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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代  宇田川榕菴-② 『菩多尼訶経』を読み解く)26 #075

みなさん、こんにちは。

本題に入る前に…
今日は、特別ゲストをお呼びしました♬

本名 マルス(通称:マル)
年齢 6歳 オス
体重 8.8キロ
好き…ティッシュ(食べる)白米
嫌い…散歩 他の犬 背の高い人

マルは、私の妹家族が飼っているトイプードルです。私はマルに会ったことがないのだけど…妹に似てると思っています(*^^*)うん。

さて、本題に入りたいと思います。

江戸時代の岡山県津山の歴史、津山藩医宇田川榕菴の業績を調べています。

蘭学者であり医師の、榕菴は「本草学」から「植物学」へ関心が広がり、1822年、24歳の時に折本形式の『菩多尼訶経』を刊行しました。

良かったら、前回の記事も参考にどうぞ。


1.『菩多尼訶経』簡単に振り返ります

「菩多尼訶」はラテン語の「botanica」のことで、榕菴の音訳です。

前々回の記事より

【『菩多尼訶経』の特徴】
⭐︎1211字の散文。

⭐︎体裁はお経のような折本
→植物学の大意を広く世間に知って欲しかったから。

⭐︎植物学史から生物概論、植物生体などを要約。

⭐︎日本で初めて「植物と動物は形態的.生理的に共通性を有している」と説く。



2. 『菩多尼訶経』を読み解く

先日、私が写経したものを使って、赤線の箇所を読み解きたいと思います。

『シーボルトと宇田川榕菴』という本の一部を引用させていただきました。


 読み解き部分を拡大しました


↓赤字で読み仮名を書いていますが、これは植物学者 牧野富太郎が、上野.寛永寺住職と相談してつけたそうです。

青で括った部分は、主に外国の学者たちの名前が書かれています。


[訳]
私はこう聞いた。西洋の世界には、コンラート、フォン、ゲスネル(スイス)、ロバート、モリソン(英)、ジョン、レイ(英)、ジョゼフ、ピトン、ドゥ、トゥルネフォール(仏)、パウル、ヘルマン(独)、カルパス、バウヒン(スイス)、マルチェロ、マルピーギ(伊)、スティーブン、ヘイルズ(英)、クリスティアン、ゴットリープ、ルートヴィヒ(独)、教授ヘルマン、ブールハーフェ(蘭)、教授カルル、フォン、リンネ(スウェーデン)等の大学者がいた。

[訳]
彼らは何代にもわたって、世に現れ、各々自分の国で大望を抱いて大きな教室を作り、大きな講座を開き、声を大にして真実を述べ、この上も無く微妙で、深甚な、極めて勝れた真理を説いて、立派に弟子たちを教育した。


[訳]
花には二十四綱あって、さらにこれを細分すると、一一〇目以上になる。


[訳]
花は生殖器であり、花粉は精液、花系は輸精管、葯は精嚢、花柱は膣、柱頭は膣口、子房は卵巣、子宮であり、胚胎するところである。花托は胎盤、種子は卵である。

…………………この部分を図にすると、↓このようになるかなと思います。


『菩多尼訶経』は、明治時代になっても、前述した牧野富太郎をはじめ多くの学者に親しまれました。
牧野富太郎はよく口ずさんでいたそうです。


3.この年、コレラが大流行する

『菩多尼訶経』が制作された、1822(文政5)年の秋、日本でコレラが大流行しました。

この頃は、全ての疫病について何の知識もなく、「疫病は悪神の祟りだ」といってまじないに頼ったり、コレラの手当てとして幕府が指示した療法は「みょうがの根と葉をすってその汁を多量に飲むべし」というものでした。

この時、玄真と榕菴は、西洋の医学書からコレラに関するものを訳して『古列亜没爾爸斯説』(コレアモルビュスセツ)という冊子を作りました。

この中には「患者を隔離する。患者の衣類や器物は焼却する」など合理的な予防法が書かれていました。この冊子が世に行き渡る前に、コレラは影を潜めてしまいました。

※ 1862(文久2)年、再び大流行した際、コレラは「虎列剌」「虎烈刺」「虎列拉」、「ころりと死ぬ」ことから、「コロリ(虎狼痢)」とも記述されました。

【江戸ガイド】江戸時代。人々は疱瘡やコレラにどう立ち向かった?

※細菌の作用であるとわかったのは、19世紀末(明治初め頃)で、ローベルト・コッホやパスツールという学者によって発見されました。

4.次回のこと.ミニおまけ

次回は、榕菴の植物学3回目です。
1834(天保5)年に刊行された“『植学啓原』と化学の世界へ”についてお話したいと思います。

『植学啓原』には、1824(文政7)年、長崎出島にやってきたシーボルトとの交流が大きく関係しています。シーボルトからもらった顕微鏡も活躍しています。

シーボルトからもらった顕微鏡


『資料が語る津山の洋学』より


さらに、
『植学啓原』を制作するにあたり、榕菴は、薬学、植物学の奥に「化学」があることに気付きます。
※化学とは、身の回りに存在するさまざまな物質などを分子レベルで研究する学問。

古代から考えられてきた化学の思想も紹介しながら、現在使用されている中学校理科の教科書も参考にしながら、榕菴の化学書について調べて行こうと思います。



ストーブの前で何か訴えるうちの猫。

次回もよろしくお願いします。

【参考文献】
『シーボルトと宇田川榕菴』高橋輝和 2002年2月
『蛮書和解御用と津山藩の洋学者』津山洋学資料館 平成23年10月
『資料が語る津山の洋学』津山洋学資料館 平成22年3月
『学問の家 宇田川家の人たち』津山洋学資料館 平成13年3月
『津山洋学』津山洋学資料館 昭和56年3月
「らんまん舞台・高知」
「江戸ガイド」

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