141年の歴史に幕を閉じた小学校 ① 子どもたちと歩んだ最後の6年間 -みまさかぞく#036
みなさんの通っていた小学校は、今も子どもたちが元気に通っていますか?児童数の減少で、近くの小学校と統合した所もあるかもしれませんね。
2016(平成28)年3月、岡山県美作市立梶並(かじなみ)小学校が141年の歴史に幕を下ろしました。その年の児童数は7名。
私はこの小学校に、2010年から閉校を迎えた2016年までの6年間、勤務しました。自宅から約25km、車で40分ほどの通勤でした。
↓梶並小の手前にある久賀ダム。
初めて梶並小を訪れた時、「この奥に小学校があるんだろうか…」とドキドキしながら運転したのを覚えています。
梶並は鳥取県境が近く、雪が多い地域です。「途中にダムもあるし、カーブごとに雪が1m増えて行くけん、気を付けにゃいけんで」と言われていました。(カーブごとに雪が1m増えるというのは本当です)
この記事を書くにあたり、先日(2022年12月上旬)、梶並小へ行ってみました。6年間通った道を久しぶりに。
↓↓毎日見ていた景色…
この先に、久賀ダムがあります。
久賀ダムを過ぎて、1kmくらい走り、↓↓この坂道を下り少し行くと、
↓↓梶並神社が見えます。
そして、その先に梶並小があります。
廃校になった学校は、地域の施設として活用されることもありますが、梶並小は何にも使われていません。
私にとって、梶並小で教壇に立った6年間は、人として大きく成長させてもらった年月でした。今、思い出しても、胸が熱くなります。
前置きが長くなりましたが、私はこの梶並小学校での記憶を記録しておきたくて、3回のシリーズにまとめようと考えています。
①子どもたちと歩んだ最後の6年間。
②最後の卒業式、閉校式、そして新しい学校へ。
③地域から学校がなくなることについて。
梶並小は、私が赴任した2010年には、既に複式学級(二学年が同じ教室で学ぶこと)でした。複式のカリキュラムは複雑で、一学年上と下の学習を行き来しながら学んでいきます。
私はその中の教科担当と、音楽専科をしていました。
この音楽室の風景を見ることは、もう二度とないと思います。
このピアノは、調律師の方に誉めてもらえるくらい音が良くて、お別れは本当に辛かったです。ほぼ毎日、弾いていたから。
音楽の授業で、私は「毎回、必ず校歌を歌う」ことにしていました。校歌はその地の先人が作ったものが多く、地元愛の最たるもの。
普段から慣れ親しんで、儀式(入学式や卒業式など)の時にも、自信を持って歌って欲しい、そして、その子どもたちの姿を来賓の方に見て欲しいという思いがありました。
↓↓校歌のピアノ伴奏を自宅で撮影したものです。良かったら聴いてみてください。ピアノの後に流れる“校歌のオルゴール”は、閉校記念にみんなで作ったものです。
♫「梶並小学校 校歌」♫
私が梶並小で過ごした6年間。6回季節が巡り、1年生だった子どもは6年生になる長い時間。たくさんの思い出があります。
私は、それまで他の小学校で4年間の経験がありました。いつも子どもたちや先生方に支えられている感覚を持っていましたが、梶並小は小規模だからこそ、子どもたちの愛、先生方の愛が直球で感じられる現場でした。
「先生、おはようございます!」
「先生、一緒に遊ぼう」
「先生、さようなら!」 子どもたちの声
「何とかなる。心配せんでも大丈夫!」
「失敗しても子どもたちが助けてくれる!」
「今夜はゆっくり寝て。また明日な」
先生方の励まし
私は、他の先生のように、大きな声でビシッと指導する力が乏しく、叱ることも下手、ピアノも緊張で震えるし、失敗ばかり。でも、毎日、一生懸命頑張って来たと思います。
豊かな自然の中で、たくさんの人ともに、私は6年間の教員生活を過ごしました。その全てが糧となり、今の私がつくられている。そう思います。
↑チャボを飼っていた鶏小屋と、百葉箱。なつかしくて、なつかしくて…。
この記事をつくり始めたつい先日のこと、偶然にも当時の校長先生にお会いしました。とても久しぶりに。
それから、私の心に、当時の梶並小の校舎や、色んなエピソードが映像のように映し出されてきて…不思議な感じです。
今回の最後に、梶並小の音楽室から一曲、お届けしたいと思います。みなさんご存知『ふるさと』を、〜美しく響くソロver.〜で。
撮影は2016年2月16日夕方です。
この曲は閉校式で、子どもの朗読のバックミュージックとして弾きました。(猛練習時の映像です。途中、間違えて弾き直したりしています。ご了承ください)
読んでくださり、聴いてくださりありがとうございます。
次回は、「②最後の卒業式、閉校式、そして新しい学校へ」をお送りしたいと思います。
卒業生2名と在校生5名の卒業式、児童7名全員(かじの子7)の閉校式。そして新年度、子どもたちと私は統合先の新しい小学校へ行きました。その時のお話。お楽しみに。
※私がYouTubeを始めた大きな理由は、梶並小音楽室からの風景とピアノを残したかったから。私の大切な記憶を記録する手段として、YouTubeに出会えて良かったと思っています。もちろんこのnoteにも感謝!
また次回、お会いしましょう。
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