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【ドネーションツアー体験談】「慈善事業?世界平和?自分には関係ないね」と思っていた私の価値観が180度変わって、「世界平和」がライフワークになるまでの話

はじめましての方も、いつもお世話になっている皆さまも、こんにちは。ゆきえです。本業はマーケティングの会社をやりつつ、昨年参加したウガンダへのドネーションツアーをきっかけに、途上国の学校支援をしたり、「世界平和」をテーマに活動しています。昨年は100万円を寄付して、コンゴ民主共和国に学校を建てました↓

コンゴ民主共和国に建設した学校

今回は、「"慈善事業"とか"世界平和"なんて私とは関係ない」「自分とまわりの人さえ幸せならそれでいいや」と思っていた私の価値観が180度変わって、「世界平和」をライフワークにしようと思ったまでの話をしようと思います。(ちなみに今「世界平和」を軸にした事業を作ってます)

SNSの投稿を見た友達が、「ウガンダどうだった?」「ドネーションツアーってどんな感じ?」と興味を持って聞いてくれるのはすごく嬉しいんだけど、ワイワイ楽しい雰囲気の中で話すにはちょっと空気感が難しくて、つい「めっちゃ良かったよー♪」とポップに返してしまい(笑)、ちゃんと説明できないことも多かったので、今回は、その「めっちゃ良かった」の中身をちゃんと言語化してみようと思います。

ドネーションツアーは私にとって、これまでの人生観が一変する、人生のターニングポイントになった出来事でした。

当時の私は、「仕事も軌道に乗ってそれなりに楽しいし、まわりの人にも恵まれてるし、別に不満を言うような状況ではない。でも、これといった目標もないし、なんかつまんない」と、人生に停滞感を感じていました。でも、ドネーションツアーをきっかけに、人生に目的が出来て、心から共感・尊敬できる仲間に出会えて、人生の冒険が心底楽しみになりました。慈善事業なんて自分には関係ないと思っていたのに、我ながらびっくり(笑)

「世界平和」に興味がある人なんて超少数派だと思うけど、もし一人でも共感してくれたり、読んでくれた人の世界が広がるきっかけになったら嬉しいです。

ちなみに私は元々、ボランティアや慈善事業に興味があった人間では全くありません(笑)「慈善事業なんて、一部のお金持ちがやることでしょ」って思ってたし、自分とは関係ないもの、別世界の話、と思っていました。臨場感ゼロです(笑)

よく分からなかったから、ウガンダに行って現地を見てみることにした


そんな時に出会ったのが、日本寄付財団という財団がやっている、Maaaruという学校支援プロジェクト。世界に3億人いると言われている学校に行けない子ども達のために、途上国で学校建設や改修、教育機能の再建等を行なっているプロジェクトです。(世界中に200校ほど支援校があります)

(出典:maaaru公式サイトより)

たまたま友人の1人がそこでボランティアをやっていて、一緒にご飯を食べていたときに、Maaaruの世界平和活動やドネーションツアーの話題に。友人によると、次はアフリカのウガンダでドネーションツアーがあるらしい。寄付をしていなくても、旅費だけで現地の学校や支援先の現場を見れるらしい。

「自分で実際に現地を見てみれば、そこで何が行われているのか一目瞭然にわかるよね。アフリカまだ行ったことないし、行ってみるか!」という軽いノリで、ウガンダへのドネーションツアーの参加を決めました。

「世界平和」や「慈善事業」にそこまで興味があったわけではないけれど、何かしら自分の価値観を変えてくれるようなもの、人生の停滞感を壊してくれるようなものを求めてたんだと思う。

実際に現地に行ってみたら、思ってたのと違いすぎてびっくりした


ということで、東京から22時間のフライトを経て、いざウガンダへ。ウガンダの空港に到着して、他の参加メンバーと合流し(私も含めて日本から7人)、首都のカンパラ市内のホテルに宿泊。翌日はついに北部グル県にある支援校へ。(北部グル県の支援先の学校3校、市長さんとの面談、首都カンパラの孤児院等、6ヶ所ほど訪問します)

