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〜だっせん〜17 父の絵日記を紐解く“少年の昭和史”⑥ -みまさかぞく#033


昭和33年。私の父は小学2年生でした。今年8月に亡くなった祖母の遺品の中から、父の絵日記が見つかりました(母が見つけて、私に教えてくれました。父には内緒)。

父は昔のことを語るのをとても嫌がります。 

この地で、この家で、生きることは、父なりの苦労があったんだろうと、私は子どもの頃から感じてきたので、正面から訊いたことはありません。なんとなく訊くことはあっても…。

しかし、8歳の父の夏休みは、とてもイキイキと輝いていて、子どもらしさが滲み出ています。

1.8月9日(土)曜日  天気(はれ)


【原文】
きょう、がっこうへいきました。にいちゃんが「8じにはじまるけん、はよういけえ」といったので、しょうちゃんに、「はしろう」といって、はしったのでちこくをしませんでした。

【解説コーナー】
父が通っていた湯郷小学校は、明治7年に開設されました。

明治期の校舎
沿革
明治40年頃
大正8年

《男子教師は詰襟の洋服、しかし女子教師や児童は着物姿である。このころになると、男子児童は帽子(学生帽ともいった)を全員被っている》


昭和40年、湯郷小学校は林野小学校と統合し、新しく美作第一小学校になりました。

昭和40年
最後の運動会


湯郷小学校と同じ場所に高等学校もあり、石碑が残っています。




湯郷小学校と高等学校があった場所は、現在、美作文化センターが建っています。

美作文化センター


わかりにくいのですが、今昔の写真見比べてください。↓↓

◯で囲んだ山は同じ山です。


↓↓少し山側に寄った辺りで撮ってみました。岩肌の部分が同じなのがわかりますか?

建物が建ち、同じ角度で写真を撮ることができなかったのですが、時が経っても変わらない山は目印になってありがたいと思いました。

2.8月14日(木)曜日 天気(あめ)

【原文】
きょう、おとうちゃんが、「へちまがなっとらあ」と言ったので、ぼくは「どこえ」といいました。おかあちゃんも「どこえ」いいました。あとからみたら、やねのうえに、ぎょうさんなっていました。

3.8月16日(土)曜日  天気(はれ)

【原文】
きょう、水あびにいきました。もぐれだしたので、にいちゃんに「にらめっこしよう」といったら、「しよう」といったので、しました。にいちゃんが、おもしろい、かおをしたので、わらいました。そしたら、ぶく、ぶく、あわが、でました。

※………※………※………※………※………

絵日記で語られる昭和33年にタイムスリップする時間。それは、単なる歴史探訪だけでなく、子どもだった私の親(今は高齢者)に寄り添える、何だか不思議でほほえんでしまう、良い時間です。

4.おまけ

湯郷小学校跡地の写真を撮りに行ったら、銀杏が綺麗で、まずその写真を撮っていました。すると…

後ろでポスッと音がしました。振り返ると…

前の杉の木から落ちてきた!


蜂の巣が落ちていました。覗いてみると、中身は空だったけど、怖いー。

色々あるけど、記事を書くための取材、すごく楽しいです♫

読んでくださりありがとうございます。
父の絵日記は、あと2回で終わる予定です。お付き合いいただきありがとうございます。

また次回もよろしくお願いします。

参考文献
『津山美作真庭の昭和』樹林舎 2020
『津山美作今昔写真集』樹林舎 2013
『美作町史 写真編』美作町 平成15 
『美作町史 地区誌編』美作町 平成16

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