第3話:進化と変化

「ねこ!ダメ!」
呼び止めるも、鳥に向かっていく。
案の定前足で蹴られて転がってしまうが、体制を立て直してもう一度威嚇して向かっていく。
「はっ、無駄なあがきだな。子供じゃどうにもならないってのが分かんないのかね?」
男が噴き出してバカにするが、ねこは構わず向かっていく。次も、その次も。鋭いかぎづめで蹴られ続け、至る所から血を出しながら、それでも向かい続ける。
「ねこ!もういいの!やめて!」
全身で抱きかかえるようにして止めるも、それを跳ね除け、
ねこは立ち向かうのを辞めない。何度も何度も。
骨と骨がぶつかるような音、弾かれるたびに全身についた血が地面に飛び散る音が響く。
それでも、ねこは決して怯まず突進は激しさを増していく。
「…おいおい、いい加減やめさせないと死ぬよ?」
衝撃音と血の音が響き続ける異様な光景に、さっきまで興奮気味だった男も引き気味に口を出す。
「ねこは、わかってるんだ…」
夏目君が口を開く。
「自分が倒すべき相手が、超えるべき壁が。」
おい、誰が喋っていいって…男の制止を効かず、夏目君は続ける。
「勝てる勝てないじゃねえ。守りたいもんの為に、返したい恩の為に、命を張らなきゃいけねえ場面が。」
ねこが弾かれなくなった。爪同士が激しくぶつかる音が響く。
「今が、その時だって事が!」
2匹の身体がぶつかると、ねこの身体が白く光る。あまりの眩しさに目を開けていられない。
「ね…こ?」
目を開けると、鳥に覆いかぶさる、大きく成長したねこがいた。
グォォー!と野太い雄たけびを上げる。
「は?…何がどうな」
「目をそらしたな」
声が聞こえたかと思うと、男の身体が逆さまになった。
「なんだあ!?」
見ると、水丸がロープになって天井から男の片足を吊るしている。
ふーっと夏目君が息を吐いて立ち上がる。
「勝負に気ぃ取られて、水丸がいなくなったの気づかなかったろ。」
男は必死にあがいて抜け出そうとするが、ロープに手は届かない。
「身長差があったから、本当にやりづらかったんだ。これで殴りやすくなった。」
髪をかき上げ、笑顔で男に向き合う。
「や、やめてくれ。」
「おっさん。デンプシーロールって知ってるか?」
男のポケットからガムテープを取り出し、両手の拳に巻き付けていく。
「何も特別な技じゃない。左右のパンチの動きに合わせて上体をひねって、相手を殴り続けるだけの、要は連続パンチだ。今はミットがないから、素手でやると拳が壊れちまう。」
男の顔が青ざめていく。
「おっさんはさっき、ガキじゃ大人に敵わないって言ってたな。子供じゃどうにもならねえとも。」
「や、やめてくれ…僕は命令されただけで…」
「技の考案者は小柄でさ、自分よりデカくて強い相手を倒すためにこの技を編み出したんだよ…ところで」
夏目君が小刻みにステップを踏み始める。
「人にモノを頼む時は、どうするんだっけ?」
「…ご、ごめんさい。許してくだ」
バチンッ!と鈍い音がして、夏目君の右が男の顔面を捉える。
その直後に左、また右、左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、左!
最後に思いっきり右を叩き込むと、男がロープから吹っ飛び、床に叩きつけられた。
それを見た夏目君は、今日一番の不敵な笑顔で微笑んだ。
「悪い。よく聞こえなかったわ。」

打ち終わった夏目君が膝から崩れ落ちた。
「夏目君!」
「よかった…ちゃんと守れた。」
駆け寄って抱きかかえると、先ほどとは違ういつもの穏やかな笑顔を見せる。
ねこもこちらに向かってきて、ニ゛ヤアアと、低くなった鳴き声で夏目君に頬ずりする。
「そうだな。お前がいなきゃ終わってた…この土壇場で進化するとか、お前強いなあ。」
夏目君が撫でると嬉しそうに喉を鳴らす。身体は二回りほど大きくなったが、中身は変わらないようで、何だか安心した。

外でパトカーのサイレンが聞こえた。これで大丈夫。一安心していると、工場正面のドアがゆっくりと開く。
そこには全身白づくめで顔が見えない男が2人立っていた。
どうみても警察官ではない。
話しながらこちらに近づいてくる。
「早めに来てみればこのざま…やはり何をやらせてもダメだな。社会のゴミは救えない。」
「いや待て…『ギフト』が進化している。ゴミなりに役立ったらしい。回収して帰ろう。」
もう夏目君とねこには頼れない。そう思うと、気づけば2人を庇うように立ち塞がっていた。
「私達はそこの『ギフト』を回収できればいい。大人しくしていれば何もしないが。」
「ねこをどうするつもり?」
「もちろん大事に育てるさ。貴重な『ギフト』だ。」
夏目君の竹刀を拾って構える。身体が震えているのが自分でも分かる。
それでも、構えずにはいられなかった。
心臓の音がうるさい。怖い。けど、
今度は私が、2人を守るんだ。
真っすぐに相手を見ていると、足元の夏目君が呟いた。
「大丈夫だよ。もう勝った。」
バリン!と天井が割れる音が聞こえると、赤い球が落ちてきて、男2人の前で止まった。
「踏みつぶせ」
声が聞こえると、赤い球に何かが集まっていく。それはあっという間に形を成した。大きくて真っ白な狼の形をしたそれは、男たちをいとも簡単に地面に押さえつけた。
「悪い。遅くなった。」
声をする方に目をやると、巨大な狼の上に警察の制服を着た男性が立っていた。
狼の背中から降り、近づいてくる。
「ぎりぎりだったよ、親父」
「すまん。でもよくやった。」
倒れこんでいる夏目君の頭を撫でる。夏目君のお父さんお母さんを見たことはない。けれど、その仕草と、夏目君を見る眼差しの優しさ、そして
「おかげで、詳しい話が聴けそうだ」
敵を見つめたときの不敵な笑みが血のつながりを感じさせた。