首都カンパラから北部グル県まで車で約6時間。広大な大地!
道中で焼いたお肉やキャッサバを売りに来てくれる地元の人たち。意外と美味しい。

最初の訪問先は、元少年兵・少女兵の方たちのための職業訓練校。ウガンダは英国植民地時代の政策の影響もあり、政府軍 vs 反政府軍の内紛が長く続いていた国。1986年以降、6万人以上もの子どもたちが拉致され、兵士として戦わされていた歴史があります。現在もまだ隣国の南スーダンや中央アフリカ、コンゴ民主共和国に潜伏し、帰還できていない少年兵たちも。この施設では、運良く軍隊から逃げ帰ることができた元少年兵たちの社会復帰支援のために、洋裁や家具製作、刺繍等を教えています。(少年兵の問題についての詳細は、現地でお世話になったNPO法人 テラ・ルネッサンスさんの漫画を読んでみてください。かなり衝撃的。)

ウガンダの少年兵たち(出典:NPO法人 テラ・ルネッサンスの公式サイトより)

いよいよ支援校が近づき、手元のスケジュール表を見ると、「支援校到着後、受益者による歓迎ダンス、セレモニー、スピーチ」という記載。「歓迎セレモニーかあ。まあ、支援者が視察に来るってなったら、やらないわけにいかないよね〜」くらいのテンションで、支援校の敷地に足を踏み入れました。

支援校の敷地の外までお迎えに来てくれた訓練校の人たち

でも、いざ支援校の敷地に入った瞬間の、支援校の方達の歓声。親しみを込めて笑いかけてきてくれる、弾けるような笑顔。一言も言葉を交わしていないのに、「心から感謝してくれてるんだ、歓迎してくれてるんだ」ってことが全身にビリビリするくらい伝わってきました。「まあ形式的にやるよね」くらいに思っていたので、予想外の歓迎ぶりにびっくり(笑)でも、圧倒的な感謝と歓迎のエネルギーがそこにありました。

その後は、歓迎セレモニーでダンスや歌を見せてもらったり、一緒にランチを食べたり、授業の様子を見せてもらったり、支援校の卒業生たちが市場で共同経営している洋裁店を見に行ったりしました。この訓練校で勉強するまでの経緯や経験について個別でお話をさせてもらったり、同行したMaaaruの理事長と支援校のスタッフや卒業生たちが、膝を突き合わせて「どうやったらもっと運営が良くなるか?今どんな支援が必要か?世界平和のために何が大事だと思うか?」などを話し合うのに同席させてもらったりしました。

職業訓練校の人たちによる歓迎の歌とダンス。物凄いエネルギーに圧倒された。
合唱も大迫力。震えた。(写真だと伝わらないのが残念)
洋裁の授業の様子。洋服やバッグを作ったり、刺繍をしたり。
訓練生たちが製作した、日本に輸出する用のバッグ


そこにあったのは、私がなんとなく予想していた「貧しくて可哀想なアフリカ」じゃなかった。恵まれた環境でぬるく生きてる自分が恥ずかしくてたまらなくなるくらい、とても明るくて、パワーがあって、力強かったのです。

「僕は大好きなお母さんの腕を切り落としてしまったんだ」

この訓練校で学んでいるのは、数年前まで少年兵・少女兵として戦闘の前線にいた人たちです。8歳とか13歳といった子どもの頃に反政府軍に誘拐されて兵士にされ、数年〜10年近く兵士として戦い、戦闘のどさくさに紛れて逃げ出したり、戦闘で負傷して取り残されたときに保護されたりして、運良く逃げ帰ってきた人たち。そのほとんどは、何日も飲まず食わずで衰弱していたり、数十キロの道のりを裸足で歩き続けて足がボロボロの状態で保護されていたり。歓迎の歌とダンスを披露してくれた人たちも、みんな銃弾や武器の破片を浴びた経験がありました。

