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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代 蘭学者 宇田川家のお墓について-)19 #068


11月中旬、職場で、子どもたちと散歩をしていると、遠くの山に雪が積もっているのが見えました。

↑上の写真をアップにすると…


降雪に備えなければ!と思い、12/2(土)車のスタッドレスタイヤ交換の予約しました。

さて、本題です。

前回は、杉田玄白の『解体新書』津山の蘭学者 宇田川玄随について調べました。

その過程で、「宇田川家のお墓が津山にある」と知り、行ってみたところ、新たな発見と興味深いことがわかりました。今回は宇田川家のお墓について書こうと思います。

1.宇田川家系譜

津山の蘭学者の初代は、宇田川家と言われています。まず、宇田川家の家系譜をご覧ください。

↓下に続きます。
『宇田川家三代の偉業』より


2.宇田川家のお墓について

宇田川家三代墓所移転

宇田川三代(玄随、玄真、榕菴)の墓は、はじめ浅草誓願寺内長安院にありましたが、大正12年の関東大震災で火をうけ、昭和4年に東京都府中市多摩霊園の一角に移されました。

その後、昭和63年10月、岡山県津山市に移転されました(その経緯は後述します)。

玄随(槐園)のお墓の亀裂は

玄随のお墓の亀は、関東大震災によって生じたものだそうです。


宇田川家が絶える

家系譜にあるように、宇田川姓を名乗る人が絶え、お墓の管理は末裔の小森さんがされていました。小森さんは名古屋にお住まいで、東京にある墓を守っていくことに心を痛められていたそうです。

津山への移転が決まる

昭和63年、津山洋学資料館開館十周年記念式典が催され、有識者から「宇田川家の墓所を津山へ移す」提案がされました。出席されていた小森さんもそれを最善とされ、関係者の協議の結果、移転が決まりました。


墓所はどこにするか

津山での墓所をどこにさだめるか検討が進められました。その結果、幕末の頃、宇田川興斎(↑家系譜⑥)が江戸から津山へ転居を命ぜられた際、泰安寺に寺替えし、興斎妻子の墓も同寺に現存していることなどから、同墓地内に決定しました。


※興斎のお墓は雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区)にあるそうです。

宇田川興斎妻子の墓

宇田川三代のお墓に並んでいます。


移転作業で新たな発見!

移転作業は昭和63年10月3日〜5日にかけて行われました。多摩霊園における掘り上げ作業において、宇田川榕菴(↑⑤)夫妻の骨壷の中に、玄随と思われる相当量の骨が発見されたそうです。


3.泰安寺に行って来ました

10月末の週末、泰安寺の宇田川三代のお墓に行ってきた様子です。

写真の空の色が違うことにお気づきだと思います。2回行きました。(私は現地に取材に行くことが大好きですが、写真を撮り忘れたり、もう一度確認したくて、2〜3回行くことよくあります…)

泰安寺正門
境内
お参りします


津山城から東を城東、西を城西と言います。泰安寺は城西にあります。

城東地区
城西地区


宇田川家のお墓に向かいます。

左から…
宇田川榕菴  玄真  玄随



4.次回のこととおまけ

読んでくださりありがとうございます。

次回は、宇田川玄随の養子、宇田川玄真について調べていこうと思います。調べていくと驚きの事実がわかりました(宇田川玄真は杉田玄白の養子だったのです!)。

次回もよろしくお願いします。

私は、取材の後、近くでお茶するのが楽しみです♬

今回は津山にある、ポンパドール(パン屋さん)で一息。

このアワアワ♫
カップかわいい。


【参考文献】

『素晴らしき津山洋学の足跡』津山洋学資料館 平成16年
『宇田川三代の偉業』津山洋学資料館 平成元年11月
『蘭学事始ぴあ』ぴあ株式会社 平成30年1月
『蘭学事始』長尾剛 PHP研究所 平成18年12月
『わたしたちの津山の歴史』平成10年1月 津山市教育委員会
『岡山の歴史』柴田一監修 1990年7月 山陽新聞社
『宇田川三代の偉業』津山洋学資料館 平成元年11月
『岡山蘭学の群像3』山陽放送学術文化財団 2018年7月

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