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一人の時間

car:ekスペース
music: TOKYO No.1 SOUL SET+HALCALI 今夜はブギーバック


“はぁ”

車内の空気を私一人のため息が揺らす。
雨粒がフロントガラスを叩くと同時に忙しなく動くワイパーが水滴を押し流していく。
無機質で均等な作動音が耳に残る。
平日が終わる金曜日の夜。私はため息を引きずって帰路についている。
夫が休みとはいえ、かなりの残業をしてしまった。まぁ、私の見通しが甘かったせいなのだけど、もう、この時間だと息子もお布団の中で夢を見ている事だろうし、家事の中で唯一料理だけができない夫は息子を連れてマックで夕食を取ったと聞いているので、とりあえず私が家路を急ぐ理由は無くなっている訳で。

だけど、家に帰ればやることは山積みで、掃除しなくても死なないと繁忙期のために目を逸らした家事たちがじわりじわりと私にプレッシャーを掛けているのだ。

“はぁ”


もう一度ため息が車内の空気を揺らす
ふと、掛かっている音楽が息子用の童謡だと気がついて、少しでも、テンションを上げようと自分で作った雨の日のドライブミュージックのプレイリストを選択する。
某社の主力自動車のCMに使われた今夜はブギバックの、リミックス曲が流れると私は癖で音量を少し上げる。アップテンポで歌詞にもある華やかな光を感じるビタミンミュージックが流れてくる。
昔から雨音と音楽が混ざるのが好きで、雨が降ると少しだけオーディオの音量あげて、雨音と音楽を楽しむのだ。

コンビニで買ったブラックコーヒーは温んできていて、冷める前に急いで喉を通していると、ふと、この曲が好きな理由が思い出せないことに気がついて、思案すると


“そうだ”

ふと、甘酸っぱい、そしてほろ苦い思い出の、社会人になって初めての恋をした人がよく車で掛けていたのだ。と思い出した。
その人は車が好きで、確かとっかかりは雨の日に家まで送ってもらったのが始まりだ。
家が同じ方向だからと、雨の日に送ってもらったのだけど、そう、先輩は全然違う私の家から反対の場所に住んでて。
私、総務やってたから社員の住所とか結構覚えてて、私が最寄り駅を伝えたら、真顔で俺も家、そっちの方だからって言われたとき、どうしたらいいかわからなくて、そのまま送ってもらって。
でも、2倍運転させる事が申し訳なくて下ろしてもらったコンビニで缶コーヒー買って渡したんだ。
その後先輩が車買い替えたって他の人と話してるの聞いた時たまたま私が前に先輩と話した車だったから、気になり初めて、何回か雨の日に家まで送ってもらって、付き合って、でもいつもデートは車関係で、よく、洗車一緒にしたり、先輩が車いじりしてる脇で私は読書したり。楽しかったな。デートは基本ドライブで、でも、運転する先輩の横顔見るのが好きで、そうだ。


“ふふっ”
懐かしい思い出に頬が緩む

その先輩がまだ好きとか、未練とかではなくて、お別れも納得して別れたし、、、実際未練はあったのだけど、それを言葉に出せるほど子供でも、疲れ切ってキャパオーバーの先輩を支えられるほど大人でもなかった私は、せめて綺麗に身をひいて、先輩をこれ以上煩わせない様ににっこりと笑ってお別れを告げて、いつもは先輩に車で送ってもらう家路を最後に、送って行くという先輩の言葉を振り切って部屋から飛び出して、その帰り道大泣きして帰ったのだ。

私はもう結婚して夫も子供いて、そう、そんな出来事すら綺麗な思い出になっている訳で。

そんな回顧に、心を巡らせながら運転していると対向車がパッシングで私を先に左折させようとしてくれる。ここの道はインター降りてすぐで左折がしずらいのに優しいなと思うと車を見ると、LEXUSのクーペが道を譲ってくれたのに気がついた。


“レクサスのクーペなんて珍しい。スポーツタイプでシーケンシャルウィンカーだから、RCの、最近のやつ?”
などとすんなりと車名が出てくるのも、そうだ先輩のおかげどいうかせいなのだけど。
マーチも知らなかった私は先輩に大爆笑されて、それが悔しくてCMとかで車の種類を見始めたら面白くなってしまってどんどんハマっていって、今ではいっぱしのモータースポーツファンになってしまっていて。


バックミラー越しでみた多分、RCと思われる、クーペはそれはもう雨の降る街によく似合っていて白い車体がふんわりと浮き上がって柔らかに光っている様はもう、神々しいと言っても差し支えのない美しさで

そう、この私の車も雨に合うの

三菱の深いブルーは雨によく合う。
私が人生で初めて家族以外の人の車の助手席に乗ったのは三菱のランエボの青色だった。
今思えばインプが青でランエボは白でしょと思うのだけど、でもうん、ランエボの青は雨によく合う。しっとりと濡れてワントーン落ち着いた青は夜の帳の落ちる直前の冬の空の様で、さっきのRCのは、逆の性質の美しさがあった。

私が初めで買った愛車は赤のマーチで、それこそ先輩と付き合う前に先輩からお薦めされて、買ったんだった。先輩とお別れしてそのまま異動が決まって車を一度手放して。あのマーチを手放した時、本当にあの恋もちゃんと終わって、私の手を離れたって思えたっけ?
そして、もう一度地方に異動した時に買ったのがこのekスペース。
一眼見て青に惹かれたと思っていたけど、遠い日の雨のランエボが目に焼き付いていたのかもしれない。今更ながら気がついたけれど。

アップテンポな曲から、ちょっと落ち着いた雰囲気の曲に変わる。気だるげというか、今風に言えばチルいと呼ばれる曲。男性ボーカルの甘い声が響く、そろそろ家に着く訳だけど、なんだか、昔好きだった先輩のことを思い出して、懐かしい様なくすぐったい様な気持ちになる。
そうだ、あのRC?先輩も好きそうな感じだな。でも、流石にレクサスには手を出してないかな?意外に結婚して奥さんに尻に引かれてファミリーカーに乗ってるかも!でも妥協はできなくてエルグランドとかアルファードとか乗ってるの


“ふふっ”

やっぱり頬が緩む。
先輩が今日も幸せに車に乗っていると良いな。なんて、この、一人きりの空間でしか考えられない。昔の恋なんて思い出す時間はそうそうないから。そういう意味では今日の残業も、悪くなかったかな?

自宅の駐車場に車庫入れすると、寝室から豆電球の光が漏れている。


さて、私の一人の時間はもう終わり。
ねぇ先輩?私初めて助手席に乗っけてもらったのは先輩だったけど、私が初めて助手席に乗っけた男の人は今の旦那なの。今はね、旦那と息子二人の大切な男の人を乗っけて自分で運転してるんだよ。
先輩も好きな車乗ってますか?素敵な車に乗って、素敵な場所にたくさん行ってると良いなって思います。


明日は、お天気だから晴天にも雨の日にも映える青色の軽ワゴンで家族3人でドライブしようかな。
家事はしなくても死なないから、素敵な景色を見に行こう。

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