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〜だっせん〜16 父の絵日記を紐解く“少年の昭和史”⑤ -みまさかぞく#032

今回の父の絵日記を読んでいると、どうしてもわからない謎にぶつかりました。父はあまり昔の話をしたがらないので気を遣うのですが、言い方に気を付けて…詮索しました。

1.8月5日(火)曜日  天気(はれ)



【原文】
きのう、うしゆうへ、いきました。いったら、わで、しゃぼんを、おじさんがしていました。かおうと、おもった、けれど、みんなこうて、いなかったのでかいませんでした。


【解説コーナー】
現在でも、土用の丑の日に「丑湯祭り」があります。花火も上がり、にぎわうお祭りです。

「おじさんが輪のシャボン玉を作っていて、K少年(父)は欲しかったんだね」と思った私は、「父と輪っかのシャボン玉をしよう!」と思いつきました。そして、お天気も良かったので一緒に庭で遊びました。

ドラッグストアで390円くらいでした。


準備完了


シャボン玉を作る父
小雪庵も!

父は私がなぜ「シャボン玉をしよう」と言ったのかわからなかったと思いますが、付き合ってくれてありがとう。

2.8月8日(金)曜日  天気(はれ)



【原文】
ばんに、われいさまへ、いきました。いったら、みんなきていました。おどりがすんでも、ぼくらは、かえらずに、おかあちゃんだけ、かえりました。おどりがすんでから、たからさがしがありました。みんなせいねんについていっていました。ぼくは、ついていきませんでした。にいちゃんが、たからさがしに、むちゅうだったので、さいふをおとしました。

【先生より】
にいちゃんは気のどくでしたね。きょうすけくんもおどったの。

【解説コーナー】
「われいさま」。私がよく聞いてきたのは「われいさまの下は雪が溶けんけん、気を付けにゃぁいけん」という言葉。毎年、雪が降るとこの言葉を聞きます。

でも、私は「われいさま」が何なのか、この時まで知りませんでした。

この道が「われいさまの下」

ここは、日中も陽が当たらないので雪が降ると何日も溶けません。だから「われいさまの下は気を付けて」と必ず言うのです。

「われいさまの下」の上が「われいさま」だと思うのですが、現在、この道の上は山で、何もありません。

「われいさまの下」の上は山


町史を見ると、「和霊様の近くのお寺の広場でお祭りをしていた」と書かれていますが、父は「その寺ではない。われいさまだった」と言うのです。

↑この写真は新しいので、父の幼少期には「われいさま」でお祭りがあり、その後、お寺の広場でされるようになったのかな?と推測します。


私…「その、われいさまってどこにあるんじゃろうか」
父…「われいさまなぁ、今はどうなっとるんじゃろーなー」
私…「ちょっと行ってみたいんじゃけど、教えてくれん?一緒に行ってくれたら嬉しいんじゃけど〜な〜」
父…「よし、じゃ行ってみるかー」

「そうそう、ここを通って行ったわー」と父

この道を通って「われいさまのお祭り」に行ったそう。

迷う……

父…「ありゃ??この道で間違いないんじゃけど…」

父の後ろをついて行くと、無料高速道路の上に出ました。「この辺で間違い無いんじゃけどなーありゃ〜??」

しばし考える父……。そして、

父…「あ!そう言やぁ、この道ができるけん、われいさまがのーなる(無くなる)けん残念じゃいう話を聞いたわーー」

残念ながら、「われいさま」はこの道路建設のために無くなっていました。うまく遺す方法は無かったのか…。

われいさまは無くなってしまったけど、今後も私たちは「われいさまの下は気を付けような」と言い続けると思います。

こんなふうに、言葉だけ一人歩きする歴史もあるのですね。

この道は、これからも建設が進み、県北から岡山市までの高速が繋がります。県北ー岡山市内までの時間がかなり短縮されます。

K少年の心に残っている「われいさまのお祭り」。また機会があったら話を聞きたいと思っています。

人の記憶を記録することの大切さ、今回も強く感じました。 

3.おまけ


シャボン玉の続き


読んでいただきありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

参考文献
『津山美作真庭の昭和』樹林舎 2020
『津山美作今昔写真集』樹林舎 2013
『美作町史 写真編』美作町 平成15 
『美作町史 地区誌編』美作町 平成16

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