大人に逆らう力のない子ども兵は、大人にとって使い勝手の良いモノとして使われてしまうことも多い。大人の兵士の盾として銃弾が飛び交う前線で戦わされたり、地雷がない安全ルートを探すために地雷原を歩かされたり、重い荷物や食料を持って何十キロも歩かされたり、大人の兵士と強制結婚させられて産まれた赤ちゃんを背負って部隊で働き、衰弱して歩けなくなったら射殺されたり(敵に情報を漏らさないため)。うっかり「疲れた…」と口にしたら、銃器で殴られたり、リップカットと言って唇を切り落とされて見せしめにされたり。

反政府軍は、子どもたちに人を殺めることへのためらいをなくさせるために、子どもたち自身の手で、一番大切な親や親族、友達を殺させます。(家族を殺し、村を焼き払わせれば、子ども兵は帰る場所を失って故郷の村に逃げ帰ろうしなくなるから。逃亡を防ぐ目的もあります。)

***

これは、ある少年兵が誘拐されたときの、実際の話です。

彼は12歳の頃、隣の村へ行ったお母さんを迎えに行く途中で反政府軍に捕まり、部隊へ連れて行かれました。

数日後、彼は大人の兵士たちに故郷の村に連れて行かれました。

大人の兵士は、彼の母親を銃の先で小突いて、

「この女を殺せ。それができないなら、この女の片腕を切り落とせ。さもなくば、お前もこの女も殺してしまうぞ」

と脅しました。


彼は頭が真っ白になりました。

自分と大好きなお母さんの命だけはなんとか助けて欲しい。

そして、気が付いたときには、お母さんの手首が地面に落ちていました。

さらに大人の兵士に棒を持たされて、命令されるままに、お母さんを棒で殴りました。母親が気絶するまで。

結果的に彼のお母さんの命は助かり、彼はそのまま軍隊に連れていかれ、3年間兵士として戦いました。


軍隊から逃げ出して故郷に戻ってきた彼が病院でお母さんに会うと、片腕を失ったお母さんはすっかり痩せて元気がありませんでした。

お母さんは、戻ってきた彼に優しく話しかけてくれたけど、その後はもう彼に会ってくれなくなりました。

彼はお母さんを見るとただただ悲しくてつらくて、もう以前のようにお母さんの愛を感じることができなくなってしまった。

「学校に行きたい。でもお金がない。お父さんは病気で働けないし、もう僕には絶望しか残っていない…」

***

なんだかもう、壮絶すぎて言葉を失いました。

私は銃弾を浴びたこともない。ある日突然襲われて家族皆殺しにされたり、銃を突きつけられて、親や友達を殺せと脅されたこともない。でも、今目の前にいるこの人たちは、みんなそういう信じられない経験をしてきている。

元少年兵・少女兵の問題は、あまり注目を浴びることはありません。でも、彼らは軍隊から戻ってきた後も、社会復帰にとても苦労します。命懸けで軍隊から逃げ出してきても、地元のコミュニティに受け入れてもらえず孤立してしまうことも多い。ウガンダには、少年兵に親や親族、友達を殺されている人も多くいるからです。(今回訪問した施設のスタッフの中にも、父親を少年兵に殺された人がいて、施設で働きながら元少年兵・少女兵と接する中で、少しずつ彼らを許すことができるようになってきた、という話も聞きました。めちゃくちゃ複雑…)

人を殺めたり、大切な人を目の前で殺された経験から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したり、子ども時代に学校に行けなかったため、読み書きができず仕事が得られない。そんな元少年兵・少女兵はウガンダ国内にまだまだたくさんいて、彼らが手に職をつけて社会復帰できるようにするのが、この職業訓練施設です。

この施設の訓練生たちは、洋裁や刺繍デザイン、家具制作、バイク修理などを学び、卒業後は8-9割の人が、一緒に学んだ同級生たちと共同でお店を開業しています。

職業訓練校の卒業生たちが共同経営する市場の洋裁店


「知識やスキルは誰にも奪われない。私は子ども達を自分の力で食べさせてあげることができる」


子どもの頃に誘拐されて少女兵になり、部隊の中で強制結婚させられて赤ちゃんを産み、保護されて施設にきたある女性が、私にこんなことを言いました。

「知識やスキルは誰にも奪われない。私は子ども達に洋服を作ってあげることができる。子ども達を自分の力で食べさせてあげることができる。だから、私に知識とスキルを与えてくれて、本当に感謝しています。」

