見出し画像

映画「David Bowie is」感想

「彼は何者なのか?」
それがこのドキュメンタリー映画のタイトルだ。

2013年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で5ヶ月に渡って展示され、チケットは瞬く間に完売、入手困難となった展覧会のクロージングイベントの模様を収めたドキュメント。

地下鉄サウス・ケンジントン駅のホームから映画は始まる。BGMは「フェイム」。
そしてナビゲーター役の男女が登場。美術館の学芸員といっても日本と違い、ほどほどにくだけた感じがいい。

クロージングイベントなので通常の来場者はいず、展示に見入る姿をした沢山のマネキンが設置してあった。
思ったより大きな会場ではないようだが、その内容のボリュームたるや圧巻の一言だ。

展示の中央を飾るのは、あのカンサイの黒のエナメルスーツ。
そして懐かしいジギーのステージ衣装に「アシェズ・トゥ・アシェズ」のヴィクトリアン・クラウンの衣装も!
どの衣装も驚くほど保存状態がよく、まるで衣装自体に生命が宿っているかのよう。

シン・ホワイト・デュークの白いシャツと黒いベストは画面越しだが新品同様のように見えた。
白いカラーは真っ白で、糊付けしたてのようにぴんとして、黒いシルクベストは艶やかな光沢を放ち、とても40年前のものとは思えない。

ただ画面の端にちらりと映っていた78年ツアーの白いシャツとシガレットパンツは薄い素材のせいか、さすがに経年を感じるものだった。

この保存のよさに驚いていたら、なんと子供時代のコレクションまで多数展示してある。ほぼ60年前のものだ。
なんでもない、どこにでもあるおもちゃだけれど、捨てないでこんなに大切にしまってあるんだ!
イギリスの人だからなのか、衣装の保存のよさからしても、ボウイさん、すごくものを大切にする人なんだな、と大感激。

常に変化を追い求め、さまざまな変容の中でファンをあっと言わせてきた「Changes One」は、その瞬間瞬間をとても大事にする人なんだ。
また自分の偉業を誰よりも認識し、将来このような回顧展の開催を見据えていたのかも知れない。

それから、大学ノートに手書きされた歌詞(何度も何度も「可愛い字」と言われていたw)。
推敲のあとも沢山あって、あの名曲の数々がこうして実際に作られてゆく瞬間をリアルに感じることが出来、鳥肌ものだった。

来場者の女性が「まるでボウイがすぐそばにいるみたい…」と言っていたけれど、私も本当に自分があの場所にいて、彼の息遣いまでもが聞こえるような気がした。

衣装も、歌詞ノートも、すべてが彼の魂の分身だ。

あぁもう、この会場まるごと世界遺産にしなさい!!

そして、10代の頃から描かれたイラストの数々。ボウイがとても絵が上手いことは知っていたけれど、画家としても十分に名を成したんじゃないかと思うほど。
ベルリン時代に描かれたイギー・ポップ(ジェームス・オスターバーグという本名で紹介されていた)や三島由紀夫の肖像は凄まじい迫力、そして「この色、どうやって出すんだろう?」と思うほど複雑な色使い。 絵の個展をやってほしいくらいだ。

イラストの中には、舞台構成のプロットもあった。空間構成の見事さ。
アルバム「ダイアモンド・ドッグス」は舞台でやる予定だった、ということを初めて知った。
オープニングの「これはロックンロールなんかじゃない、大量虐殺だ!」という叫びが流される。
「ダイアモンド・ドッグス」はジョージ・オーウェルの「1984年」をモチーフにしたトータル・アルバムで全編ミュージカルのような雰囲気があるのはそういう事だったのか。

また後年の「アシェズ・トゥ・アシェズ」のモチーフとなったイメージが、とても若い頃に描かれたイラストの中にある、というのも驚きだった。

このように、長年ファンをやっていても知らなかった事実が次々と明かされる。
単なる「こういう回顧展でした」という紹介ビデオではなく、ひとりの人間デヴィッド・ボウイの人物像に迫るつくりが素晴らしい。
展示だけではなく、過去の貴重映像に当時の関係者や本人の肉声インタビューも随所に織り込まれ、もちろん全編通して彼の名曲が散りばめられている。

彼が生まれた当時の生地ブリクストンの映像が映ったが、そこは戦後の東京や大阪と全く同じ一面の焼け野原。
裸足で歩くみすぼらしい子供たちの姿。
なんとか復興したものの、そこは郊外の文字通り何もない「退屈な場所」。
しかし戦後の傷ついた人々の心には、その「退屈さ」こそが有難いものだったという。
そんな場所でひとりの男の子が元気な産声を上げた。

