第1話:夏目と開花

今から50年前、主要先進国の各地に無数の玉が降り注いだ。
木が、葉が、鉄が、水が、羽が、プラスチックが、玉に吸い寄せられるように集まり生き物の形を成した。鳥、魚、馬、木…様々な姿形をした彼らはその生態も多様だった。
森に住むもの、海に川に、そして街に住むものもいたし、人を襲うものも人を助けるものもあった。
彼らの生態や特別な力は人類の進歩を大きく進めた。
我々は彼らを天からの贈り物『ギフト』と名付け、共に生活している。

「元の場所に返してきなさい!」
外れた。不機嫌なタイミングで帰ってきてしまった。
家に入るなり、お母さんが赤いランドセルを背負った私を怒鳴りつけた。
黄色の目に小さく真黒な身体。学校の帰り道、河川敷で段ボールに入っていたこの子を見つけて、つい拾ってきてしまったのだ。
「でも、この子可哀想…」
お昼過ぎに降った雨で濡れてしまったのだろう。小さな身体が震えている。
「寒そうで震えてて…温めてあげたいの。お母さんお願い。」
真剣に訴えると深くため息を吐き、シャワーだけだからねと視線を机に戻す。
お母さんの仕事を邪魔しないように静かにシャワーに入れる。
タオルで体を拭くと、気持ちよさそうに身をよじる。ここまでなら普通の黒猫だ。
「あっため終わったら早くそれを元の場所に返してきて」
お母さんが、わざわざ洗面所に来てまで返させようとする。
「お母さん、この子うちで」
「ダメよ絶対ダメ。まずもってうちはペット禁止だし、そんな見たこともない生き物は絶対にダメ。」
黄色の目に小さく黒い身体。見た目はいたって普通の黒猫だ。
尻尾の先端が、何にでも穴を開けられそうなドリル になっていることを除けば。
拾ってきた時は気づかなかったが、この子は普通の子猫じゃない。
多分『ギフト』と呼ばれる特別な生き物なんだろう。お母さんが続ける。
「学校で習ったでしょ。『ギフト』は免許や、それを持ってる人が認めてくれないと飼っちゃいけないの。しかも捨てられてただなんて…悪いことに使われたのかもしれないのよ。可哀想だけど、家でお世話は出来ないわ。」
早く元の場所に返してらっしゃい。言って玄関まで私を連れていく。
「でも…」
私は抵抗しようとしたが、とびきりの笑顔で言い放った。
「お母さんね、今とっっっっても忙しいの。話なら後で聞いてあげるから、とにかく今は早くその子を返してきて。」
お母さんは説教で笑顔になった後、言い返されると必ず怒鳴る。
結局私はそれ以上抵抗できずに、この子を抱えたまま家を追い出された。

冬は日が暮れるのが早く、河川敷につくと人はまばらだった。
この黒猫は私の少し前を往き、時折振り返ってニコッと笑う。
可愛い身体に見合わない鋭いドリルが尻尾と一緒に上機嫌そうに揺れている。散歩だと思っているのだろうか。
そうしているとこの子を拾った高架下についた。入っていた段ボールにこの子と、家から持ってきたカニカマと鯖の缶詰を入れる。
嬉しそうに目を輝かせて夢中で食べ進めている。この間にそっと消えよう。そう思い後ずさりすると、こちらを見てニコッと笑い、ニャア♪と嬉しそうに泣いた。
気が付いたら全部食べ終わるまで撫でていた。
無理だ。置いてなんかいけない。真冬の川沿いにいてはいつ死んでしまってもおかしくない。今度は助けられないかもしれない。置き去りになんかできない。でも、お母さんが言う事は間違ってない。免許がなきゃこの子は飼えないんだ。でも…
「どうしたら…」
うずくまっていると、後ろから声をかけられた。
「あの、もしかして桜葉さん?」
思わず振り返ると、そこには竹刀と水筒、コンビニの袋を持ったクラスの男の子がいた。
「夏目君…どうしてこんなところに」