元少女兵は、大人の兵士と強制結婚をさせられて出産していることも多く、子どもがいて働きに行けない。読み書きも英語もできない。スキルがない。コミュニティに受け入れてもらえない。だから体を売って子どもを養わざるを得なかったり、二重、三重、四重の苦労をすることも多い。

そんな元少女兵の母親達は、一般的な母親以上に、子どもの教育にお金をかける傾向があるそうです。たとえ強制結婚で産まれた子どもでも、自分と同じ苦労をさせないために。どこの国に行っても、母親というのはすごいなと思います。

私は、マーケティングの知識を使って企業やビジネスの収益を伸ばすことを生業にしています。だから、知識の重要性や、知識の有無でどれだけ人生が変わるかということは、人一倍理解しているつもりでした。でも、知識を学ぶことの意義を、望めばいくらでも学べる環境のありがたさを、こんなに全身に突き刺さるくらい痛感したのは、人生で初めてでした。

「何が本当に良いかはわからない」


私が訪問先で一番驚いたのは、元少年兵・少女兵の訓練生たちの底抜けの明るさとパワーでした。これだけ過酷な経験をして、絶望して自暴自棄になったり、人間不信になっても当然な経験をしてきたのに、なぜこんなに明るくいられるのか? 前を向いていられるのか?人間の底力と強さを感じずにはいられませんでした。

でも、2005年から現地に駐在員を派遣して、支援活動を続けているNPO テラ・ルネッサンスの方のお話を聞いて、それは、一人一人と向き合い続けてきた地道で忍耐強い支援活動の結果なんだと知りました。

軍隊から保護されて訓練校に来たときは全く笑わなかった人が、何年も支援活動を続けていくうちに、少しずつ表情が穏やかになり笑顔を見せるようになったこと。彼らの明るさの裏側には、乗り越えてきたたくさんの過程と、それを支え続けてきた人たちの愛と努力があるんだと。

現地に18年以上滞在して、第一線で支援活動をしている理事の小川さんや、隣国のブルンジに滞在して支援活動をしている川島さん。インターンに来ている学生の方たち。

テラ・ルネッサンスの方とお話をしていた中で、とても印象に残っている言葉があります。

「現地の人たちにとって何が本当に良いかは、私にもわからないんです。支援をして、現地の人たちの生活が良くなることは嬉しい。でも、逆にもし支援をしなかったら、クーデターが起きて、もっと抜本的にこの国が変わっていたかもしれない。支援をすることは、その機会を奪ってしまっているのかもしれない。でも、私はやっぱり目の前の人のために出来ることをやりたいと思うんです。」

現地に何年も駐在して、最前線で支援活動をしている人が、こういう葛藤を抱えながら毎日支援活動をしているのか、と。だからこそ、独善的にならず、現地の人たちを尊重した、丁寧できめ細かい支援ができるんだと感じました。

「何が本当に良いかは誰にもわからない。だから、私も自分がやりたいと思ったことをやろう。」

Maaaruの理事長とツアー参加者の皆さん、NPO法人テラ・ルネッサンスの皆さんと(道中の国立公園のサファリにて。後ろはキリンの群れ)

先人から受けた恩をつなぐ人になりたい


ウガンダを訪問して強烈に湧き上がってきたのは、「ぬるい。ぬるい。ぬるすぎる。私は今まで何をしてたんだろう?」という、ヒリヒリするような気持ちでした。悔しいような、情けないような、上手く表現できる言葉が見つからないけど、とにかくいろんなものが悔しかった。目の前の圧倒的な不公平も、恵まれた環境でぬるい生き方しかしてない自分自身も。

