見出し画像

David Bowie is @ 寺田倉庫①

品川駅の港南口(東口)から、インターシティ沿いのスカイウェイという遊歩道のような道を歩いてゆく。
このあたりは大阪の京橋に少し似ていて、ふと13年前の「リアリティツアー」のことが頭をよぎった。

陸橋から地上に降りて八ッ山公園という公園を横切り、IGINビル本社の大きな建物を右手に見ながら楽水橋という橋を渡る。
このあたり何かと目印になるものが多く、超方向音痴な私でも迷わないのは非常に有難い。

しばらく歩くと外国の運河のような場所に辿り着き、運河にかかる「ふれあい橋」を渡ればそこがもう天王洲。駅からおよそ徒歩15分というところ。

倉庫街、といってもそこは東京らしくお洒落な設えのカフェなどが併設してある。
橋を渡ったら目の前の通りをそのまままっすぐ直進し、信号を渡ればそこに目的の寺田倉庫G1ビルがある。
信号の手前から大きなアラディン・セインの看板が確認出来るので迷うことはない。

到着は9時半前。
当日券を待つ女性が数人ちらほらと。

平日は空いていて、当日券で全然オッケーと聞いていたが本当に思った以上に楽勝である(が、これも日によるようで前日はとても混んでいたらしい)。

よく晴れてはいるがこの場所は強い海風が吹きつけるので、じっとしているとかなり寒い。
ともかく我慢しながら、まわりの女性たちとお喋りをしているうちにほどなく開館。

34人乗りというエレベーターで5階まで行き、そこでまた列を作って暫く待たされヘッドフォンの説明を受けて手渡され、ようやく入館。

まず目の前に出現するのはおなじみの山本寛斎氏による黒のエナメルスーツ
「TOKYO POP」。
この衣装がデザインされてからかれこれ43年が経つ。
というのに驚くほど経年劣化が見られない。

まるで1973年あの当時のままのようにつややかで、ピンとした素材のハリも感じられ、年月の経過をまるで感じさせず、衣装自体が生きているように見える。

このような素材は劣化すると崩れて目も当てられなくなりそうなのに、何か異次元から特別な力でも働いているのか(^_^;
…は冗談として、おそらく温度や湿度管理に細心の注意を払い、定期的なメンテが施されているのかも知れない。

これ以降は、特に展示順に見なければならないわけではないので、混んでいるところは飛ばして空いている場所から先に見ていくことにする。

TOKYO POPの展示から先へ進み、右に曲がるとまず第一の部屋は10代の初々しいデヴィッド・ジョーンズ君の部屋。
彼がこの世に生を受けた「スタンフォード・ロード」の看板に出迎えられる。
あの映画でも見た、赤ちゃん時代の写真や、子供の頃に大切にしていたおもちゃ。

赤ちゃん写真は、実際の写真ではなくコピーか何かのようで画像がとても小さい上にセピア色に色あせていた。
そりゃあね、70年前のものだもんね(^_^;

あと、「ロンドンボーイズ」と「ラフィングノーム」の手書きスコアの展示もあった。

次の部屋から、彼はスター街道を登りつめて行く。

ブレイクのきっかけとなった最初の作品「スペイス・オディティ」
ここでは最初期のPVが流され、その手前にギター・パートとバイオリン・パートの2種類の手書きスコアが展示されている。

スコアの後ろには、やはり子供時代のおもちゃだろうか、ブリキ製のようなふたつの宇宙船があり、こちらも新品のようにピカピカの状態だった。
特殊な再生加工が施してあるのかも知れない。

すぐ左の壁には、1979年にTVでこの曲を歌ったときに着用した、という
宇宙服を思わせるようなカーキ色のジャンプスーツが展示されていた。
おそらく数回しか着用されなかったのか、新品同様の完璧な保存状態で
生地にはボウイさん手描きのいたずら描きのようなイラストが施されて、
胸元には可愛らしい3基のUFOのバッジがつけられていた。

そして次のスペースでは、BBCライヴで「STARMAN」を歌ったときの衣装が飾られ、その後ろではその時の映像が大画面で流されている。

「おはよう日本」での特集でも流れていた、お客さんに向かって茶目っ気たっぷりに「YOU!」と指差す仕草。
これはすべてのお客さんに自分だけを指差してるように見える仕掛けがしてあるということだった(鏡を使って、実際の映像の左右に同じ画面を映し出している)。
もう嬉しくなって、何度も指さされに行っちゃった(笑)

同じコーナーの右手側には「STARMAN」の手書きの歌詞も展示されていた。
その両側には「Oh ! You Pretty Things」「5 years」の手書き歌詞も。
「STARMAN」は確か青い方眼紙にあの可愛い丸文字で、歌詞の一番最後に
「ends!」と書いてあるのがもう可愛くて可愛くて。

