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市原悦子さん死去のニュースに寄せて

市原悦子さんが亡くなった。

子どもの頃、ちょっと言いづらいのですが、
父と母がいろいろありまして、
子どもの私は「どんな佇まいでこの家にいれば良いのだろう」と考えた時に、
小3の私が出した答えが
「『家政婦は見た!』の市原悦子のように、
この家で起きた一部始終を全て見るのだ」でした。

笑いをまぶしながら、目の前の地獄を見ていこう。

自分の生き方を教えてくれた番組でした。
ご冥福をお祈りいたします。

(追記)
笑いをまぶしながら、目の前の地獄を見る。
それ以外にも『家政婦は見た!』は、
子どもの私にいろんなことを教えてくれた。

悲劇と喜劇は紙一重だということ。

『家政婦は見た!』で市原悦子さん扮する
石崎秋子が赴く家は、最終的に一族崩壊、一家離散することが多い。
雇い主の家が取り返しのつかない状態となり、家政婦をお役御免となる。
当事者たちにとっては地獄。
でも家政婦の秋子は陰から当事者を覗きながら
「面白くなってきた!面白くなってきた!」とホクホク顔でつぶやく。

ある人にとっては悲劇でも、
立場を変えて引いた視点で見れば、
それが喜劇になる。

父と母にとっては悲劇でも、
子どもの私は
できるだけ引きの視点で家庭を見つめることで
悲劇の要素が薄くなるのではないか。
そんな風に思っていた。

時々我が家の現実がドラマを凌駕してしまうことがあっても、
「ウチは火サス(火曜サスペンス)ほどじゃない。
だって、人が死んでいないもの」
などと、家庭で起きることを傍観できた。

自分の家と同じようなシチュエーションをドラマで観た時は
脚本家がその時の心情やセリフを
どのように言葉へと落とすのかを見ていた。

いろんな脚本家が同じような意味をセリフに落とす場合、
それはきっと人生に必要な教訓なのだと考え、
シチュエーションとセリフを丸々覚えた。

「人は歳を取ってもなかなか大人になれない」
確かこれは若き日の明石家さんまさんが
ドラマに出た時のセリフなのだが……。
このセリフを聞いた時、父を許せるような気がしたものだ。

(セリフのシチュエーションを追記すると、
軽薄そうに見える男が、たわいのない会話から
人生の真髄を語ってみせる場面。
1時間ドラマの46分ぐらいに吐くセリフ。
内容としては、社会に出てあくせく働いて、
40代、50代になって何かがわかったつもりでも、
ちっともわからないのが人生。
特に男は女性に比べて、
そのあたりが腑に落ちないまま、
50代になっても若き日の過ちを繰り返すアホなのだというオチ。
それが恋愛でも人生でも多分同じということ。
脚本家が1時間ドラマで言いたかったことはおそらくこのセリフに凝縮されており、
話者として、人気絶頂の明石家さんまさんに託した)

話が脱線してしまった。
改めて市原悦子さんのご冥福をお祈りいたします。
そしてあのドラマの怪演は、
生きるヒントをたくさん与えてくれました。
本当にありがとうございました。

#市原悦子 #家政婦は見た

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