日本に帰ってきて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、泣きました。「え。なんでそうなるの?」って、思う人もいるかもしれないけど、そのくらい、生きてる世界の次元が違ったんです。

ウガンダの人たちは、日本のような快適な生活環境もない。水の衛生状態もよくない。(身体の弱い子どもは5歳まで生き延びられなくて、自然淘汰されてしまう、という話も現地で聞きました。)ご飯だってお腹いっぱい食べられない。日本のような温かいふかふかのベッドで眠ったこともない。怪我や病気をしても、病院も薬もない。(ある学校で出会った5歳くらいの女の子は、脚にひどい怪我をしていて、膿んだ傷にハエがたかっていました。)

支援先のグルの学校。右手の藁葺き屋根の小屋が、遠方から来る学生用の宿舎。床に敷いた1枚の布団で2人が寝泊まりしている。
カメラを向けると集まってくる。子どもたち元気で可愛い。
首都カンパラにある集落のダンスコミュニティを訪問。
現地で出会った女の子
どうにかしてあげたいけど、薬がない…
訪問先のコミュニティにて。ダンスを披露してくれて、一緒にダンスバトルしました笑


日本にいる私たちは、友達と「また来年ね!」と1年後に再会できることに何の疑問もないけれど、ウガンダの人にとっての1年はまったく違う。「1年なんて長すぎるよ。お互いまた元気で会えるかもわからないのに…」こっちの感覚の方が、当たり前なんだと知りました。

私はたまたま日本に生まれたというだけで、全財産を失っても死ぬことはないけれど、ここにいる人たちはそうじゃない。死んじゃうんだよ。どうしようもないくらいの、圧倒的不平等が目の前にあって。

快適な生活環境。どんなに失敗しても、全財産失っても死なない奇跡のような国。

そんな恵まれた環境にいながら、「挑戦するのが怖い」とか「人に悪く思われたらどうしよう」とか「自分には無理なんじゃないか」とか、大してやってもいないくせに、すぐ結果が出ないとへこんだり、悩んだり。それってぬるいから出来るんだよ。どんだけ自分のことしか見えてないんだよ。

お金も、モノも、学ぶチャンスも、安心して暮らせる環境も、命の保証さえも、ないものだらけの環境にいる彼らの方が、ずっと明るく前向きに生きてて、与えられたものに感謝してて。

私は温かいベッドで眠ることも出来るし、ご飯もお腹いっぱい食べられる。お風呂に入りたければ、温かいシャワーが24時間使える。そんな環境にいて、大した努力もせず、どうでもいいことで悩んでるなんて、いいご身分だよね、私。

挑戦して結果が出ないのが怖い?人の目が気になる?贅沢病だよ、そんなの。欲張りなんだよ。ウガンダの人たちは、へこんだり悩んだり鬱になったりしてる余裕なんてないよ。ぬるいから、余裕があるから、どうでもいいことで悩むんだよ。

自分に対して、そう思わずにはいられませんでした。マジで頭ガツンと殴られた感覚だった。


ちなみに、今回訪問したウガンダの職業訓練施設の人たちは、東日本大震災のときに、日本を支援してくれています。

ブルンジ出身で、ウガンダの元子ども兵支援に従事していた現地職員トシャ・マギーから、日本への一本の電話が入った。「津波が町を飲み込んでいる映像をニュースで見た。あんな心の優しい日本人が、遠く離れたアフリカの元子ども兵たちを支えてくれている日本の人たちが、辛い思いをしているなんて信じられない。だから、ウガンダ事務所の職員や、支援プロジェクトを卒業していった元子ども兵たちと話し合った。そして、今まで日本の人たちに助けてもらった恩返しをすると決めた」。そう話す彼女は、5万円にもなる日本への寄付を集めてくれた。この5万円という金額は、ウガンダでは公務員の月給の8倍以上にもなる金額だ。
「このおカネで毛布を買ってください。きっと、東北は寒いはずだから」

