考え方の乗り換えチケットをもらう
こんにちは。お久しぶりですね。久々に文章を書くってやつをやろうと思います。みなさんはお元気ですか?
昨日、スペースでお悩み相談を受け付けてみたい!という方にお悩み相談をしに行った。その方のスペースはずっと拝聴していたので一方的に私が知ってる方であり、やってみるか!!と思い至ってマイクボタンを押したりしたのだ。
相談内容については私の私生活に関わることだから伏せるけれど、すっごい簡略化して煮詰めてジャムみたいにして話すなら「そもそもあなたが見えている世界はあなたによって構築されており、あなたが居なくなれば世界というものは無くなるのだから、あなたが良いと思う世界の構築の仕方をすればいい」「考え方の根底を変えると生きやすくなるから、生きやすくなればいいね」という回答を貰った。
そして、私はその回答になるほどねえ!!と思ったのだった…。
という貰った回答の話じゃなくて、今回は考え方の乗り換えチケットの話をしたいなと思う。
気分が下がって自分を下げることをぐるぐると考えている時、考え方の行先が固定化されるような気がする。Aが原因で私はBなので、Cという結果が招かれる…といったことを何度も考えて、ずっと同じような結果に至る。元気なくなる駅に向かって思考の満員電車に乗りながら毎回の通勤するような気分。
これは、自分だけの考え方だけで考えると他の考え方が出来なくなってくるのが原因だとは思う。心理学に精通はしてないし心理療法にも明るく無いのでまあ推測ではあるけれど、人間自分1人だけで新しい考え方を見つけるのはかなり難しい。
そんな時、本を読んだり人に相談して全然違う視点からの意見を貰うことがある。そしてそれをきっかけに、「今までどうしてこんなことで悩んでいたんだろう」と思ったり「どうしてこの解決策が思いつかなかったんだろう」と感動する時があるのだ。
小さな思考の切り替えひとつで脳内の霧がすっきりと晴れる。まるで今まで乗ったことのない電車に乗って、初めて新しい景色を見た時のように世界への見え方が変わる時。こう言う時、電車を乗り換えたみたいだなと思う。
別に電車でも電子回路でもスイッチの切り替えでもなんでもいいのだけれど、自分とは違う視点での考え方をもらって、そしてそのおかげで視界が晴れる経験は何度かしたことがある。
まあ実際には、その意見を受け入れる精神的余裕や相談をしている相手への感情なども必要なためにそこまで多く起こることではないけれど、それでもきっと相手にとって「そこまで?」と思うほどには新しい景色に感動を覚えるのだ。
自分で考えすぎて他者に相談することを諦めたり、専門機関へ行かなくても私は考えてるしな…と思ったり、自分で出した正解に執着してしまう時が誰しもあると思うけれど(そしてまあ実際相談して嫌なことを言われて余計悪化することもあるのだけれど)、それでも最近は相談って有効かもしれない。と思ったりしたのである。
だって自分で考えてる時って自分の考えに執着しちゃうし、見えてる視点は基本1つだし。
ただ、自分が考えていたことが急に間違ってたんだなと思えてしまうことが怖いことだと言われるとそれはそうだけれど、どちらかと言えばどっち側の考え方も持つようになれる、考え方の行先を増やすチケットを手に入れたくらいで受け入れれば良いんじゃないだろうか。こんな考え方も出来るんだ!という新しい発見程度のものとして受け入れればいい。
結局乗り換えるかどうかは、自分自身で選べるんだし。