先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代 宇田川榕菴- ①植物学の歴史)25 #074
みなさん、こんにちは。
先日、雪が降りました。朝、職場の駐車場を歩いていると、軒下に鳥の足跡を見つけました。
冷え性でいつも足が冷たい私は、素足の動物を尊敬します。
さて、本題に入ります。
前回の記事(良かったら参考にしてください)
現在、宇田川榕菴の植物学研究について調べているのですが、その過程で、「植物学の歴史」に出会い、興味がわいてしまって、
今回は、榕菴30%、植物学歴史65%、その他5%の内容で、お送りしたいと思います。
1.玄随→玄真→榕菴へと受け継がれる医学書
出版物を振り返りながら
まずは宇田川三代が刊行した医学書を振り返りながらお話を進めます。
『西説内科撰要』は、病気を症状で分類、原因、似た病気との鑑別、治療法、医薬品が書かれています。
この本の出版後、次第に内科を専門とする医師が誕生してきました。しかし、西洋の薬の知識が乏しく、思うように治療できない医師たちはもどかさを感じていました。
それを受け、玄真と榕菴は、医薬品をまとめた医薬書を書きました。『和蘭薬鏡』『遠西医方名物考』です。
『和蘭薬鏡』…日本で手に入る薬物、中国、東南アジアの薬物、西洋の薬物がまとめられています。
『遠西医方名物考』…西洋の薬物がイロハ順に記載され、産地や形、作り方、薬効、用い方がまとめられ、日本にない薬は性質を調べ、代用できるものが書かれています。
2.本草学から植物学へ
当時の日本には、植物学という考えはなく「本草学」が主流でした。
本草学…「◯◯の木の根は〜〜の病気に効く、△△の草は毒など」。
植物学…「植物の花や茎は何のためにあり、どんな作用をするのか、どうやって繁殖するのかなど」。
そのような中、スウェーデンのリンネが初めて植物を分類しました。
リンネは、後に榕菴が影響された人物のひとりです。
3.リンネについて
カール・フォン・リンネ(1707〜1778)は「ヨーロッパの植物分類学の父」と呼ばれています。
スウェーデンのウプサラ大学の教授で医師。
リンネは、全ての植物に名前をつけようとする過程で、「おしべとめしべの数を数えれば、植物は正確に分類できる」と気付き、1735年『自然の体系』と言う本で、植物を24綱に分類しました。
リンネの植物分類
おしべ1本のもの、2本のもの、3本のもの…24本は花のない植物(シダ…胞子を持つ植物)と分類しました。
現在の植物分類
現在の植物図鑑に広く採用されている分類体系は、1890年代にドイツの植物学者アドルフ・エングラーが発表し、その後、何度も改訂されたものだそうです。
4.植物学の基礎「受粉」について
なぜ花が咲き実が実るのか
まず、私たちが理科で習った「受粉」について復習です。
これらのことを、私たちは学習し、知識として知っています。
しかし、当時の人々は、経験として「花が咲いたら実ができる」ことは知っていても「なぜできるのか」誰も知りませんでした。
その上、「植物は動物とは違う」と明確に考えられていたようです。具体的にお話すると…
日本の考え方
幕末に活躍した二宮尊徳(1787〜1856)は、
「天と地が反応して、身を結び、タネができるのだ。あの稲妻で、天と地が梅雨時に感応して実が実る。稲妻は稲を実らせる役割をしているのだ」と言いました。
「大地が母であり、天が父だ。そのために、一方では大地に深く根を張り、枝を天空に伸ばしていくのだ。根を張って枝を伸ばすのはそういうためだ」と説明しました。
中国の考え方
「山川草木」と言うように、山川(無生物)と草木(生物)を同じレベルで捉え、これらは意識、魂を持たないので動物とは違うという考え方でした。
魂、霊魂は不滅であって「六道輪廻(六道は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上。人が死ねば、生前の行いに従って、六道をさ迷うこと)」と言いますが、「植物に生まれ変わる」とは言いません。餓鬼や動物に生まれ変わることはあっても植物には生まれ変わらないと考えられていたことからも、植物と動物は別物でした。
西洋の考え方
動物の英語animalは、「生き物」が元の意味で「animism=生き物には魂がある」。対して、植物はplantは「芽」が元の意味。「植物は動物と違って動くことができないし、暖かい血が流れているわけでもないから、植物の受精なんてあり得ない」と考えられていました。
そのような中……
5.受粉の発見
ドイツの医師カメラリウス(1665〜1721)が1694年に初めて「受粉する」ことを明らかにしました。
実験方法は、トウモロコシのヒゲ(め花の花柱)を全部取ったこと。
すると、実はできませんでした。この実験で実ができるためには「受粉」が必要とわかったのです。
そして、「植物にオスとメスがあること、マツのように一体で男女兼ねるものもあること」、さらに、「植物にも動物と同じ“寿命”があること」も認識されてきました。
(現代では当然の感覚ですが、1700年代は、理解し難いものだったようです)。
そのような流れから、1800年頃、「生物」=「動物と植物」という考え方がうまれました。これは「植物も栄養分を取り入れ、排泄し、呼吸し、世代を重ねていく」という考え方です。
これらを受け、榕菴は「動物も植物も生物だ」と説き、1822(文政5)年、『菩多尼訶経』を制作しました。
6.『菩多尼訶経』
『菩多尼訶経』は植物学史から生物概論、植物生体などが要約されています。
『菩多尼訶経』の参考文献は、リンネの書物をはじめ、ショメールの『百科事典』、オランダ医師ハウトウィン(1720〜1798)の『植物誌』などです。
1211字の散文で、書物の体裁もお経のような折本にしました。なぜお経形式にしたかというと、お経は朝晩、人に親しまれているから、植物学の大意を広く世間に知って欲しかったからだと言われています。
写経しました!
私は、『菩多尼訶経』を調べていくうちに、「これはおもしろい!」と感銘を受け、写経してみました。
7.次回のこと.ミニおまけ
次回は、『菩多尼訶経』について少し詳しく見ていこうと思います。さらに、主要部分を読み解く予定です。
榕菴と植物のことを調べている私ですが、花を育てるのはすごく苦手です。
去年の5月頃、職場のプランターに植えた「なでしこ」。いつ咲くんだろう…。
本来なら去年の秋までには、↓こんな花が咲くはずだったのですが…??んー…なぜだ?
読んでくださりありがとうございます。次回もよろしくお願いします。
【参考文献】
『素晴らしき津山洋学の足跡』津山洋学資料館 平成16年
『宇田川三代の偉業』津山洋学資料館 平成元年11月
『岡山蘭学の群像1』山陽放送学術文化財団
2016年4月
『目で見る津山の洋学』 津山洋学資料館 昭和53年3月
『中学校科学1』学校図書 令和2年3月
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