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無関心のなかのあたたかさ

今日は、一人暮らしをしている姉の家に久々に泊まりに来ている。
1か月ぶりに姉に会ったはずなのに、おととい会ったばかりのような気分。お互いが何をしていても空気のようで何にも気にならない。
今こうして私が文章を書いているなか、隣で姉は何をしているのか?知らないし知ろうともしない。私の家族は全体的にお互いあまり干渉しない家族だと思う。
でも決して仲が悪いわけではない。
姉と私で海外旅行に行ったり、父と母で温泉旅行に行ったり、父と私で旅行に行ったり、、偏りなくどの組み合わせでも旅行やお出かけをしている。来月は父と姉と私で北海道に行く予定だ。実際今日も母からディズニーのチケットを姉に渡すよう頼まれた。母と姉で行くようだがよく知らない。聞いてもいない。基本お互いがお互いに無関心。
日曜には早起きして、開店前にアウトレットに着く。そして午前中にはショッピングを終わらせて、帰りに回転寿司に寄ってお昼を食べて帰る。これは父と私の月1の定番のお出かけコース。仲良いねと言われることもあるが仲が良いわけでもない。車中であまり会話はしないしアウトレットに着いたら基本別行動。買ったものを見せ合ったりしたこともない。
その無関心さこそが自分の家族なのか。
私が毎日夜遅くに帰ってきても何にも聞かれない。無関心すぎて寂しくなるときもある。などと言いつつ、結局自分の家族をベラベラ述べてしまった自分は、家族が好きなんだと思う。

今回のカフェゼミで家族について考えて、"家族の話をされてもピンと来ない"という言葉がすごく心に残っている。なのに結局自分の家族を長々と語ってしまった。ピンと来ないから共感してもらえない寂しさはどうすることもできないのか?という疑問も私の中で生まれた。

そういえば、カフェゼミのグループワークで "家族は自分のことに関して、理解は出来なくても許可してくれる存在" と捉えた意見があった。すごく頷ける意見だった。家族のことについてこんなに考えたことは初めてだった。上映された映画に出てくる家族も、お互いを理解は出来なくても許す、受け入れるという印象を受けた。理解されなくても受け入れてくれることは支えになる。私もこれから家族に何かあっても受け入れていくと思う。
家族のあり方はさまざま。他の家族のことも理解は出来なくても受け入れる寛容な心でありたい。
#MELCブログ #カフェゼミ180531_mb

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