応急処置を受けながらお父さんと話す夏目君といると、
「開花…!」
規制線で囲まれる中、お母さんが駆け寄ってきて抱きしめた。
だからいったのに!心配かけて!一体どんな悪態をつかれるだろうかと身構えていたから
「よかった…!生きててよかった…!」
そう言って抱きしめられると緊張が全部解けて、思いっきり泣いた。
ただただ涙が止まらなかった。

「そう…あなたとあの子が、開花を守ってくれたの。」
夏目君とお父さんから話を聴いたお母さんは、応急処置を受けているねこを見ていた。
「あの子はどうなるのかしら…」
夏目君のお父さんが答える。
「飼い主が見つからない場合、ひとまず保健所に預けられ、一定期間内に飼い主が見つからなければ処分されます。」
それを聴いたお母さんは、そう。と呟いて
「普通の犬や猫と同じなのね…」
と言った。
お母さん、夏目君のお父さんが切り出す。
「ご存じかもしれませんが、『ギフト』を育てるには特別な免許がいります。彼らを悪用する連中がいる以上、預かり手には得た力を私利私欲のために使わない人格が求められます。」
お母さんは黙って聞いている。
「本来『ギフト』は正しく付き合えば頼もしい存在です。愛情を注いで正しく育てれば、自分や周りの人を助ける力になってくれます。必要であれば自分の姿形を変えてまで。」
大きくなったねこを見つめながら言うと、お母さんが口を開く。
「娘は、引っ込み思案なんです。いつも人の顔色を窺ってばかり。当然です。主人と別れてから、仕事と家事で追い詰められ、いつも不機嫌で怒ってばかりの私を見ているからでしょう。私に口答えすることなんてなかった。」
でも、お母さんは続ける。
「今日は違った。私に本気で意見をぶつけてきて、怖い目にあったのに友達を庇ったとも聞きました。」
諦めたようにふっと笑う。
「もしあの子を見捨てれば、もう二度とこの子の母を名乗れないでしょう。」
お母さんが夏目君とお父さんに向けて頭を下げる。
「お2人とも、娘を守ってくださってありがとうございます。そしてどうか…娘に『ギフト』と向き合う方法を教えてください」
2人は黙って頷いた。

事件から2週間。
私は久しぶりに学校にきた夏目君と放課後、河川敷に来ていた。
退院祝いとお礼を兼ねて。
「じゃあ、決めたんだ。」
「うん。私、『トレーナー』になるよ。高校になったら専門にいく。」
そっか。夏目君は嬉しそうに言う。
「おさらいだけど、『ギフト』を育てるのは『トレーナー』免許か、それを持ってる人から認められる必要がある。免許の取得条件は、トレーナー養成学校を卒業すること、または」
「『ギフト』と共に社会に良い影響を与える事。夏目君、免許取得おめでとう。」
この前の事件はテレビでも大きく報じられた。どうやらあの誘拐は組織的な犯行なようで、内部の詳しい事情を知ってる関係者逮捕に貢献したと、最年少での免許取得になった。
組織的な報復を避けるために顔や名前の公表はなかったみたい。
「ありがとう。こうやって正式に水丸と散歩できるのは良いことだね。」
夏目君が笑い、水丸も嬉しそうに肩で揺れている。
夕日に照らされた夏目君が眩しくて、目をそらしてしまった。
暗くなってきたし、そろそろ。夏目君が切り出すと、この時間も終わってしまう。
名残惜しくて何も言えないでいると、まだ先の話だけど、と夏目君が口を開いた。
「俺も桜葉さんと同じ高校いくよ。」
思わず顔を上げる。なんで?夏目君は免許持ってるのに。
「俺、将来は警察官になろうと思ってるんだ。だから1人でも戦えるように強くなろう…そう思ってたんだけど、俺はまだまだ弱い。この先どんなに強くなっても、1人では守り切れないかもしれない。だから」
夏目君は続ける。
「仲間が欲しい。背中を預けられ、競い合えて、一緒に大事なものを守ってくれる仲間が。」
真っすぐに私を見る。
「俺はそれが、桜葉さんだったら良いと思ってる。」
差し伸べられた手を反射で力いっぱい握った。
一瞬びっくりした様子で、少し照れくさそうにはにかむ。
そうだ。大事な言葉を真っすぐ伝えてくれるこの人を
真っすぐに澄んだこの目を、私は好きになったんだ。

3年後、私は再開する。
相手を真っすぐ見つめる彼の目は、暗く深い黒になっていた。

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