彼がいかにしてスターになっていったか。10代の頃から、当時の恋人ハーマイオニーに「必ずスターになる」と話していたそうだ(「歌手に」ではなく明確に「スターに」である)。
16歳の頃、スーツ姿でポーズを決めて、ドラムセットに腰掛けて優しく微笑む可愛いデヴィッド・ロバート・ジョーンズ君はまさにデヴィッド・ボウイの雛形だ。
僅か16歳で完璧なまでに完成されまくっていた。

少年時代の彼は「読書家に見られたくて」いつも本を持ち歩いていたという。
でも実際には読んでなくて「あとでちゃんと読んだよ!」としれっと言うのが可笑しくて笑ってしまったw

そして10代後半からさまざまなバンドを組むがパッとせず。ソロデビューアルバムは不幸にもビートルズのサージャントペッパーか何かと発売日がかぶり、ほぼスルーされてしまった。
しかしアポロ月面着陸に世界中が沸き返る頃に発売された「スペイス・オディティ」で大ブレイク。

「艶やかな化粧をした若い男」に対する世間の反応は様々だが、彼のコンサートにはおよそロックとは無縁のような、とても高齢の人たちも訪れるのが特徴だった(※これは日本でも同様)。
そして「ジギー・スターダスト」が発表され、彼の名声は不動のものとなり
年収50万ポンド(現在の価値でいくらぐらいかは知らん)の大スターになった。

その成功に満足することなく、彼はハマースミス・オデオンでのステージで、もう2度とステージには立たない宣言をする。
泣き叫ぶ観客たち。
これは後に撤回されるが「ジギーとしてのステージはこれで最後」という意味なのでまあウソではない。
こうしてジギーを封印した彼は、その後もアルバムごとにあっと驚く変容を遂げてみせる。
ある時はダイヤモンドを身にまとい、飢えた街を駆け抜ける犬、ある時は痩せっぽちの白い公爵。
楽曲も、パフォーマンスもひとつとして同じイメージのものはない。

回顧展では「過去へ葬り去られたジギー」という意味合いで、棺のようなショーケースの中に当時の衣装が納められていた。
この他にもジギーの衣装は多数展示され、蜘蛛の巣をイメージした、全裸に糸をまとっただけのようなきわどい衣装は当局の検閲を受け、 股間部分を隠す手のモチーフが問題になって急遽デザイン変更され、大急ぎでレギンスが作られたという(笑)

ボウイはさまざまな変容に伴い毎回そのイメージにぴったりハマるアーティストを探し出し、有名無名に関わらずその相手と組む。最高のパフォーマンスを生み出すために。
その一人が山本寛斎だ。

クロージングイベントに特別ゲストとして登場した彼は、上気したように興奮しながら(これがこの人のデフォなのかも知れないがw)、まるで昨日のことのようにありありと当時を振り返る。
深夜に関係者から突然の電話を受け、衣装デザインについて6時間説得された。
そしてボウイのいるアメリカに飛んで打ち合わせ。

一緒に長い時間を過ごし、いろんな場所に同行したが、当時は今より英語が出来なかったので会話はほとんどない。
それでも、自分の衣装を身にまとい巨大ミラーボールに乗って空中からステージに降りてきた彼の姿を見たときに
「魂がひとつになった」と心から感じ、感極まったという。

この回顧展、そしてこの映画は「一大ボウイグラフィー」と呼ぶのに相応しいものだった。
時系列に沿って紹介される彼の音楽、パフォーマンスを見ていくうちに、あらためてその偉大さが浮き彫りになる。
50年近くの長きに渡り常に第一線であり続けたその屈強無比な精神力も。

イベントのゲストとして、どこかの大学の教授がステージに立ち、現在の自分の人生の基点は子供の頃に見たボウイの存在にある、と言っていた。

ボウイはその長い長い活動期間のうちに、世界中のどれほど多くの人たちの人生に、計り知れない影響を与えたことだろう。
この人の存在を知り、夢中になれば、もうそれまでの人生には戻れず自分本来の可能性を探す旅が始まるような気がする。

「David Bowie is」。あなたにとってのデヴィッド・ボウイとは?
映画の終盤、訪れたファンたちはこんなインタビューを受ける。答えはひとりひとりによって違う(「私のものよ!」なんて言ってた女性もいたw)。
こんな質問、咄嗟にされたら私ならなんて答えるだろう。慌てて「エンジェル!」とか答えるかなw

そしてクロージングイベントもお開き間近になってサプライズ・プレゼントが届く。
それはなんとボウイのブロムリー・テクニカル・ハイスクール時代の成績表。
やっぱりイギリスの人は物持ちいいんだ!(笑)

担任の先生からの評価は、一年次は「物静かで勉強熱心」それが五年次になると「完全なる目立ちたがり屋」(笑)
よりにもよってお開きにこんなネタ持ってくるとこがまた素晴らしすぎる♪

笑いに包まれたところで、フィナーレは2001年のNYでのテロ直後。
市民を激励に訪れたボウイがあの凄惨なテロ現場で歌った歌は「HEROES」だった。