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ひとり旅のライター、ジャカルタでガムランのステージに上がる

コロナ禍で、私はある原稿に目を奪われた。その原稿とは、サライ.jpに掲載されていた中野千恵子さんの記事「癒しと調和の音色、伝統音楽「ジャワガムラン」の魅力(インドネシア)」だ。

知識がある。音楽への愛がある。密度の濃い文章で、それでいて正確で無駄がない。よっぽどエンターテインメントの文章を書き慣れているか、インドネシアの文化に深く精通しているか。一体全体、中野千恵子さんという方は何者なのだろうか。ぜひジャカルタに行ったら、この中野さんに会ってみよう。私は日本のコロナ禍で、勝手に彼女の文章のファンになっていた。

2023年6月14日〜19日の期間で私はジャカルタに行くことになり、自宅で中野さんのTwiterアカウントを探していた。すると、彼女が2022年7月に急逝していたことを知って、ひとり暮らしの自宅で思わず声が出た。「嘘でしょ! 追悼原稿が出ている!」

この中野さんの追悼原稿を書かれたのは、「+62」の編集長・池田華子さん。中野さんが亡くなられたというのに、池田さんに中野さんのことを聞くのは、おかしなことなのかもしれない。正直2週間は悩んだ。ジャカルタに渡る前日にダメ元で池田さんに連絡した。すぐにご快諾のお返事。そして中野千恵子さんが率い、日本人メンバーで構成したジャワガムラン楽団「スルヨララス・ジュパン」につながった。聞けば、私が滞在する6月17日に、インドネシアの多様な文化を一度に楽しめる巨大テーマパーク「タマンミニ・インドネシア」のジョグジャカルタ館で、この楽団はガムラン練習と夜のフェスティバル「Pesona Budaya Nusantara 2023」で前座のステージがあるという。

「タマンミニ・インドネシア」ジョグジャカルタ館の練習室での様子

「スルヨララス・ジュパン」の皆さんは、「中野千恵子さんのガムラン原稿に惹かれた」という理由でジャカルタに単身で乗り込んできたライターの私を質問攻めにした。中野さん亡き後、「この人、何者?」は私だったのだ。中野さんに代わり、現在楽団の中心となっている高岡結貴さんや西川知子さんの導きで、朝から練習に参加することになった。

突然新人がやって来たものの、楽団の皆さんからしたらもう本番当日なのだ。時間もないし、新人なんぞに構っちゃいられない。いきなり「練習に入れるところから入ってみてください」とのこと。高校時代のブラスバンドで、師事していた先生から初見の楽譜を「自分らしく吹いてみて」と言われた時以来の衝撃だった。いくらガムラン好きとはいえ、私の全細胞をフル稼働して、リズムと音を捉えなければならない。

隣で私をケアしてくださったのは、三浦義幸さん。渡された楽譜は今まで目にしたことのないものだった。

ガムランの譜面

「え? 数字ばっかり。モールス信号なの?」。聞けば、私が担当するサロン(鉄琴)には番号が振ってあり、その番号を順番に叩くのだという。楽譜左側のBKは前奏で、Aメロ、Bメロ、場合によってはCメロがある。ドット(.)の部分は一拍休み。Aを2回繰り返すなど予め指示が入ることもあるが、指揮者の役割を果たすクンダン(両面太鼓)の生のテンポを聞きながら、次のメロディに進むのか、繰り返すのかを耳で判断するのだという。もうコレ、めちゃくちゃ周りの音を聴いていないと成立しない音楽だ……。

サロン(鉄琴)

練習したのは計5曲。1曲終わるごとに「隣のサロン(鉄琴)に移ってください」「正面のサロンに戻ってください」と三浦さんから言われる。指示されるがままに叩いてみると、2つのサロンは音階が違う。ペロッグ音階は明らかに沖縄民謡の音階だ。「私ってインドネシアにいるんだよね? 沖縄じゃないよね?」と、演奏しながら何回か錯覚を起こしたくらいだ。

サロン(鉄琴)越し見るジョグジャカルタ館のガムラン練習室

もう1つがスレンドロ音階で、もの寂しげなマイナー調の音がする。『世にも奇妙な物語』のテーマソングのあの感じ。冷感タオルを首に巻きながら、気温33度の室内でヒヤっとするドラマを思い浮かべながら叩いた。

練習室で5曲を2〜3回通した後に、昼からは本番のステージに移ってゲネプロ(通し稽古)が始まった。ジャワガムランで使用する楽器は15種類ほどあるが、ゴング(銅鑼)や蓋のついたお鍋みたいなボナン、私が叩く主旋律のサロンなど、いずれもステージ上の楽器は綺麗に磨かれていて、金色の青銅器がピカピカ光っていた。

