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一緒だった

見ているもの、見ている世界、
どこから情報をとってくるのか、、

『全然違っている』
ということに
ようやく気がついた。

私は自分の方が正しくて、

相手にも
もっと良くなって欲しくて、

そして、
お母さんから
「あなたの言っていることは正しかった」
「あなたはすごいのね」

そう言われたかったんだと
気がついた。

もういい年齢なのに
お母さんから認めて欲しくて
必死だったことに

気がついた。

「もういいんじゃない?」

誰かが心の中でそう言った。

見ている世界が全然違う。
正しいと思っていることも全然違う。

あっちからしたら、
私の方が正気では無いと
思っていると思う。


何年か後に
「ほら、だから私の言った通りだったでしょう⁉」
「私が正しかったでしょう⁉」


そんなふうに
見返してやりたい、と思う。

そう、
そうやって
ずっとお母さんから認めて欲しかった。

そして、
それはきっと
「あなたはずっと間違っている」
というメッセージを

今、気がつくまで
母親にずっと
送っていたんだな、と思った。


危なく
「母親に認めてもらえない、可哀想な自分」
になるところだった。

お互い様だった。
一緒だった。


一緒だったんだ。

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