コートのラインを見ずに肩をいれることで自身のリーチを伸ばしたのだ。経験の長さゆえの、コートの広さを把握する力もまた王城の強さの一つである。カウンター以外の技術で帰陣することで、カウンターは王城にとってあくまでその強さを構成する要素の一つ——英峰高校カバディ部の部長である神畑の言葉を借りるならば、それらは全て「攻撃への思い入れ」に内包される。カウンターが阻まれたり、攻撃が失敗したりしながらもそれを乗り越える局面を描くことで、王城の強さはより一層鮮烈なものとなる。
 合宿編から守備特訓編を挟んで始まったのが、公式戦の1回戦にあたる伯麗インターナショナルスクールとの試合である。守備に掴まれ、しかしそれすらも移動速度を上げる軌道としてしまう。その上王城はこのシーンで、部長の外園すら気が付かない間にボーナスラインを越え、さらなる点を獲得している。このときの王城について、観戦していた右藤は、「これも強みだよなあ…コートを知ってる。」と評する。
 伯麗戦に勝利したことで対戦した大山律心高校との試合では、王城は試合序盤でカウンターを使っている。能京高校カバディ部のコーチに就任した元日本代表選手の久納は、「早く手のうちを見せちゃうと対策される可能性も高い。」としつつ、「ただ、ハッタリとしては決まったわ。「単純なパワーだけでは倒せない」ってね。」と話す。カウンターはその筋力差を補う技術であることが改めて示される。
 大山律心もまたカウンターの対抗策を持っていた。王城に対して、下から上に「突き刺す」ように動くことで王城の体を浮かることでカウンターを使えなくしようとした。そのことに気がついた王城は、この試合局面において攻めあぐねることとなり、ボーナスラインを越えた一点を獲得するのみで帰陣している(98話「二つの指示」)。
 100話では前述したように、王城は攻撃への他の追随を許さない圧倒的な執念を見せる。この回のエピソードタイトルである「あなただけを見つめて」は作中で登場する向日葵の花言葉である。ここでいう「あなた」とは、王城にとってのカバディである。体格や筋力に恵まれなかったからこそ年月をかけてカウンターを身につけ、攻撃一本で勝負する。カウンターは、王城がカバディを見つめ続けるための手段の1つである。    
 練習試合から3ヶ月ぶりの再戦となった奏和高校との試合では延長戦にあたるファイブレイドにまで決着が持ち込まれることとなった。各チームが5人ずつ攻撃に出るファイブレイドで、王城が攻撃に出たのは172話「アイのチカラ」である。この回では、回想シーンで毎日神社に参拝に訪れる王城の姿が描かれた。そこで王城が願っていたのはたった一つ、「僕に、一切の力を貸さないでください。」ということだけ。カバディで起こるすべてのこと、良い事も悪いことも、嬉しいも悔しいも、すべてを自分だけのものにしたいと望む王城の姿がそこにはあった。
 六弦が王城の靴を掴もうとした矢先、王城の靴の踵の部分の布が剥がれ、またもう一方の足も六弦は掴むことが叶わなかった。そして帰陣した王城は、「これが僕の…愛の力だ。」と言うのである。
 王城の靴の踵部分が剥がれた描写に関して、作中では、「どれほど……走り込めば……」という六弦のモノローグで言及されている。王城の靴は、練習に費やしてきた時間、コートの上で流してきた汗の象徴と言ってよい。その中には、当然カウンター習得にまでかけた時間も含まれているであろう。172話を以て、王城のカバディのために磨いてきた技術の全てがカバディへの純粋な愛に昇華されるのである。
 ここで、王城の「身体」について振り返ろう。王城は体格的にはカバディに向いていない選手として描かれている。それは数字から見た上のことでもあるし、他者からの視点を介して繰り返し語られることでもあるし、また本人が自覚していることでもある。
王城がカバディをする理由はただ一つ、カバディを愛しているからである。王城のカバディへの愛を象徴するもの、それがカウンターなのではないだろうか。体格差をカバーするための技術は、身体的にカバディ向きではないながらも競技を続ける王城にあって、その愛を象徴するのである。
 一方、先述したように、カウンターは何らかの形で阻まれたり、対抗策が打ち出されることがある。しかしそれは、王城が攻撃手として警戒されているがゆえである。阻まれることですら王城の強さの象徴としての役割を果たし、また阻まれたうえで巡らされる思考が王城のカバディ選手としての強さを示すのである。そして同時に、王城を倒すべき敵として見る他者の強さや思考力、見る力の強さをも示す。カウンターは王城自身の強さを王城を取り巻く他者の強さを浮かび上がらせる。
 まとめに入ろう。カウンターとは、王城のカバディへの愛の象徴であり、王城自身の強さだけではなく周りの強さすら浮かび上がらせるもである。ここで、カウンターが物語中の登場人物としての王城正人に対して担っている役割について考えみたい。
 まず考えられるのが、王城正人という人物を魅力的に、唯一無二の人物として息づかせることである。フィジカルで決して有利といえない環境にありながら、カバディを続ける心の有り様、またカバディのために習得の難しい技術を時間をかけて身につけたことは、王城が努力の人であることの証左である。そしてカウンターはそれ自体が愛の象徴でありながら、カバディへ向けるたった1つの愛へと収斂していく。そして、カウンターを始めとした様々な技術を通して描かれるその愛によって、王城正人は「最強の攻撃手」として味方の、敵の、そして読者の前に立ち現れるのである。
 王城の唯一性もまたカウンターによって一層深められる。現役のプレイヤーとして作中でカウンターを使いこなせるのは王城ただ1人である。強力な攻撃手が並び立つ『灼熱カバディ』において、キャラクターとしての王城の固有の色をより鮮明にする役割をカウンターが担っている。
 以上のことから、『灼熱カバディ』におけるカウンターの役割をまとめると、次のようなことが挙げられる。
 まずは、王城のカバディに向ける愛の象徴としてのカウンターである。
 次に、王城を取り巻く他者の強さを王城自身の強さとともに浮かび上がらせる、舞台装置としてのカウンターである。
 そして、王城が持つカバディのおける強さの唯一性をより深く描出する、人物像の解像度を上げる手段としてのカウンターである。
 このカウンターの存在によって、王城正人の人物像は描かれ、深められる。しかし王城正人を構成するものはカウンターだけではない。カウンターは、読者を含め王城以外の、王城の外側にいる人間が王城正人を知る入口に過ぎないのだ。王城の強さとはカウンターを使うことではなく、カウンターを身につけ使いこなせるまでに努力ができる、カバディへの究極的に内面化、内在化された愛なのである。カウンターとは、王城の内側で燃える愛が外界へと出力されたものである。
 『灼熱カバディ』におけるカウンターは、王城正人の内側にある愛を象徴する形で外部に出力し、また外部に現れた強さは王城と関わり対峙する他者の魅力をも鮮やかに力強く描き出す。カウンターは『灼熱カバディ』という物語において、王城の「内」と「外」を繋ぐ役割を担っていると結論づけ、本稿を結ぶものとしたい。

参考文献・ウェブサイト

金子茂「カバディ競技選手の体格に関する研究」『二松学舎大学國際政経論集 8巻』二松学舎大学 2000年 
二松学舎大学学術情報リポジトリ 6月12日閲覧
https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=1835&item_no=1&page_id=13&block_id=21

デジタル大辞泉 小学館 2012年

武蔵野創『灼熱カバディ』 1巻〜18巻 小学館2016〜2021年