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身軽でいる

最近、すごく気持ち的にも体的にも重たい状態でいる気がしてる。

それを実感したのが、この4連休の使い方だった。
当初はその前に取得していた夏季休暇3日と合わせたら1週間の休暇の予定だったけど、その3日はなんやかんや仕事をしたり、寝たり、無の状態でいたりしていて気づいたら過ぎ去っていた。

その中の大幅な時間をもっていった「仕事」はやったほうがいいだろうと強迫観念からきていたものだったり、ほんとに少しやった方がいいと言われたものだったりしたけど、今後こんな休日の使い方をしたくないと思う時間だった。

ただ、その仕事もパソコンがあればなんとかできたかもしれないから、腰をおろして大阪にいずともできただろう。

それでも腰が重かったのは、今の私が身軽な心と体ではなかったからだと思う。

仕事を始めて、社会人になって身軽でいられなくなることはいやだと思っていた。
この場合の身軽でいるというのは、身のこなしを軽く、やりたいことをやれる、飛び込んでいける軽さでいることだと考えている。

そこにはもちろん、それをするだけの財力や時間的余裕などもかけあわさってむずかしい状況もあると思う。

その中でも、日々できる小さいことから大きいことまで、「やりたい」、「たのしい」、「いきてる」を感じられることを自分にやらせてあげたいと思う。

正直、最近めっぽう美醜について興味がなくなってきて。
世の中でかっこいいな、きれいだなと思う人の理由はその人の生まれ持った顔ではなくその人の生き方だなと思う。

それとは相反して、自然の花とか風とかにおいとか、動物とかにもにうつくしさを感じたりする。

その感覚でいることがすごい気持ちが落ち着くから、その感覚が薄れていたり、自然のうつくしさを感じる機会が減ったり、自然だけじゃなくて人からのかがやきを感じる機会が減ったりするのも身軽じゃない自分の状況をつくりだすことにつながっている気がしてる。

この前、郊外に出向くことがあって久しぶりに季節を感じた感覚やった。
その感覚がおそろしくて、その場に一緒にいた人たちや自分までもすごいよごれているような感覚におちいってた。

今日からはそんな重かった腰をあげて、素敵な人たちに会いにいくから自分についていた重たいいろいろが削ぎ落とされていくはず。

定期的な心と体の重さデトックスは必須だなということが気づけた、ちょっと多忙な社会人1年目の夏だった。

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