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責めない

画像は先日同期に誘われて行った、滅多に行けないランチでのお粥です、おいしかったです。

いま、昼間に勤めている会社で上司のお話を聞く機会が有ったのですが、お話の流れで
「えーと、この中でコロナワクチンを打った人、、、ってあぁ、こうやって手をあげさせたらダメなんだよね、うん。」って、それを自らやめられた。

ワクチンを打つ選択をした人にも自分なりのポリシーがあり、打たない選択をしている人にもあり、そして『打てない』人もいる。

わたしの大好きな知り合いに、免疫に対する体質でポリシーは如何あれ『打てない』人がいる。

打つ選択をした人のなかで、この『体質で打てない人』を責めていい人がいるだろうか。

そしてその人は『私はワクチンを打っていませんが、このような体質のため、例え打ちたくても打てないのです。なので、申し訳ありません。』と言うプラカードを首から下げて歩かなくてはいけませんか?謝らなくてはいけませんか?

その人はワクチンを打てないことで、「周りの人のためにも打つことにしました。」というワクチン接種済みの人の言葉に小さくならなくてはいけませんか?その人は周りの人を大事にしてませんか?

みんな自分のポリシーがあり、自分の正義があります。

でも、それは世界中のすべての人に当てはまるわけではなく、そんなに広い範囲でなくても周りの小さな仲間内であっても、当てはまらないことだらけだと思うのです。

毎日バスタオルを洗濯しないと汚いと思う人。
数回使ってからで充分だと思う人。

まぁ、そんなふたりが一緒に生活するのは難しいですがw、隣人がそれであっても、あなたに大きな被害もないし、自分の正義を振りかざす必要はないとわたしは思う。

だって、みんな一生懸命に生きているのに変わりはない。やり方やポリシーが違ったらダメですか?

どうしても気に入らないなら距離を置くか、付き合いをやめればいい。それでよくないかな。

こんな世の中だから浮き彫りになる、人と人の愛し方や付き合い方。やるせない気持ちになることも何度もあるけど、わたしは人を責めない人でいたいと思います。

なかなか切ってやれなくて、伸び放題だったうちの三男坊の髪を今日やっと切ってやれて、その途中でハサミの使い方を誤ってわたしが「痛っ。」って言った時、息子が
「気ぃつけやー、ケガせんといてやー。」と言ってくれまして、「いや、大丈夫やし。」と返したら、

「俺はママを愛してるねん。だから言うねんで。」

って言われましたw

関西人で照れもせず『愛してる』ってわたしに言った人間は、亡き父とこの三男坊だけですよw

そんなことを堂々言うてくれる小学6年生にびっくりした本日。

「ハサミの使い方ヘタクソなんちゃう?なにしてんねん。」と責めるでなく、愛してるから心配なんだよ、と言えるってことがほんとに素晴らしいことだと思った。

うん、わかったから明日の用意ちゃんとしてや、と言うしかなかったわたし、まだまだヘボいなと実感した涼しい今日でした。

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