第2話:悪意

身体を揺さぶられる感覚で目を覚ますと、見知らぬ床と心配そうに前足で体を揺らすねこがいた。
「ねこ…?」
身体を起こそうとするが、腕を伸ばそうとしても出来なかった。
腕を見ると、後ろ手に手錠がされている…?状況が呑み込めない。
夏目君と話してたらお母さんが来て夏目君が間に入ってくれて…そうだ、その後だ。私どうなったの。
辺りは薄暗く、窓から月明かりがさしている。目が慣れてくると、ベルトコンベアや何やらよく分からない機械があるだだっ広い広間のようなところだった。
見知らぬ男が近づいてきた。
ウゥー…!とねこが男を威嚇する。
「ああ、ガムテープが取れちゃってる…」
そう言うと男はポケットからガムテープ取り出し、ねこを蹴り上げた。
ギッっと鈍い声を出し、ねこがコンベアに叩きつけられる。
ねこ!思わず叫んで、男をにらむ。
「ねこになにするの!誰?ここはどこなの?」
まくしたてると、男は面倒そうにため息を吐き、私の身体を蹴り上げた。
軽く浮き、地面に叩きつけられる。痛い痛い嫌だ何が起こったの?
男がゆっくりと近づき、ガムテープを私の口に張り付けた。
「静かに。大人しくしけば僕は君に危害を加えないし、トイレにくらい行かせてあげる。抵抗したら次は本気で蹴る。」
いいね?と念押しされ、頷く事しかできない。
それを見ると男は満足げに頷いた。
「君は大事な商品だし、僕も傷つけたくない。見た目通り良い子そうでよかった。」
よしよしと頭を撫でられ、ゾワっと鳥肌が立つ。触られたくない気持ち悪い!
思わず嫌そうな顔をすると、男も怪訝そうな顔になる。
「え?何その目?ガキの分際で僕に触られるのが嫌だとでも言う訳?…むかつくなぁ、もう一発くらい蹴っても壊れないよなぁ。君良い子だもんなあ!」
足を振りかぶると、男のポケットで携帯がなった。男は舌打ちするも、少し怯えたような表情で電話に出て、少し離れていった。
恐怖と寒さで体が震える。涙も出てきた。ねこを助けなきゃ。でもその後は?蹴られたお腹が今更痛くなって気持ち悪くなってきた。誰か…
パニックになっていると、窓の外に人影が見えた。
—夏目君だ!来てくれたんだ!
彼は自分の目を指さした。何だろうと思って自分の目元を見てみると、青色の玉に流した涙が集まっていきスライムの形になった。水丸!
プラカードで励ましてくれる。
『ダイジョウブ フタリトモ カナラズ タスケル』
思わず夏目君の方を見ると目が合った。涙が出たけれど、不思議と震えは止まっていた。
水丸がねこの方に移動すると、はあーっとため息を吐きながら男が戻ってきた。水丸とねこを見ると、何やら会話している。今2人に気づかせるわけにはいかない。
んー!んんんー!と声を出すと、男が反応した。
「何?トイレ?」
コクコク頷く。
「…あと10分くらいらしいんだけど、我慢できない?」
首をブンブン横に振ると、男がため息をついてガムテープと手錠を外す。
「わかった。じゃあ、その角でしてきて。」
指さされる方をみると、壁際のベルトコンベアの後ろだ。嘘…
「あの、トイレは…」
しまったと思った。男の顔がみるみる険しくなる。
「ああ!?ここ工場なんだよ!?男が働く場所なの!女子トイレなんてないの!せめて見えないところでって気をまわしてあげた僕への侮辱!?」
しまった。そう思ったがツカツカ目の前まで来る。
「頭来た。もうここでしなよ。ほら脱げよ!」
無理だ。それは絶対に無理だ。どうしようと考えて、とっさに浮かんできたのは夏目君の背中だった。
「生意気なこと言ってすみませんでした。許してください。」
そういって頭を下げると男は満足そうに鼻を鳴らした。
「分かってくれればいいんだよ。意地悪言ってごめんね。」
また頭を撫でられる。気持ち悪さで震えたが、顔が見えなかったので男は「そんなに怯えなくてもいいんだよ」と勘違いをしていた。
少し離れた壁際に座り込む。何も本当にトイレに行きたいわけではない。でも私が離れれば、きっと彼が何とかしてくれる。きっと大丈夫だ。
壁際まで行くと、水丸のプラカードに夏目君からのメッセージがあった。

5分ほど経って、男が向こうから声をかけてきた。
「ねえーあんまり急かしたくないんだけどさーまだー?」
ここだ。答え方を間違えるな。
「すみません!おなかが痛くて…」
そういうとしばし沈黙があった後、ため息が聞こえた。
それを合図に、フシャァー!!とねこが男に襲い掛かった。水丸もそれに続く。
うわっ!なんだこいつら!もつれ合うも、ねこが弾き飛ばされる。それを水丸が受け止めるも、男が迫っていた。
「ガキが!僕を困らせるんじゃない!」
そう叫ぶ自身の声とねこの鳴き声で気づかなかったようだ。
非常扉の開閉音に。
「てめえこそ」
男が振り返ると、建物内にスパァン!と気持ちの良い音が響き、男が膝から崩れ落ちた。
「汚ねえ手で友達に触んじゃねえ」
ふぅーっと息を吐く夏目君に思わず駆け寄る。
「夏目君…わっ」
不意に頭に手を置かれた。
「よく頑張ったね。」
優しい声で置いた手を動かす。さっき男に触られた時は寒気がしたのに、今はやたらと顔が熱い。顔を見られたくなくて、顔を伏せたままにしているが、手が止まらない。更には両手で頭をワシワシされる。
「ちょっと夏目君…?」
たまらず顔を上げると、夏目君はそっぽを向いており、
「なんか嫌だったから、上書き」とだけ呟いた。
いつもと違い、目を合わせない彼の耳が赤いように見えた。
私を二度も助けてくれた目の前の彼は、今どんな顔をしているんだろう。回り込もうとすると、ねこが飛びついてきた。嬉しそうに尻尾をふってニャアニャア鳴いているねこを思わず強く抱きしめる。
「ねこ!ありがと!」
その様子を優しく見ている彼は、もういつもの彼だった。