前夜あまり寝ていなかったせいもあり、この時はもう本気でその場で卒倒しそうになった。

次の部屋が今回の展示のメインスペースであろう。
中央にはブリットアウォードで名代をつとめたケイト・モスに着せていた
うさぎ柄の衣装が「壁のマイム」のポーズをとるマネキンに着せてあり
その上には天井から、彼が作品作りの影響を受けた愛読書の数々が吊るされていたが暗くてよく見えなかった。

その左隣には「アースリング」のジャケットで使用されたユニオンジャック柄のコートと未完成のグリーンのジャケットが並べて展示。

「イズ」の映画でもそうだったが、この衣装は彼の後期キャリアを代表するような大きな扱いだったように思う。

このスペースからは順路が曖昧になり、上記二つの展示を中心にして、同心円状にぐるりと衣装が並べられており、年代順というわけでもないので、順番は無視して好きなものから見ていくことが出来る。

(この円形状の展示により、私の中で「胎蔵界曼荼羅」というイメージが膨らんだのかも知れない)

うさぎ衣装のちょうど向かいには、舞台化を試みていた「ダイアモンド・ドッグス」の「ハンガー・シティ」の手書きプロット。
ちょっとグロテスクなイラストで、かなり詳細に渡って具体的に作りこまれており、ボウイのこの作品の舞台化にかける本気度、強い思いが伝わってきた。

その近くには当時のステージ衣装なのか、ヒール部分が水色で全体が黒の膝丈エナメルブーツが展示してあり、上から覗き込むとその足の細さが非常にリアルによくわかる。

TVドラマになった「バール」の衣装も飾ってあった。

展示と展示の間には目立たない小さな小部屋状になったスペースがいくつかあり、ついつい通り過ぎてしまいそうになるのだが、その小部屋に中には彼の全作品のLPジャケットの展示とともに「ロックンロール・スウサイド」の手書き歌詞がいきなり地味に展示してあったりして思わず度肝を抜かれたり。

このように、一巡目では気づかず何周もするうちに思わぬすごいお宝に出会う感覚は何か既知感があるなぁ…と思ったら「カルディ」だ(笑)
この薄暗さといい、あまり整然としていずあるべきところにちゃんとない感じとかがまさにそうではないかw
ちなみに、私はカルディでのお買い物も「胎蔵界めぐり」と呼んでいるʬʬ

寛斎さんの「出火吐暴威」マントは、マネキンが着用した状態で、スウサイド小部屋の屋根部分(「アースリング」衣装の向かい)つまり天井に近い部分に飾ってあったが、出来ればもっと間近に見たかった。

マネキンの顔はのっぺらぼうのものもあったが、ほぼすべてにシルバーに彩色されたボウイのデスマスクが使用され、ボディは白一色だった。

往時の衣装をこうして目の当たりにしてあらためて、その規格外の細さに驚愕した。
正確に言うと「細い」というよりも「骨が小さい」のだ。
骨格が普通の人間よりひとまわり小さく出来ている。

あのうさぎ衣装を来たマネキンが最初に目に飛び込んで来たときには
「ええっ?子供…???」と心底びっくりした。

手足がすらりと長いので身長はあるが、胴体とウェスト部分の小ささはまるで第2次性徴期前の12、3歳の、そう、中一か中二の子供の体型なのだ。
パントマイムで鍛えた太ももは写真などではムキムキしているが、マネキンのそれはやはり少年の脚。

(※公式ウエストサイズは67センチだそうだが、実際はもっともっと小さいのではないか)

実は私はボウイさん来日時に、幸運にも何度も間近にお見かけしたことがある。
その時は大抵ゆったりとしたスーツ姿だったので、まさかここまで子供のような体型だとは知らなんだ(^_^;(あと公式の身長178㎝は多分嘘だと思う。せいぜい173㎝くらいだ)

白人の成人男性でこんな体格ありえへんやん。やっぱりこの宇宙人やん。
華奢とか細いとかスタイルいいとかではなく、もうはっきり言っちゃえばフリークだ。

そしてこの体型なら、どれほど肌を露出したエロティックな衣装を身にまとっても、現実感の希薄さから決してエロくはならず、むしろチャーミングな妖精のように見えたのではないか。

それから展示室の一番奥まった目立たない部分には様々な手書き歌詞の展示。
これはワザと地味に飾ってあるのか…「レディ・スターダスト」に始まり「ジギー・スターダスト」「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」「スケアリー・モンスターズ」「ファッション」そしてティンマシーン時代の隠れた名曲「アムラプーラ」などの手書き歌詞が一挙に展示してあった。
ものすごーくさりげなく。