「タマンミニ・インドネシア」ジョグジャカルタ館にある本番のステージ

ゲネプロは正直6割ほど叩けた。A4の譜面をiPhoneで撮影し、小さな数字を左手で拡大しながら叩いた割にはグッジョブだったと思う。というのも、音楽がどこまで進んでいるのかわからなくなったら、印象的な旋律が聞こえた時にその部分の譜面に戻ればいいことがわかって、いちいち慌てなくなったからだ。

ゲネプロ演奏前で緊張している私を楽団の人が撮られたショット

このゲネプロと練習室の最後の通し稽古で、ガムランを演奏しながら眠たくなる瞬間を2回感じることができた。楽団の中心メンバーである西川知子さんは「私にとってガムランは瞑想」と言っていた。中野千恵子さんは原稿でこのように書いている。「ガムランの音からはα(アルファ)波が発生しているとされ、聴いているとリラックスした気分になり、眠たくなることもあれば、良いアイデアが浮かぶこともある」。私のような素人でも、ほんの少しその片鱗を感じることができたのだ。

ゲネプロ終了後の本番ステージの様子

楽団の皆さんと一日中ご一緒しながら、いざ夜の本番となった。出演者の控えの間にいると、「大先生」と呼ばれている楽団のンガティマン先生が、私に「衣装もあるから着替えて本番に出たら?」と言う。皆さん、ジョグジャカルタの民族衣装に身を包んでいるのに、私、ZARAのテロテロパンツなんですけど。「でもゲネプロは6割演奏できたからな〜」と、わかりやすく調子に乗ってみた。

年甲斐もなく調子に乗る

用意された衣装は私の体にピッタリだった。そしてこのフェスティバルは全世界に生配信中だというのに、演奏前にこっそりステージ上で自撮りまでした。こんな私を八つ裂きにしてください!! 一生の「お・も・い・で〜〜!!」(IKKOさんの声で)

本番前に自撮りをするとは……

さて本番。時間の都合で4曲だけの演奏となった。楽団の人しかいなかったゲネプロと違って、観客や出演者、スタッフさんの声が脇からするせいで、同じ旋律の楽器の音すらきちんと把握できない。かろうじて指揮者の役割を果たすクンダン(両面太鼓)が聴こえる程度だ。

まともに演奏できたのは1曲目だけだった。2曲目は1小節間違えて叩く部分が多々あり、「不協和音を大量生産したかも」と思うと、何だか申し訳なくなる。3曲目はまあまあ。4曲目に至っては6割間違えた。ゲネプロと本番、環境はこうも違うか。ステージの怖さを思い知ったのと同時に、ンガティマン先生をはじめとしたインドネシアの方たちのノリの良さと懐の深さに感じ入った。

歌い手の方と「スルヨララス・ジュパン」の皆さんと

子どもの頃から西洋音楽に親しんできた。ロックでもクラシックでも、主旋律と伴奏&リズム体といったように、楽器のなかでどこか主従関係があるように感じていた。極めつけは木管低音楽器のファゴットを吹いていた高校時代だ。初めてファゴットの譜面を見た時、「なんてつまらない譜面なんだ!!」と思った。明らかにメロディを奏でるクラリネットやバイオリンの下支えをしているような感覚があった。

それに比べると、ガムランは楽器同士に優劣を感じない。今回サロン(鉄琴)で比較的主旋律を担当したが、いざ演奏が始まると、サロンだけが目立っているという印象は1ミリもなかった。他の楽器がサロン(鉄琴)の装飾音を鳴らしていることもあれば、その逆もあり、多様な楽器の音が複雑に絡まりあっていた。そして、ファゴットのようにオーケストラの音に溶け込むのではなく、ジャワガムランは個々の楽器が個性的であるのに、調和をしながら共存している。

またガムランを奏でたい。そしてヨガの瞑想のような境地になりたい。中野千恵子さんに導かれて、単身ジャカルタまで赴いてよかった。バリガムランとまた違った規則性の高いジャワガムランの音。私たち前座が終わった後は、王宮専属ジャワガムラン楽団が奏でる音の確かさ、大きさに驚いた。

少しでも興味を持ったら、YouTubeの「Pesona Budaya Nusantara 2023」を観てほしい。引きの映像で、左手前に映っている緑の衣装で金髪の女性が私だ。歌い手さんたちの声の伸びやかさ。ジャワ舞踊に合わせたガムラン演奏は、まるでミュージカルや京劇のようでもあり、歌舞伎の舞踊演目のようにも見える。その他、YouTubeでは出てこないが、ミュージカル『ライオンキング』の影絵の演出で知られるワヤン・クリット(伝統影絵芝居)の演奏もガムランが行う。なお中野さんが創設したジャワガムラン楽団「スルヨララス・ジュパン」は、いつでもあなたがガムランを奏でられるよう、門戸を開いている。気になったら、勇気を出してジャカルタへの航空券を取るだけだ。

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