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忘れ物を取りに行く旅のような時間だった。

YouTuber
木本奏太さんの
初のエッセイ本を読んだ。

元女子、現男子。 忘れたい過去もある。けど、それを含めて僕だと気づいた。

という一冊。


私は重度の脳性麻痺で
車椅子生活をしています。
でも、
意思疎通も可能だし
電話も普通にできるくらい、会話は可能です。
ですが、身体面の障害は重く
主に自分の意思通り動かせるのは右手だけと言っても、過言ではない程度です

脳性麻痺は基本的に運動面(身体の)障害とされていますが、視覚視覚や発達障害、知的障害などの障害を
合併する場合も少ないと言われています。

私も視覚障害、発達障害、うつ病など、いろんな障害や病気を併せ持つ31歳です。

障害のある人達が通って
日中の時間を過ごす
生活介護施設に通所していましたが、
昨年夏に、大きく精神面を崩してしまい、
今は通所もお休みしています。

そうして、お家で過ごしていたある日
奏太さんのYouTube
「かなたいむ。」(チャンネル名)に出会いました。
彼がつくる映像(動画)は
かっこよさもあるし、
面白さもあるし、
日常の動画も素敵だなぁと思った。

彼はもともと女性として生まれて
現在は、性転換手術をして男性として、
生きてる。

元女子 現男子。
LGBTQ+当事者。

私の中では
性別に関わらず
とにかく彼がつくる動画が好きだから
短時間で、YouTubeにある彼の動画をとにかく
みていた。
でも、LGBTQ+当事者だからこそ
作れる動画ももちろんあって
私も新たな視点に気が付かせてもらった事もたくさんあった。
そして、彼の家族も一緒に出ている動画も
ほっこりして、好き。

そんな彼が初のエッセイ本を出すことを知って
それが発表されたその時、すぐに予約しました。

私は発達障害があって
文字の読み書きが極端に苦手です。
それでも
「読み」は「書き」と比べたら
できる方だけど。
これは、高校の頃、
読書が好きになったので
少しずつだけどできるようになって
今がある。
読書は好きか嫌いかで言うなら
好きではあるけど
読み書きが極端に苦手という障害による
現実は変えられなかった。

同じ行を何度も読んだり
読めない漢字もあったのは事実。
だけど
発達障害に分類されるASD(自閉症スペクトラム)の
特性も持ち併せているのです。
これは、興味のある事には
驚くほど過集中することや
こだわりが強いというような
ことが言われています
(もっといろんな特性はあるけど、今回は割愛させていただきまず)

昨日の昼間、
この本が手元に届きました。

今日の夕方(今の時点で、「先ほど」)
読み終わりました。
他人からみて
これが
読むのが速いか
遅いのかは
置いておいて、
私は自分では
こんなにはやく
読み終えることが出来るとは
思いませんでした。

とにかく本の世界に入っていた気がします。

本の内容は
奏太さんがこの世に生まれて
自分の性別に違和感を感じ始めた時のことや
好きな色の事。
性同一性障害という言葉を知った時のこと。
それでも周囲にはカミングアウトできなかったときの葛藤。

自分の感情を自分の中にしまい込んで
必死になって
居場所を無くさない為に
本当にたくさん頑張っていた日々の事

性転換の手術の時こと

大学生になってから
徐々に
変わっていった日々

自分らしく生きるとは
どんな事なのか

どんな思いから
YouTubeで
発信していこうと思ったのか。

これからやりたい事は
どんな事なのか。

それぞれの事を
わかりやすい言葉で

そこには
ちゃんと
奏太さんらしい言葉が並んでいて
なんか、
奏太さんが
語りかけてくれているような感覚にさえ
なるくらいだった。

この本を読んで
心がギュッと痛くなった。
悪い意味ではなく
気づけたんです。
今まで
私自身が
どれだけ辛いことを
「辛い気持ち」として
私自身が受け止めず
都合の良いように
我慢をして
自分さえ
我慢すれば
この場が丸くおさまるなら
我慢しようって。
私は障がいが重くて
右手しかほとんど動かせない。
この事を
ネタに笑う人や
「ゆきちゃんなんか、生きてる価値なんて無い」
「はやく死ねばいい」
「みんなに迷惑ばかりかけて。」

