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〜だっせん4〜 寿恵さんのこと - みまさかぞく#017
#014、#015、#016と『美作の民話集』のお話してきましたが、ちょっとだっせんします!
古いアルバムを見ていたら、ひとりの先祖と目が合いました。そのアルバムは何度も何度も見たものだけど、先日、初めて彼女が訴えかけてきた…いや、彼女はそんなことはしない、私がこの場でお話ししたいと思ったのです。
名前は寿恵(すえ)さん。
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寿恵さんは、母方曽祖父の妹です。大正3年生まれで、私が小学5年生の時に、75歳で亡くなりました。
私の母は一人っ子だったから、私が母の実家(久世)へ行くと曽祖父母、祖父母がとてもかわいがってくれました。その中に寿恵さんもいました。
寿恵さんの左腕には、犬に噛まれた大きな傷跡があり、↑写真でもわかるように右手の親指が内側に曲がり他の指も硬直していました。箸をとても持ちにくそうに使っていたのを覚えています。
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久世に行くと、私はいつも寿恵さんと一緒にいました。何をしてたっけ…思い出してみると、
当時、母の実家はクドを使っていたので、一緒に山へ杉の葉を取りに行ったり、祖母に頼まれた野菜を取りに畑に行ったり、新聞広告を見て何が欲しいか指差し大会したり…。
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寿恵さんは、身体が不自由で、動作も話し方もゆっくりでした。これは「今思えばそうだったかも…」という程度で、当時は何とも思っていませんでした。優しい寿恵さんが大好きでした。
でも…
私は幼心に「何かが違う…」とも感じていて、いつも心配と不安の影がありました。しかも、この気持ちは誰にも言ってはいけないような気がしていて…
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仲良しふたり
私は久世で暮らしてたわけではないから、知らないことの方が多くありました。でも、寿恵さんは近所の人と接することもなく、自分から話したり要求することもなく、ずっと家にいて、どことなく寂しそうで、私はなぜだろうと思っていました。
私が久世から帰る時、いつも悲しそうな顔をするから、つられて私も泣く。そんな繰り返しでした。
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幼稚園か低学年の時。私は母に「寿恵さんがかわいそう」と話したことがありました。良い表現とは思えないけど、その時は「かわいそう」としか言えなかった。
母は「大丈夫、ゆきこが心配せんでもええよ。寿恵さんは昔から久世でみんなと暮らしとるんじゃけん大丈夫」と言っていたけど、私は納得できず無力感だけが残りました。
後から知ったことですが、寿恵さんには知的障がいがありました。
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時代は昭和の終わり、田舎ではまだまだ差別的な風潮が残っていたのかもしれません。現代のようなデイサービスや介護施設もなく、就労もさせてもらえなかったのではないかな。
寿恵さんは、長い人生を家の中で過ごし、出来ること(洗濯物を畳んだり、土間を掃いたり、庭の草を抜いたり…)して生きていました。教育は受けたんだろうか…今となってはわかりません。
子どもだった私は「寿恵さんがかわいそうなのは嫌だ」と思うだけで、何もできず。でもこの思いはずっとずっと心の中にありました。
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雪の降る夜、寿恵さんは自宅で亡くなりました。
小5だった私は「お葬式には行かない」と言い、母を困らせました。「寿恵さんはどんな思いで死んでいったんだろう…」。湧き上がってくる自分の気持ちに向き合う自信がなかった…。
その時は母にうまく伝えられず、心を封鎖して葬儀に参列した記憶。
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あれから約30年が経ちました。現在の久世は、94歳になる祖父が一人暮らしをしています。
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先日、アルバム写真の寿恵さんと目が合って、少し複雑な気持ちになりました。
でも同時に、流れた時間が私たちを柔らかく包んでくれて、もう安心しても良い…そう思えました。
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うまく消化できず心に蓋をしていた子どもの頃の記憶が、あるきっかけで蘇り、もう大丈夫だと気付けた今回。
そのきっかけは、アルバムの写真でした。ありがとう、色んな巡り合わせ☆☆☆
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