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【備忘録】六本木ヒルズ 東京シティビューの「細野観光」に行ってきた

六本木ヒルズ 東京シティビューで本日11/4(月・祝)まで開催の
細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2019」に
昨日行ってきました。

ササーッと見れば、1時間くらいで見られる展示だと思いますが、
私は1点1点食い入るように見ていたので、3時間くらいかかってしまいました(笑)。
腰が疲れたぞ!!!

それくらい細野さんファンにとっては見応えのある展示で、
50年の歴史を時系列に、
当時の楽器・機材をはじめ、
発表した音源、ライブ映像、書籍にインタビュー原稿、
影響を受けた書籍・思想、雑記帳をズラリ紹介していました。

個人的に「うおおおおおお!」と興奮したのが、
タイタニック号唯一の日本人乗客で無事生還した
細野さんの父方の祖父・細野正文さんに関する
NHK『ファミリーヒストリー』で紹介された資料ですね。
タイタニック財団が発行した
細野正文さんの救命ボート乗船にまつわる新事実を発表した会報や、
正文さんが沈没するタイタニック号で家族に宛てて書いた手紙の複写などもありました。

興奮要素は他にも数多くあり、
細野さんが立教高校時代に描いた漫画冊子(発行:●●●〈おそらく友達の名前をもじった会社名〉 製本:ホッチキス社 など奥付までしっかり書いてあってニヤニヤした)や、
好きなアメリカ映画・フランス映画のタイトルロゴを真似て
科目名を書いた高校時代の授業ノートも。

また若手ミュージシャン時代に
アメリカ西海岸の音楽を自分のものにするため
調べた土地の歴史や地図を書き込んで、
音楽の背景を勉強していたノートや、
世界的に活躍するギタリスト、ドラマー、ベーシストに一言コメントをつけて評しているノート、
(エリック・クラプトン 秀才! ニール・ヤング 個性的!  ●●● それで? と、著名なギタリストをクサす場面も)
はっぴいえんど「風をあつめて」の歌詞を書いたメモなどもあって、震えましたね。

会場には、これまで20の音楽ユニットで活動している細野さんの
レアなユニットTシャツを着て
「ワシ、めっちゃファンなんやで」とアピールされる
50、60代のファンの方も。

そんなすごいファンの方には到底敵わないのですが、
私も意外とファン歴が長くてですね。
聴きはじめて40年か……。人生のほとんどがYMO絡みだ(笑)。

小学1年の時に「Rydeen」を聴いて、
「ヤバい、これは未来の音楽だ! 宇宙人が奏でた音楽に違いない!」と衝撃を受け、
しばらくしてYMOの演奏をテレビで観たら、
ユキヒロさんが姿勢を正してドラムを叩いていたので、
「おい!人間が弾いてんのかい!」と
吉本新喜劇並みに椅子から転げ落ちそうになりました(笑)。

当時YMOって、ものすごくFMのラジオで流れていたので、
アルバムを買うお金のない私のような子供でも
カセットテープに録って大抵のナンバーは網羅できたんです。
ホント、いい時代でした。
あ、今でも変わらんな。今はYouTubeで映像もろともアップされるもんね。

とはいえ、子供の頃は顔のかっこいい教授とユキヒロさんが好きで、
玄人好みの細野さんの過去作品まで遡って真剣に聴き始めたのは、
「フリッパーズギター、マジか!解散かよ!」と衝撃を受けた大学3年ぐらいからか。
パーフリ解散の心の治療が細野さんで、
小山田圭吾が後にYMOのサポートメンバーになるだなんて、
その時は1ミリも思わなかったがな!!!!

で。33〜36歳ぐらいの時に、
ある出版社で情報誌の編集をしながら、
親と会社に内緒で、全国のコミュニティFMのラジオパーソナリティをしていまして。

ラジオは事務所に属さずフリーランスで仕事をしていたので、
いつクビになるかわからない。
私の技量がそんなに高いと思えないし、声も良くないから、
きっと自分の志半ばでクビを切られることもあるだろう。

だったら、自分でラジオ仕事の目標を決めようと、
細野さんを形作ってきた音楽を片っ端から聴いて、
全てなぞり、自分の人生を豊かにするための
「細野晴臣指南の音楽の旅」を1年半かけてやろうと決めて、
やり切ったので、もうクビになってもいいぞと(笑)。
結局、ラジオの仕事はクビになることなく
母が認知症になるまでの4年間やらせていただきました。

「細野晴臣 音楽の旅」をどうやってやっていたかというと、
彼が今まで音楽について書いた書籍を手に入るだけ全て読み、
そこで触れられた音楽
(=特に力を入れて聴いたのは、私の知識が浅い1930〜70年代の洋楽)をピックアップし、
TOKYO FMのレコード室から借りて全て聴き、
毎週土曜朝9時台の生放送でかけられそうな音楽を
リクエストや放送の企画の音楽などと混ぜて、放送していました。
ヴァン・ダイク・パークス、バッファロー・スプリングフィールド、モビー・グレイプなんて、放送でたくさん流したなー。

3時間かけて「細野観光」を観ながら、
「私はどうして細野さんが好きなんだっけ?」とずっと考えていたのですが、
展覧会最後にその答えが壁に細野さんの言葉として
抜き出しで大きく載っていました。

「自己表現より
音楽の大きな流れを
伝えていくことのほうが
大事だと思っている」

そうなんですよ!
細野さんのいいところは、
アーティストのエゴが音の前面に出てこないところなんですよ!
だから私は細野さんを音楽の師匠にして、
片っ端から「細野晴臣音楽ルーツ」を聴きまくったんだよ!

なんか腑に落ちました。

おかげで本当に自分の音楽の引き出しが豊かになりました。
細野さんについて行って良かった。

でも最後に「1993・再生・YMO(※YMOの文字の上に赤字のバツ印)」の
新聞の号外を展示するなら、当時話題となった

「1993・再生・YMO (※YMOの文字の上に赤字のバツ印)

私は反対でした(矢野顕子)」

の新聞一面広告も展示してよ!!!と思いました(笑)。

最後はYMOのファンじゃないとわからんオチで、すんません!!

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