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18. 違和感

スケーターが利用するようになっていた文化創造館最寄りの空き地には、夜間のスケートボード禁止の看板が立った。そして、市内スケーターのコミュニティ形成を目指してはじまった「スケートボード解放日」は、予定していた3回の開催が終了した。

スケートボードのことについてさまざまな人と、さまざまなところで話す機会を得たが、中心市街地のにぎわいづくりや、若者の居場所づくり、まちづくりや社会包摂など、その時々や相手によって話題の受け止められ方が変化する。先の市議会でも、駅前にスケートボード場を整備してはという一般質問がなされていた。
それぞれの論点にうなずくポイントはありつつも、多くの場面において、「そういう話じゃない気がする」というのが私自身の奥底にある感覚であった。

振り返ると、私自身の思考も時間の経過とともに変化してきている。スケーターを文化創造館の敷地内から排除するかどうかというところからスタートした時には、文化創造館が彼らの居場所の一つあっても良いではないか。そういう(見る人によっては、排除すべき)異物となるものが混ざり合うことから生まれうる「何か」への興味があった。
時間の経過とともにマナーの問題が顕在化し、そうは言ってもいられなくなり、施設の利用方針を更新した。それでも周辺道路でスケボーをする若者はいて、苦情も寄せられ、スタッフは声をかける。
10月からは敷地の一部で大規模な土木工事がはじまり、間もなく周辺の車道も昼夜を問わず片側交互通行がはじまる。時々周辺道路でスケボーをする若者も、ここでは滑れなくなるのだろう。

「そういう話じゃない気がする」という感覚をもちつつ、「じゃあどういうことなんだ」としばらく自問している。その時々に浮かぶ考えも、また時間の経過や状況の変化とともに変わっていくのかもしれない。

敷地内の工事現場に、ある日添えられた花
(事故があったわけではない)

話しはズレるが、私は小学校の時に学童保育に通っていて、そこにはダウン症の子が2人いた。障がいがあることは知っていたけれども、その子たちは私の学童の日常の中に普通に存在していた。

私は魚類以外のペットを飼ったことがなく、犬や猫というペットに対して、どうやってふるまっていいのか、いい大人になった今でも困惑している。

私の祖父母は、私が物心つくだいぶ前に4人とも他界していて、社会人になるまで高齢者との接点が少なかったことから、しばらくの間、高齢者とどう接していいのかコツをつかめないというコンプレックス(思い込み)があった。

文化創造館には、誰とも話さずに、いつも一人で分厚い本を何時間も読み込んでいる若者が時々来る。辞書を読んでいるのかと思って、ある時近づいてみたら、六法全書だったことを知り、なんだか嬉しくなった。その人を街中で見かけることがあると、「おっ!」と思う。

経済効果をもたらすとして、自治体をあげてもてなしをしているクルーズ船客の一組が、歩きながら文化創造館の敷地にゴミを投げるところを目撃してしまった。かと思えば、文化創造館にたいそう興味をもってくださり、名刺を交換し、その後しばらくメールのやり取りをする方もいた。

夜間に大型バイクのグループが集団で文化創造館の周辺に集まってきていて、見たことのないようなバイクばかりだったので、思わず声をかけたら、あまり声をかけてはいけないグループだったらしいことに後になって気づいたこともあった。

スケートボードをやる人たちの中には、スケートボードが生きがいになっている人もいる。そうであることを知る以前に、取りつく島がない人もいる。

祭りのお囃子だろうが、有名バンドの生演奏だろうが、スケボーの音だろうが、選挙カーの演説だろうが、それらの音は中心市街地にある高校とっては、単なる授業の妨害でしかない。英語のリスニングテストのタイミングにあたれば取り返しがつかなくなることもあるだろう。

街には異なる価値観やライフスタイルや、時間の過ごし方をもった人がいて、空間と時間を共有している。
秋田市(役所)は、中心市街地のにぎわい創出を目指しているが、にぎわいづくりを謳った大型イベントに一時的に参加する人だけではなく、そういった趣向のイベントを苦手に思う人もいれば、そこに居住する住民もいて(そして増えている)、勉強をしに来たり、働きに来たり、通院や見舞いにくる人もおり、旅行に来る人もいる。いくら想像力を働かせても、こうした一人ひとりの考えに思いが及ばないことも多いし、想像力を振り絞ったつもりでも、まだそれが足りていないこともあるのだろう。そして、知らぬ人に声をかけるのは、いくつになってもなかなかに勇気がいる。

昨年、市内の民営スケートパークの1周年のイベントを見にいく途中、道端にこんな看板を見つけた。

秋田市民憲章

わたしたちは、伸びゆく秋田市の市民であることに誇りと責任をもち、明るく豊かなまちをつくるために、進んでこの憲章を守りましょう。

一、健康で働き、豊かなまちをつくりましょう。
一、あたたかく交わり、明るいまちをつくりましょう。
一、きまりを守り、住みよいまちをつくりましょう。
一、環境をととのえ、きれいなまちをつくりましょう。
一、教養を高め、文化のまちをつくりましょう。

(昭和36年6月25日)

https://www.city.akita.lg.jp/shisei/hoshin-keikaku/1011480/1011123/1004336.html


看板は草木に覆われ、今や誰も見向きもしていないだろうけれど、62年も前から大切なことを謳っている。多様性とか、共存とか、自治とか、文化とか、創造とか、小難しいことを言わずに、これでいいのかもしれない。

※ちなみに、「市民憲章」というものの考え方について、愛知県碧南市の資料が素晴らしいと思うのでシェアします。
▼市民憲章とは(愛知県碧南市)
https://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/7/16setumei.pdf
▼碧南市市民憲章
https://www.city.hekinan.lg.jp/soshiki/shiminkyoudou/chiiki/shiminkensho/4751.html

そして、先日久々にお会いした町内会長が、こんなことを言っていた。

「街中に住んでいるからこそ、この街がどうあったらいいかということに努めて意識的であった」

見習いたい。

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