もうこれはファンなら鼻血を出して卒倒必至である。そんな人が続出しては大変なので、わざと目立たなくしているようにしか思えなかった。

その右のスペースは「スケアリー・モンスターズ」のジャケットデザインを大きく拡大した展示。
ガラスケースには「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」の様様なイメージイラスト(ボウイさん手描き)と同曲のシングルジャケットが展示されている。

このシングルジャケットは私も同じものを持っているのでかなり嬉しかったのだがもしかして大変なプレミアだったりするのだろうか?
仮にそうだとしても売ったりしないけどねー(笑)

それから、96年の「アウトサイドツアー」の紺の土建屋風衣装、
「シリアス・ムーンライトツアー」のペパーミントグリーンのスーツと「ハムレット」と名づけられた赤いベルベットのナポレオンコート、その後方に、同じくシリアスツアーの白、というかアイボリーの海軍風ミリタリースーツ。

グリーンのスーツの中に着用された白いシャツブラウスの襟元はかなり劣化が目立ち、時の流れとともに、あの長期にわたるワールドツアーのハードさが偲ばれるようだった。

衣装の傍らにはステージで小物として使用された骸骨が置かれていた。
白い石膏のような素材かと思っていたら、クリーム色のゴムボールのような素材、石膏じゃ移動の時壊れそうだもんね。思ったより小さなものだった。
この骸骨は「クラックト・アクター」の間奏部分でライブの度にボウイさんに何度もベロチューされていた、実に羨ましい骸骨なのである。

そして一番右側に「シン・ホワイト・デューク」の白シャツ、黒のベストとパンツ。
この白いシャツブラウスは一見シンプルだが袖部分の豊かなドレープがとても美しく、ボウイさんが動くたびに、どれほど見事な曲線を描いただろうかと思う。

そして衣装の前には「ステイション・トゥ・ステイション」の歌詞が。
前半部分はすべて一本線で消されて没にされ、最後の二行、
「The Return of the Thin White Duke…」部分だけが生かされていた。

その右側にジギー時代の艶やかなステージ衣装がまとめて展示されている。
展示方法はガラスケース内だったりむき出しだったり色々だったが、ここではガラスケースに4着が収められており、一番左の衣装だけはジギーではなく比較的最近(90年代?)の黒い上下のスーツとピンヒールのついた男性用の靴だった。

ジギー衣装は蜘蛛の巣、赤エナメルに黒い羽根、薄紫のシースルーに黒いパンツ。

あの、当局の検閲を受けたという蜘蛛の巣衣装は4点並んだうちの一番右に展示されていた。
そしてなぜか、衣装に関係なくずっと「Boys Keep Swinging」のPVがエンドレスで流れていたが理由はこのPVで口紅を拭ったときに使用されたティッシュがここに展示してあったため。
どうせならあの女装3体の衣装も一緒に展示してほしかったものだ。

また、当時の靴も衣装と一緒に展示されていたが、どれもスタイリッシュで見事な意匠、つま先までもトータルファッションとして完璧に決めていたことがとてもよくわかる。
そしてやはり保存状態がとても良い。

よく見るとかかと部分の靴底を別な素材で補強してあるものもあったが、当時の光沢は失われず傷みやすいつま先部分のスレや傷みなども少なく、大切に履かれていたことが偲ばれる。

そしてボウイさんは足のかたちまで美しいというのが、靴を見ていてよくわかる。
すっきりと横幅が細く甲も低く、足首からつま先までがすうっと繊細で滑らかな曲線を描いている。
…まったく美しい人というのはどこまでも抜かりなく美しく作られているものだなぁ。

そしてガラスケースの衣装の手前部分にさりげなく「Rebel Rebel」の手書き歌詞が。
他の歌詞のほとんどはノートに丁寧な字で書かれているが、これは切り抜いた青い色紙のようなものにざざっと殴り書きのように書かれていた。
パッと閃いてそのへんにあった紙にメモのように書かれたものかも知れない。

そのガラスケースの前に白い「ジギーの棺」が置かれていた。
白地にグリーンの幾何学模様のパンツスーツに身を包み、アイボリーのブーツを履いた姿で「ボウイ」によって抹殺され横たわる「ジギー」のむくろが。

この回顧展がロンドンで始まった2013年には、当然ボウイさんはまだご存命だったわけで亡くなってから開催されるのはこの日本が初めてなのだろうか。

「ジギーの棺」は当初与えられたコンセプトとは全く違う意味合い、全く違うリアリティを持って、今我々の眼前にある。
横たわる等身大のマネキンを見て、胸に迫るものが沸き起こってくるのはもう仕方のない、止めようのないことだ。

つづく