憧れの人物像と欠乏感
憧れの人ってどんな人物だろうか。
「優しい人」
「リーダーシップのある人」
内面から憧れを発掘するならこういう感じだろうか。
人物像に憧憬を抱いているということは、きっと自分もそうなろうと努力した時期があったのだろう。
何か思い当たる節があって……例えば友人と喧嘩した時、大勢の前でプレゼンした時。ああ、あの人みたいにうまく振る舞えたらよかったのに。と。
私は、メンタルの強い人に憧れていた。どんな逆境にも平然と立ち向かい、悪口なんかは一切跳ねのけ、人前では愉快に笑っているような、そんな人間。
でも、人間をよく知っていくとそんな「憧れの人物」はどこにもいないことが分かった。あの人みたいに、と思っていた人はそんなに大層立派な人間ではなかった。優しい人間も居なければ、頼り強い人間もいなかった。みんなたくさんの弱さを抱えていた。真っ黒な内面を押しつぶして笑顔を見せていた。裏ではたくさん泣いていた。そんな辛い笑顔は見たくない。
ずっと自分のありたい姿を探していたのに、わからなくなって、人の間に塗れて自分も弱さを抱える同じ人間だということに気付いた。もっと強くありたかったのに。もっと強くあれば、何も抱えずに生きていられたのにって。描いていた理想の姿なんてものは存在しなくて、結局はあの人と同じ運命をたどるしかないと。わかってしまえば、もう縋ることもできず、何も頼りがなかった。
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