HUFFPOST 震災後の一本の電話、アフリカからの5万円-「自国第一主義」の世界で より抜粋


私は「慈善事業は一部のお金持ちがやること」だと思っていました。でも、全然そういうことじゃなかった。「世界平和」とか「慈善事業」って、何か特別なことでも、一部の資産家がやることでもなくて、私たち一人ひとりが本来持っている、愛とか他者を思う優しい気持ちの体現なんだと思いました。

私がウガンダのドネーションツアーで見たものは、現地の人たちの幸せを願って、学校を建設し、一人ひとりと向き合いながら、日々現場で支援活動をしている人たちがいるという事実。

そうして建てた学校や支援の仕組みが、今も現地の人たちの人生を支え続けていて、そのことに、日本に、こんなにも感謝してくれている人たちがいるという事実。そして、日本が困ったときには迷わず手を差し伸べてくれる温かいつながり。

少年兵・少女兵という過酷な経験をしても、ないものだらけの厳しい環境の中でも、この世界が良くなることを願って、今この瞬間を懸命に生きている人たちがいるという事実。

ドネーションツアーで世界中をまわりながら、事業を作って社会貢献し、そうして得たお金を、学校を建設したり他の人たちを応援するために使って、この世界をより良い場所にしようと動いている人たちがいるという事実。

訪問先の支援校で、子どもたちと一緒にワークショップをする参加メンバー


ウガンダに来て、この事実を目の当たりに出来て、本当に良かったと思いました。もしあのときドネーションツアーに申し込んでいなかったら、この現実を知らないままだったら、私はきっと今でも半分眠ったまま生きてたんだと思う。

自分が与えられているものの価値を、学べることの有り難さを、人間の強さと温かさを、たくさん気付かせてもらいました。

私は一生かかっても返しきれないくらいのものを、既にいろんな人から与えてもらってきたし、たまたま日本人に生まれたというだけで、先人たちのおかげで随分得をしてきたので、先人たちから受けた恩を、次の世代につないでいける人になりたいと思いました。

100万円寄付してコンゴ民主共和国に学校建設をしてみた


ウガンダで教育支援の現場を見せてもらったあと、「私も実際に寄付をして教育支援をしてみたい!」と思い、ウガンダのお隣のコンゴ民主共和国に100万円を寄付して学校建設をすることにしました。コンゴ民主共和国への支援もテラ・ルネッサンスの方たちが担当して下さっていたので、「せっかく寄付をするのならこの方たちに託したい」と思い、お願いすることに。



それから半年後、年末年始で実家に帰省する途中の新幹線の中で、「コンゴ民主共和国に建設していた学校が完成しました」というメールが、Maaaruの事務局の方から送られてきました。メールに添付されていた報告書と、新校舎の前に並ぶ子どもたちの写真。それを見た瞬間、鳥肌が立って、新幹線の中なのに、涙が止まらなくなりました。

コンゴ民主共和国に建設した学校

自分でもなんでかやっぱりわからないけど、全身の細胞が震えるようなあの感覚は、今まで体験したことがなくて。今でも上手く言語化できないけど、あえて言葉にするとしたら、「この世界の誰かに僅かでも貢献できた喜び」みたいなものなのかな、と思います。

何が本当に良いかは誰にもわからない。でも、その時確かに誰かの幸せを願う気持ちがそこにあった。だから、今目の前に学校が存在している。

ウガンダで見てきたこの事実が、私にとっては途方もなく尊くて、「愛はこうやって時空を超えるんだな」と、強烈に実感した体験でした。上手く言えないけど、言いたいことにすごく近いものが漫画の中にあったので貼っておきます。↓


チ。ー地球の運動についてー 第3巻より引用

これって「文字」だけじゃないと思うんです。現地の人たちの幸せを願って建てた「学校」も、人に対しての「親切」や積んできた「徳」も。時間と場所を超越して、後世に残り続ける。


海外に行く機会が多い人は共感してくれるかもしれないけど、私は「日本人に生まれた」ことの恩恵を、海外で感じることが多くて。例えば、大学時代、ロシアに留学していたときも、私が日本人だとわかると、「日本の文化は素敵だよね!」「ポケモンもドラゴンボールも好きだよ!」と、一定のリスペクトと興味を示してもらえることが多かった。