「おお、合ってた。俺の家この近くでさ。散歩してたら見覚えのある後ろ姿だなあと思って声かけたんだけど」
それ桜葉さんちの猫?可愛いね。子猫を指されて驚く。まずい、この子の尻尾が見られるかも。ひとまず子猫を抱きかかえて半身だけ振り向く。尻尾が見えないようにしなきゃ。
「そうなの、あの、そう私もこの子と散歩にきてて!」
「へえ~その子、名前なんていうの?」
名前!?そうだ私の飼い猫なんだもん名前くらいあるよね、えっと名前ナマエなまえ…
「ね…」
必死に絞り出した結果、
「え?」
「ねこ」
結局良い名前が思いつかなかった。
「…ねこ?えっと、黒猫の『ねこ』?」
頷くとしばしの沈黙。
ニャア
『ねこ』が小さく鳴くと、夏目君が笑いかける。
「そっかそっか、お前『ねこ』っていうのか。良い名前だね。」
頭を撫でると嬉しそうに鳴き、夏目君も笑う。
柔らかい雰囲気に気が緩み、抱きかかえる力が抜けていたのだろう。
『ねこ』が腕をすり抜けて夏目君に飛びついた。
「おお、お前モフモフだな…ん?なんか尻尾が…」
見つかった。何か言い訳はないか。考えて固まっていると、夏目君は嬉しそうに笑った。
「そっか。桜葉さんも『トレーナー』だったんだね。」
『トレーナー』とは、ギフトを飼育できる免許のことだ。自身もしくは他のトレーナに認めてもらえればギフトを育てて良いみたいなルールだったはずだが、1番気になるのは
「私、も…?」
疑問の正体はすぐに出てきた。夏目君がポケットから青色の玉を取り出すと、水筒の中の水が玉の回りに集まる。スライム状の何かになり、夏目君の肩に乗った。
「これって…!」
「そう。俺の『ギフト』水丸っていうんだ。」
水丸、あいさつ。夏目君が促すとスライムからゲル状のプラカードが出てきた。そこには
『こんにちは。ぼくはミズマル。よろしくね。』と文字が。
すごい…呆気に取られていると、夏目君が小さく笑って促してくれた。
「あいさつ。返してあげて。」
「えっと、桜葉 開花っていいます。よろしくね。」
挨拶を返すとニコッと笑い、プラカードの文字も変化した。
『カイカ よろしく。』
かわいい…思わず口にすると
「桜葉さん『ねこ』以外のギフトを見るのは初めて?」
「テレビとか、街中で見たことはあるけど…こうやって会話したのは初めて」
言うと、嬉しそうに笑う。
「そっか。お前が最初だってよー。」
夏目君が撫でると水丸も嬉しそうにする。その光景が羨ましかったのか、ねこが私に飛び移ってきた。
うわっとのけぞると、夏目君が笑う。
「2人も仲良いんだね。いつから育ててるの?」
聞かれて言葉に詰まる。どうしよう。相談してみようか。6年生になったばかりの時、隣の席になった時に妙に気が合ったから喋る仲ではあるけど、でも…夏目君の顔をじっと見つめて考えていると、困ったように笑う。
「あー…言いたくないなら大丈夫。あんまり仲間っていないからテンション上がっちゃって。深く聞いちゃってごめんね。」
空気を読んで夏目君が去ろうとするが、ねこが私の腕をすりぬけて彼のズボンのすそを噛んだ。じっとこっちを見て何かを訴えているように見える。
そうだ。このままだと、この子を置いていくことになってしまう。話してみよう。どうなるかは分からないけれどきっと彼は
「夏目君、聞いてほしい話があるの。」
真っすぐ見つめると、夏目君も真っすぐこっちを見てくる。そうだ。彼はいつも人の話を聴く時、真っすぐに人の目を見る。彼は真剣な顔をした後に小さく笑った。
「うん。聞くよ。」
きっと彼は、困ってる人に怒鳴ったり説教したりしないから。

私たちは土手に座って話をした。
