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2ヶ月リストカット

リストカット。「マヂヤミ…リスカしょ…」のリストカットである。

というかわたしは2020年の初めにも同じような記事を上げている。わたしのリスカは冬の風物詩になりかけている。やめてほしい。



前回は、タイトルの通り、1週間リストカットしてた話。今回は2ヶ月のリストカットだから2ヶ月リストカットというタイトル。タイトルつけるセンスどっかに置いてきたことがそろそろバレる。

前回のリストカットの意味合いとしては、「人によって色々な意味を持つと思うが」と前置きした上でわたしの中では「心の傷を可視化させるという大切な行為」だった。

ただ、今回は違った。

「本気で死にたいわけではない」という考えが根本にあることは同じだが(でも正直前回よりは希死念慮はあったっぽい)、リスカという行為に及ぶまでの感情の動きが、前回のものとは全く違った。今回のリスカは、衝動性がとんでもなかった。前回は傷をつけるために恐る恐るやっていたが、今回は傷がどうとかじゃなくとにかく切らないと気が済まなかった。その衝動性の強さから、傷自体前回とは比べ物にならないくらい深いものになった。自分では今回リスカをしてしまう理由として一番ピンとくるものが見つからなすぎて、対処法がわからないのでさすがにメンタルクリニックを頼った。

そこのメンタルクリニックは自傷行為をするような人は診られないと最初から注意書きがしてあるようなところだった。でもたぶんそうやってお断りしてるのは、希死念慮がすごすぎてちょっとしたことで本当に死んでしまうようなもはや未遂したことがあるような人は診ないぞと言ってるんだと思い、「わたしは違う!」と謎の自信を胸に、無視して予約した。

予約してから1ヶ月後(やっぱり初診ってそんくらいかかるよね)、やっとメンクリの日。血液検査で採血されるときにリスカの跡を見られた。怒られた。「いやでもそんなに死にたいわけじゃないんで」と言うとめちゃくちゃ文句を言われながらも許された。他にもベッドに寝かされお腹をぎゅうぎゅう押されて「胃腸弱いでしょ」「生理痛重いでしょ」と言われたり(全部図星)、東大式エゴグラムという性格検査を受けたり、30分近く話をしたりした。そこは漢方に力を入れているメンクリで、ベンゾジアゼピン系の薬がいかにダメであるかを力説されるなどした。個人的にベンゾジアゼピン系の薬は合わないなと思っていたので割と素直に話を聞いた。人生2軒目のメンクリだったが、1軒目に比べるとちゃんと患者と向き合ってくれてる感があってそれだけで救われたと思った。話をする中で、リスカの原因を指摘された。「イライラしすぎなのよ」と言われた。アホっぽい理由すぎてびっくりしたけど、よく考えたらすごく納得いくものだった。「あなたは本当はこういうところに来なくてもいい」とも言われた。でも「抱えたストレスの発散方法がわからず己の身体を傷つけてしまう」ってこれシンプルにビョーキなのでは????????(これは今でも思う)

「イライラしすぎた末にどこにぶつけたらいいのかわからない怒りがリスカという行為に繋がっている」ということがわかったところで、対処法としてはやはり「会社を辞める」一択だ。しかし6月に入社してからまだ4ヶ月しか経ってない。せめて半年働こう。そう思い、上長に「12月末で辞めさせていただきます」と退職希望の旨を口頭でお伝えした。


なんか色々あって12月中旬で解雇ということになった。


まあこちらとしても失業保険の給付がすぐに始まったりだとか保険関係の減免率が上がったりだとか、正直いいことづくめだったので良いのですが。たぶん会社は、嫌がらせの意味でわたしのキャリアに「解雇」というパワーワードを入れ込みたかっただけだと思う。わたしは現金主義なのでそんな精神論きかない。シンプルにラッキー。

もうわたしはいずれ辞める人間だ、となると会社側の扱いはどんどんひどくなり、わたしのストレスもどんどんひどいことになり、自傷行為もどんどんひどいことになった。

解雇の1週間前、会社もわたしも全てが投げやりだった。その最後の1週間でわたしが任された仕事は「商品ページに載せる服を撮影して全て採寸して商品コメントも考える」ということだった。もちろんわたしはカメラマンではないしコピーライターでもないので非常に戸惑った。この仕事に長けた上司がいるわけでもない。答えのない仕事をすることはわたしの中で最大級のストレスだった。