「さて、とりあえずここを出よう。こいつもいつ起きるか分かんないし。」
夏目君の提案で非常扉に向かう。ドアノブに手をかけた時、後ろからガリっと嫌な音が聞こえた。
振り返って見えたのは、頭から血を流す夏目君。そして頭上にはあいつがいた。
作戦が上手く行った安堵感で、すっかり忘れていた。
私をさらった4つ足の鳴き声が工場に鳴り響いた。

「夏目君!」
「大丈夫。かすっただけ。」
口調こそ穏やかだが、痛そうに呟く。
「死なねえのかよむかつくなあ…」
倒れていた男が立ち上がり、何やらぶつぶつ言いながら立ち上がる。
「いらつくなあ。ガキのくせに、僕を叩きやがった。生意気だなあ嫌いだなあ…でも、やっぱりガキだなあ。鳥のこと忘れてたもんなぁ。」
男がフラフラとこちらに近づいてくる。
「逃げて。」
男と鳥を交互に見ながら、固まって動けない私に、夏目君が声をかける。
「そこ開けたらひたすら走って、ここから離れて。」
「でも、夏目君は」
「大丈夫。もうじき警察くるから、それまで何とかする。水丸。」
呼ばれて肩から出てきた水丸の方を向かずに話しかける。
「桜葉さんを頼む。あの鳥から守ってくれ。」
言われると水丸が私の肩に移動する。
無茶だ。大人とまともに戦って勝てるわけないし、顔は見れないけど、さっきから床に血が垂れてる。
男が近づきながらヒヒヒと不気味に笑う。
「かっこいいなあ。いいなあ。モテるんだろうなあ。羨ましいなあ…!」
ふらふらと走って近づいてきた。
「行け!」
夏目君が男に向かって走ると、頭上の鳥も私の方に向かって飛んできた。
水丸が相手の鳥そっくりに姿を変えて迎え撃つ。
衝突の衝撃で水丸の水滴が飛んできた。
それに気を取られていると、バチンッ!と竹刀の当たる音が響いた後、ゴンッと硬いものがぶつかるような音が響いた。見ると、夏目君が床に転がっている。
「おいおい、ガキの竹刀が受けられないとでも?ケガした頭を蹴られたのが痛かった?それとも、ガキじゃ大人に敵わないって知らなかったのかなぁ?しょうがないよねぇ!ガキだからぁ!」
ドンっ鈍い音がして頭から血が飛び散る。夏目君!叫ぶが足が震えて動けない。早く逃げなきゃ、でも夏目君が…
何も出来ずにいると、頭上から水が垂れてきた。見上げると、鳥になった水丸の首が落とされて、形が崩れている。
何も出来ずに震えていると、男が声をかけてくる。
「おいガキィ!逃げんなよ?君が逃げたら彼氏くん殺しちゃうよ?」
倒れている夏目君を何度も何度も踏みつける。そのたびに夏目君が苦しそうにもだえる。
「やめて!」
自分でもびっくりするくらいの大声が出る。
「…やめて?人にモノを頼む態度が分からない?」
「お願いです…やめて…やめてください」
震える声で絞り出すと、男がニヤアと笑う。
「どうしよっかなあ…こいつ生意気だし、君にも騙されたしなあ。信用できないなあ」
「ごめんなさい…なんでもしますから…どうかその人は…」
俯いて絞り出すも、男は足をどけない。それどころかもう一度夏目君を踏みつけて大声でキレる。
「はあ!?何!?そんな遠くじゃ何も聞こえないんだけど!?言いたいことがあるならさあ、もっと近くではっきり言えよ!!なぁ!?」
ふーっと息を吐き、抱きかかえていたねこを下ろす。ねこが不安そうにこちらを見上げてくる。
「ねこ、逃げて。あいつの狙いは私みたいだから、あなたは逃げられるはず。」
ニャァ…と不安げに足を突いてくる様子が可愛くて、最後にもう一度だけ抱きしめた。
「ごめんね…!次は守ってくれる人を見つけてね…幸せになって…!」
「おい何やってんだよ!お前の男殺すよ!?」
じゃあね。と、ねこを放して男に近づいていく。
「そうそうそう、その調子。やっぱり君はいい子だね。」
「ダメだ…逃げろ…」
呻く夏目君の顔を踏みつける。
「うるさいなあ…おい鳥、扉ふさいどけ」
言うと、水丸を倒した鳥が扉の前に移動し、扉が塞がれてしまった。
もう逃げる事も出来ない。その時だった。
ウ゛ニ゛ャャ!!
ねこが、鳥に向かって飛びかかった。

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