この子はついさっき拾った子であること、お母さんに『ギフト』は飼えないから元の場所に返して来いと言われて来たが、置いていけないこと、この子が悪いことに利用されて捨てられた子かもしれないから、かかわっていたら危険かもしれないこと、お母さんの言う事は正しいと思うけど納得できないこと、でも危険に巻き込まれてお父さんお母さんに迷惑はかけたくないこと。今思っていることを最初はぽつぽつと、途中からわーっとひたすら話した。
夏目君は終始頷きながら、途中でコンビニで買ってきてたチョコのお菓子やお惣菜やジュースを分けてくれながらずっと話を聴いてくれた。どれくらい話をしただろう。傾きかけていた夕日が沈み始めたところで思いついたように夏目君が立ち上がった。
「よし、一緒に怒られに行こう。」
え?驚いていると、夏目君が説明してくれる。
「桜葉さんはねこを育てたい。お母さんは危険だと思ってる。で、お父さんはトレーナーで許可をもらえれば育てられるから、お父さんと話がしたい。でも、お母さん経由じゃないと連絡ができない」
これであってる?と確認されるので頷くと、彼は続ける。
「じゃあ、お母さん説得してお父さんと話してみよ。上手く行くか分かんないけど、ちょっと考えがあるんだ。」
まあどうやっても怒られるだろうけど、大丈夫?
夏目君に確認される。お母さんは正直怖い。家事に仕事に忙しいお母さんは、機嫌が悪くなると話が通じなくなる。でも、
「…大丈夫。この子を見捨てていくよりは、怒られた方がましだもん。」
ギュッとねこを抱きしめると、ねこは嬉しそうにニャアと泣いた。
そっか。と、夏目君もつられて嬉しそうに笑う。
「でも、私はともかく夏目君はいいの?というか、何で手伝ってくれるの?」
キョトンという表現が似合いそうな顔で夏目君が首をかしげる。
「だって、好きなんでしょ?」
…え?何が?誰を?何を?私が固まっているのを見て、ねこを指さす
「その子の事。捨てられないくらいには大事なんでしょ?」
言われて、ねこを見る。嬉しそうに尻尾を振っているが、この子には細かい傷が多い。そして、よく私の顔を見る。テレビか本で見た事があるけど、捨て猫はよく人の顔を見て顔色を伺うそうだ。その様子が、お母さんの機嫌を伺う自分と重なって、何だか他人のようには思えない。
「うん。大事。」
夏目君の目を見て、ギュッと抱く力を強める。
「じゃあ、手伝うよ。」
力強くうなずいてから、優しく微笑む。
「好きと大切からは、逃げられないからね。」
じゃあ行こうか、先を行くその背中は私と同じくらいなのに大きく見えた。
「開花!」
声に振り向くと、向こうからお母さんがツカツカと向かってくる。言われて携帯をみると6時になっていた。日も暮れている。
「遅い!戻すだけで何時間かかってんの!…開花、あんた…」
寄ってきたお母さんはねこを見て唖然とした。怒りで肩が震えている。
「戻してきなさいって言ったでしょ!何やってんの!」
案の定お母さんは怒鳴りつける。怒っているお母さんは怖いから、いつもなら目をそらして黙って言う通りにしてしまうだろう。でも
「お母さん、私、この子を育てたい。お父さんとも話をさせて。」
真っすぐ目を見て、自分の気持ちを伝える。今回ばかりは譲れない。
私が珍しく主張をしてきたことに驚いたのか一瞬固まるが、すぐに唇を震わせて怒鳴り散らす。
「ダメに決まってるでしょ!!なんで私の言う事が聞けないの!?」
私がやってあげるから貸しなさい!と、お母さんが無理矢理ねこを奪おうとする。必死で抵抗していると、夏目君が間に入ってきた。
「お母さん、あんまりこの子を刺激しない方が良いです。何するか分かりませんよ。」
笑顔で冷静に。落ち着いた口調で諭すが、お母さんの怒りは収まらない。
「あなた誰?開花の友達…ああ、そういうこと。この子に何か吹き込まれたのね。」
そう決めつけると言葉を続ける。