家族は
愛情をたくさん注いで
育ててくれて
そんな事は一切言わなかったけど
家族を除く

今まで関わった大人の一部の人に
たくさん言われてきて

「自分が周りと違う」ということは
幼稚園児の時から
感じていて
皆んなが
できることか
できていない
出来ても
時間がかかる…
頑張ってるのに。


自分は人と違う…

小学生の頃
(障がいのことがあり、)
足の手術の為に
長く入院した時、
そのとある病院で
障がいが重いからと
煙たがられた。
身体的にも
言葉の暴力を受けたと
私は思った。
だから、
人の顔色をうかがって
なるべく
怒られないように
日々をなんとかやり過ごそうと頑張ってた。

親がいる前では
優しく接してますよ〜的な
オーラ全開の支援たち。
親がいない時は
目つきも変わり
暴言、
暴力…
(私自身は明らかにそう思った)
私はおよそ、2年もその環境で過ごした
おかげで他人の顔色や機嫌ばかりを気にするようになってしまった。
そして人前では
なんとなく
笑っておこう
そんな癖がついた。

あとはとにかく
いい子を
演じた。
当たり障りのない話。
なんとなく、
笑う。
あたりさわりのない
相槌をうって…

そんな日々もあった。

時は進み社会人となった私。

ここでもまた、
周りとの違いに悩むことになった
そこは
一般企業ではなく
障がい者支援施設だったけど
その時点で、施設側からすると
過去に受け入れた例がないほど
私の障がいは重かった。

最初に書いたように
私は読み書きが難しい。
でも
施設では
その日やった作業を
手書きで書く必要があった
私は
なんとか
自分が書くことができる
ひらがなで
書こうとしたら
斜め向かいにいた
男性に
「小学生かよ」と笑われた

作業も視覚障がいのこともあり
自分にできる作業は
なかったと言っても過言ではない。

私の前に
いろいろ仕事を持ってきては
「あ、あなたには無理だよね、」そう
明らかに笑いながら言ってた。
気がつけば
利用者からも
職員からも笑われていた。
もう、
いわゆる
「ぐる」ってやつだろうなぁと思った。

いまはそんなことは
されているわけではない。
だけど、
今でも思い出すし。
「生きる価値なし」とか
言われたのも事実。
相手はきっと
何一つとして覚えいないだろけれど。
傷は深い。

だから
そんな過去があるから
今も施設に行くのがこわい。
誰かの迷惑になっているかも…
自分は無価値な人間なの?

頑張って
頑張って
笑って通ってだけど
心が今は無理と言ってる。

精神科の先生に
施設は無理していかなくても良いんだよ
絵を描いて
好きな音楽聴いて
心が安定するなら
それでいい
って言われた。

まだまだ心が元気になって安定するには
時間かかると思うけど
それでもいいって
思ってた。

この本を読んで
今まで自分が背負ってきた過去
紛れもない現実。
全て自分だとわかった。
心に少し痛みが走るほど
自分に重なる感情が書かれていたけど
だから思えた

私だけではないって。
今まで目を背けてきた過去と少しずつ
向き合って
自分をもう少しだけ
認めてあげようと
思えた。

この本から
もらった
「きっかけ」を
また、「何か」に変えるには
時間は必要だけど

まずは、
今の自分を責めずに
先生の言う通り
お休みしながら
過去の自分の感謝が湧き上がってしまったら
今まではそれを
ダメなこと
マイナスな事と
思ってたけど
少しずつでも
許してあげられたらいいなと思う。



きっと誰が読んでも
心に響く言葉があると思います、
そんな一冊です。

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