他にも、「日本人(日露戦争で捕虜になって現地の収容所で労働に従事していた日本人)が建てた劇場は、地震が起きても建物が崩れなかったって聞いているよ。日本人は仕事が細やかで丁寧だよね」とか、「トヨタが工場を建ててくれたおかげで雇用が増えて助かってるよ」とか、言ってもらえる機会が多かった。白人社会の中にアジア人がいると、差別されることももちろんあったけど、顔も知らない先人たちの積んできた徳の恩恵を、今自分が受けているんだと感じることが多かった。

寄付をして建てた学校の報告レポートを見て鳥肌が立ったのは、先人たちから受けた恩を、ささやかでも次につなげられたことが嬉しかったからなんだと思う。

こうやって誰かのために何かが出来ることは、今の時代を生きている人間の特権だと思う。

マジで「百聞は一見に如かず」


ここまでが、「慈善事業?世界平和?私には関係ないね」と思っていた私の価値観が180度変わって、「世界平和」をライフワークにしようと思ったまでの一部始終です。マジで「百聞は一見に如かず」だと思いました。もちろん、ドネーションツアーだけで全部が変わったわけじゃなくて、そこで出会った人たちとの関わりや、そこから広がったご縁や経験を経て今の自分が出来ているけど、間違いなく大きなターニングポイントになった体験でした。

私は「支援者」という立場で行ったけど、寄付した100万円よりも、得たものの価値の方が、ずっとずっと大きかったです。

世界の見え方が変わって、やるべきことが出来た。人の目を気にするんじゃなくて、自分が本当にやりたいことをやろう、と行動できるようになった。人生の価値観が変わった。日々の生活の中で「幸せだなあ。ありがたいなあ」と思うことが増えた。心から尊敬・共感できる仲間が出来て、人生の冒険が楽しみになった。特に、ウガンダへのドネーションツアーで出会えた仲間とのご縁は、私にとっては人生の宝物です。

ただお金を稼いでドヤってるだけの経営者には1ミリも興味はないけれど、世の中に貢献してお金を稼いで、そのお金を他の人たちを応援したり、この世界をより良い場所にするために使って、一生懸命動いている人は、最高にかっこいいと思う。私もそんな人になりたい。

私はたまたま初めてドネーションツアーで行った場所がウガンダだったので、今回はウガンダでの体験を書いたけど、どこの国に行っても、学ぶこと、考えさせられること、価値観が変わる体験の宝庫でした。貴重な機会を下さったMaaaruの皆さま、NPOテラ・ルネッサンスの皆さまには、本当に感謝しています。(現在も時々ドネーションツアー開催されているので、興味がある人はぜひ参加してみてください。)

私が現地で見たものがすべてじゃないし、今回の話を美化したいわけでもない。簡単に言語化したり、結論づけられるようなものじゃない。ただ、自分の人生の外の世界を知ることは、物凄く可能性を広げてくれるし、きっと凄く人生を豊かにしてくれるんだと思う。

今この瞬間を生きてる生身の人間のパワーは、どんな映画や漫画の名作でも味わえない。だからこそ、大切な人にほどぜひ現地で体験してみて欲しい、と思っています。

「世界平和」や「慈善事業」への臨場感がなかったからこそ、実際に現地に行ってみたわけだけど、その選択は正しかったなと自分でも思います。普段の行動範囲の外に出ると世界が広がる。コンフォートゾーンの外に出ると人生が面白くなる。だから、これからも自分の世界の外にどんどん出て、新しい経験を積んでいきたい。

みんながそれぞれの役割を全うし、豊かさが循環する世界を作りたい


私にとっての「世界平和」は、「途上国支援」のことじゃなくて。この世界の人たちがみんな、自分のやりたいことをやって、自分の役割を全うして、豊かに楽しく生きる世界を作りたい。「自分さえ良ければいい」って利己主義になるんじゃなくて、私たちが本来持っている温かい心をまわりに向けられる。お互いの存在に感謝して、応援し合える。そういう、温かくて優しい世界になったらいいなあと、そう思うのです。

