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「意味の無いこと」を受け入れて楽しむ

はじめまして、ゆきひかりです。
読書感想文と随筆です。

「みなさん、夢はありますか。」


そんなコピーライティングがはびこっている世の中だが、実際そういう言葉が支持されるのは、夢と言われても困るという人が多いからだと思う。

かくいう私自身も将来の夢、つまり目標が分からず困っていた一人である。
なんというか社会的な「あるべき姿」という将来像はいくつか見えているけど、進んでなりたい姿だとは思えない。かといって「ありたい姿」が何かを言われるとわからない。そんな感じだった。

そんな相談を友人に持ち掛けてみたら、こんな本をおススメされた。

「イノベーションオブライフ」
約10年前に出版された本書だが、いまだに引用されて話題になることもしばしばあるそうな。

今回は本書の内容に少しだけ触れながら、幸せな生き方について考えてみたい。

意図的戦略と創発的戦略(第3講より)

聞きなじみのない言葉だが、順を追って説明していく。
「意図的戦略」というのは、レールの敷かれた道を歩んでいこうという戦略である。例えば、プロ野球の選手になりたいと思った子どもが、そのままプロ選手になるように、意図した道をなぞっていくことだ。
「創発的戦略」というのは、意図したレールを外れて歩いていくという戦略である。同じ例では、プロ野球の選手になりたいと思った子どもが、ケガという体験を経てスポーツ医学の専門家になるなど、本来意図していないゴールに行き着くことだ。

本書では、人生が「意図的戦略」のみでうまくいくことは少ないと説いている。本書の筆者がそうであったように、「創発的な道」を───つまり新しく現れたレールに乗り換えながら歩んだことで、結果的に成功を掴んだのである。「意図的戦略」にこだわることは安定を意味するが、ときに大きな変革の機会を逃す危険性があることを意味しているのだ。

もう少し噛み砕くと、創発的な体験とは「思いがけず現れた他の選択肢」のことを指している。もともと意図した戦略があって、そこに思いがけず現れた選択肢をあえて選ぶのが「創発的戦略」。そこで、その創発的戦略で得た体験から新たな目標を見つけたとき、それは自分の意図した道となる。
つまりは、創発的戦略(新たな体験をすること)を採る中で、自分の意図的戦略(目標に向かって進むこと)を見つけていこうという話になる。

簡単に言えば、「夢が見つからない」と思っている狭い視野の中で無理やり目標を作るのではなく、人生の中で実験をたくさんすることによって真の夢を見つけよう、ということだ。

ならば、どんな人生の実験をすべきなのだろう?

この先の具体的な施策についてはあまり本書では触れられていない。
そこで、自分なりに考えてみることにした。

「それ、将来何の役に立つの?」

悪気無く発せられるこの無邪気な言動が、夢を探す人々を日々苦しめている。

私たちは「将来役立つことをたくさん身に付けて社会に出なさい」と言われて、それを当然のことだと思っている。
例えば勉強をすること。社会経験をすること。挙げればキリが無い。
そういうスキルをたくさん身に付けた人は、本人がどう解釈していようとも一応褒められる。将来きっとすごい人になるんだねと言われる。

一方で、私たちが趣味とするものは、だいたい他人にとって大した意味のないことだ。
イラストを描く人もいれば、ゲームをする人もいる。登山したり、昆虫採集をする人もいる。社会に通ずるかと言えば、直接的には全く通じない。だから、もし社会人を目前に控えた学生が趣味に没頭していたらこう言われるだろう「それ、将来何の役に立つの?」と。

個性を鑑みずとも社会的なスキルを身に付けることは、”勤勉”だと評価される。一方で”趣味”と呼ばれるものは、”遊び”という認識がいまだ強くある。
”遊び”は”意味の無いこと”だから、どんどん排除されていく。一般的な「立派な人間」は無駄なことはせず、すべて自分のためになるように生きているように見えるから、”意味の無いこと”だと思ったら、それは切り捨てないといけない気がしてくる。

そうやって夢を無くしていく。夢が見つからないのではない。”意味が無いから”と隠してしまったのだ。
気付けば画一的な人間になっている。すでに「立派な人間」というレール乗ってしまったから、新しい変化を求めることは無い。そのまま人は絶望してゆく。順調かもしれないが、つまらない人生であることに違いない。

このように他人の仕組んだ「意図したゴール」に向かって、全てを排してゴールテープを切ることができたとしても、実は満たされないのが人生である。人生を楽しんでいる人は、ゴールしているからではない、常に新しいゴールを見つけながらそこを目指しているからなのだ。

その新しいゴールを、いつでも目指せる準備をしておくこと。それはつまり、現時点では”意味が無いこと”でも、自分が良いと思っているなら続けるべきだということになる。それが創発的戦略の第一歩だ。いつ”意味のあること”になるかはわからないのだから。


「人生の実験をする」実はそんなにすごいことは求めてない

私は、創発的戦略が一体どのようになされるのかはわからない。
だからこれは独自の解釈であるという上で話すのだが、創発的戦略は実験をすることで得られるという。そして実験というと、なんだか大仰なことをイメージしてしまう。ハンドメイド作品を売りたいから、起業を体験すべきなのだろうか、だとか。でもそれは無理だ。そんなにハードルの高いことを要求しているはずは無い。

実は、実験というのは大げさで、本当は「日常にわずかな思考の変化を与える」ということなのではないかと思う。日々、自分が好きで続けている趣味のような行為を「意味のある行為」だと認識して行うこと。毎日少しずつ、何かを続けること。いわば「思考実験」である。
いろいろな意味で自分を認めること。それを続けることを、自分が許すこと。それが大きな実験の小さな一歩目に当たるのではないかと私は考える。

だいたい「意味の無いこと」なんてあんまり存在しない。他人と比較することでそのあたりの価値が生まれるのだから、比較なんて意味の無いことで自分の選択肢を減らす必要は無い。たくさんの「今は役に立たないこと」を抱えて生きていれば、そのうちいくつかは輝き始めてくると信じている。


ただし、現実逃避の目的でやっているほとんどの行為だけは意味が無い。あくまで主体的に取り組む姿勢に対して、自分を認めること。それが創発的戦略の第一歩なのだ。

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