「いい?これは我が家の話で、あなたには全く関係ない事なの。余計な口出しはしないでちょだい。ああそうだ、あなた名前は?親御さんに伝えておくわ。」
夏目君は関係ないでしょと詰め寄ろうとするが、大丈夫。と後ろ手で制止される。
「夏目です。夏目 踏夜(とうや)っていいます。どうぞ父にお伝えください。警察官はギフトの不法遺棄を見過ごしませんので、聴取に応じてもらうことになります。」
「は?警察…?私はただ拾ったものを元に戻そうと!」
怯んで語気がしぼんだお母さんに夏目君は続ける。
「話は開花さんから聞きました。でも、そういう事案が起きたらまず警察に110番するっていう報告義務があります。それを怠って娘さんに遺棄を命じたことに関して事情聴取の対象になってもおかしくないです。」
な…言葉が出てこないお母さんになおも続ける。
「巻き込まれたのは分かります。なので、開花さんがお父さんと話せたら、僕から父に事情を伝えると約束します。聴取はあるかもしれませんが、最初から事件の関与を疑ってかかられることはないはずです。」
私も母も呆気に取られていたが、更に驚いたことに夏目君はお母さんに頭を下げた。
「生意気なこと言ってすみません。でも、これで収めてもらえないでしょうか。」
お母さんはしばらくわなわな震えていたが、ふーっと息を吐くと答えた。
「分かりました。でも、約束は絶対に守ってもらいますからね。」
すごい…!この状態のお母さんに言う事を聴かせるなんて…!
私が驚いていると、ありがとうございます!ともう一度頭を下げ、こちらを振り返るといたずらっぽく笑った。
それを見たら何だか顔があつくなって、ありがとうと小さく呟いて目をそらして腕元のねこを見つめた。
「開花、帰るわよ。」
お母さんがばつが悪そうに振り向き、歩いていく。
「う、うん…」
ばいばい。と、夏目君の顔を見れないまま挨拶をした。夏目君も返してくれた。
下を向いていて、周りが見えていなかったからだろうか。
夏目君の声を最後に、地面がどんどん遠くなっていった。

一瞬、何が起きたのか分からなかった。
桜葉さんが、目の前で大きな鳥にさらわれていった。
とっさに手を伸ばしたが、両腕で『ねこ』を抱えていた桜葉さんの手はつかめなかった。
開花!悲痛そうに叫ぶ桜葉さんのお母さんの声で正気に戻る。そうだ、助けなくては!
お母さん!と呼んで、やって欲しいことを伝える。
「110番して、出来れば中央署の夏目を指名してこの事を伝えてください!」
「え、え、警察?」
ダメだパニックになってる。ここで見失うわけにはいかないと水丸に指示を出す。
「水丸!あの鳥を絶対に見失うな!先行して体を伸ばして、案内してくれ!」
言うが早いか水丸が飛び出す。俺も直ぐに追わなくては!お母さんの強く肩を掴む
「開花さんは必ず助けます。なので、110番して中央警察署の夏目を呼んでください!」
走り出し、親父の携帯に電話をかける。幸い、1コールで繋がった。
「どうした」
「女の子と猫型『ギフト』がさらわれた!足が4本生えてたから鳥型の『ギフト』だ!今水丸を先行させて見失わないように追いかけてる!」
だめだ足じゃ間に合わねえ!適当に路駐してあるチャリを拝借してこぎ出す。
「場所は?どこ方向に飛んでる?」
「今位置情報送った!阿良川の土手から駅に向かって飛んでる!後で桜葉さんて中年女性から連絡がいくと思う!」
「分かった。お前のいる場所に向かう。絶対に見失うな。」
電話が切れる。くっそどこまで飛ぶんだあいつ!駅を過ぎ、狭い路地をいくつも抜けた。
必死にこぎ進めてどれくらいたっただろうか。鳥は有刺鉄線に囲まれた廃工場に入っていった。

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