別に慈善事業しなきゃいけないわけじゃなくて、自分の好きなことを追求するのも、ハッピーに生きるのも社会貢献だと思う。

私のまわりにも、いろんな個性と興味・関心を持った素敵な友人たちがたくさんいます。サウナだったり、ITだったり、不動産だったり、美容だったり、食だったり、ビジネスだったり。いろんな価値感と感性を持った人たちがいるから、この世界はカラフルで美しいんだと思う。

私の場合はそれが「世界平和」で、みんなが楽しく、自分のやりたいことを全うして世界に貢献して、豊かさが循環していくような、一部の人だけが豊かになるんじゃなくて、みんな兄弟のように仲良く応援しあって生きていけるような、そんな世界を作るために自分の人生を使いたい。

こういうこと書くと、「綺麗事」とか「非現実的」って思われるかもしれないけど、目の前の現実が0.00001%でも世界平和に近づくなら、別に自己満でもいいやって思ってる。(ちなみにここまでの話、いい奴ぶってる訳じゃなくて、全部本音しか書いてない。いい奴ぶってる界隈の中でいい奴じゃない人はたくさんいるけど、私は本当にいい奴なんよ(笑)そこは自信あるw)

他者貢献は命の表現

他者への貢献は、自分の命の表現。この世界を自由に歩き回れる間に、自分の命をどう使い、この世界に何を生み出すか。

自分がこの世界に生み出す言葉は、誰かを傷つけたり非難するためじゃなくて、大切な人たちに愛と感謝を伝えるために使いたい。言葉は人間が使う魔法だから、どうせなら大好きな人たちの人生が最高になる魔法をかけたい。

自分の残りの時間は、この世界の愛の温度が少しでも上がることに使って、大好きな人たちと思いっきりいろんな経験をして、心が震える場所で生きていたい。

10月19日〜22日、スリランカで花火大会を開催します

世界平和活動の一環として、10月にスリランカで花火大会を開催します。花火を見たことがないスリランカの子どもたちに打ち上げ花火をプレゼントして、子どもたちの夢を一緒に応援する企画です。日本からも参加者を募ってドネーションツアーを組みます。

花火は「平和の象徴」でもあるそうです。戦国時代、戦争のために使われていた火薬を、平和な世の中になって市民の娯楽のために転用されたのが花火の始まり。ベルリンの壁が崩壊する数年前に、日本の花火師さんが現地で花火を打ち上げ、「西からも東からも見える景色は同じ。空には境界線がない」というメッセージを世界に発信した、という歴史もあります。

今回の花火大会は、ウガンダのドネーションツアーで出会った仲間と一緒に開催します。スリランカへの寄付や事業を通して良好な関係を築いてくれた先輩方や、企画に共感して協力してくれる現地の関係者の方、たくさんの方のご協力で花火大会ができます。私が体験させていただいたような一生忘れられない体験を、参加してくれた方や現地の子どもたち、関わってくれた方々に届けられるよう、全力で頑張ります。(今本業がツアー会社みたいになってるw)

こちらからドネーションツアーの案内をしているので、今回の話を読んで、「日常の外の世界を体験してみたい」「ドネーションツアーに行ってみたい」と興味を持ってくれた方がいたら、ぜひ一緒に行きましょう。今回は、子どもたち約500名、保護者の方を入れると1000名近くの方と、現地のメディアも来てくれます。(参加者さんも1人約10発、打ち上げ花火を上げていただきます。花火大会に「見る側」じゃなくて「打ち上げる側」で参加するの、なかなか出来ないし面白い体験だと思います)

ここまで長文をお読みいただきありがとうございました。普段あんまりこういう話しないんですが、一人でも共感してくれる人、世界が広がったなと思ってくれる人がいたら嬉しいです。一緒により良い世界を作っていきましょう。

Be the change that you wish to see in the world.

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