その服というものが、中国から買い付けたものらしい。仕入れ値は確かに安かったけどこんなの誰も欲しがらないだろ。マーケティングどうなってんだ。勝算のない仕事でまたストレス。服というよりゴミという言葉がピッタリな布だった。

そのゴミとの1週間の戦いで、「すべて◯◯さんに任せる」と言われたので、何もわからないなりにググったり自分がよく見る服のサイトを思い出したりして必死で写真を撮り(機材とかもないのでプライベート使いのiPhoneで)、並行してゴミを服だと思い込み、商品コメントも考えた。

解雇3日前、進捗を聞かれて「半分くらいです」と答えたら「まだそんなところなの!?」と言われた。すげえ怒られた。正直7割方は終わってたけどこういうのって自分に保険かけるためにちょっと少なく盛ったりしないですか?それが死ぬほど裏目に出てめちゃくちゃ怒られた。

その頃はもう無印で買ったポケットカッターが相棒だったのでトイレでおしっこするついでに切っておいた。おしっこよりもたくさん血が出た。わたしの人生史上最も深く切りつけてしまったらしい。おしっこはもう終わっているのに血が止まらないすぎて困った。

その後すこしイライラが解消されたわたしはスッキリした気持ちで撮影を再開しようとした。でも血が止まらない。トイレに置いてあったペーパータオル10枚くらいで腕を押さえながらゴミの写真を撮り続けた。その姿はさながら腕を負傷しても写真を撮り続ける戦場カメラマンだ。誰も何も言わない。わたしも普通の顔をしながら左腕からは血を流していた。みんな狂っていた。

最終出勤日、昼前にゴミの仕事が終わった。ちゃんと終わる気はしていたけど数日前に変に盛ってしまったからめちゃくちゃ怒られたことを改めて悔やみながら、パソコンのデスクトップに置いていたわたしオリジナルのマニュアルやらメモやら過去のcsvやらをぜんぶ削除した。「退職の旨、取引先に伝えますか?」と聞くと「伝えなくていい」と言われた。わたしは最初からいなかったことにされるのだろうか。わたしはそんな酷い仕打ちを受けるようなことしただろうか(流血しながら仕事したのはシンプルにやばいだろと今は思う)。

兎にも角にも、この会社にいた半年間でわたしの元々低かった自己肯定感は地に落ちた。めり込んだ。マントルに到達した。リスカが始まった10月はメンヘラが過ぎて好きだった人にブチ切れられて音信不通になったし、友達とも縁を切りかけたし、なんかもう本当に死にたかったらしい。電車飛び込みの賠償金を調べたり、カフェインの致死量を調べたり、練炭自殺の方法を調べたり、気づいたらウチに完全自殺マニュアルがあった。

ただ、人間というかわたしは本当に単純なもので、会社を辞めた次の日から一気に元気になった。ありえない仕事運のなさとおさらばしようと思い、朝6時から京都の安井金比羅宮に向かったり、もうすっっっごく元気になった。ツイート数も倍になった。(説明しよう!わたしはTwitterに人生を握られており、心身の健康度が全てツイート数に反映されるのだ。後からツイート数調べて顕著すぎてわろた)

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↑2021年6月6日現在

その後、コロナ禍もあってか転職活動はめちゃくちゃ難航した。10月に働きながらスタートさせた転職活動だが、3月の下旬に今の仕事が決まるまでの半年間、応募ボタンを押しただけの企業も含めると200社近く応募したし、面接は25回行った。どんだけフラれてるんだという話だ。冷静に考えて病むならここでだろという話だ。どんだけ企業に不採用を突きつけられても一切へこたれなかったわたし、弱いのか強いのかもうわからない。

なんやかんやで今はとても良い会社で働いている。何もかもが社員ファーストで逆に泣きそうだ。安井金比羅宮さまの御利益はガチです(この記事は安井金比羅宮の効果を宣伝する意もあります)。

ただ、今こんなにしあわせに働いてはいるけれど、左腕のリスカ跡がまあまあ消えない。前回のやつは全部浅かったから1ヶ月もすれば跡形もなく消えたけれど、今回のは違いすぎる。戦場カメラマンをしていたときの深いやつの跡が消えないすぎる。凧糸を腕に貼り付けたようななぞの白い線。正直わたし以外は気付かないレベルだろうが、ふと目に入るとあのリアル人権のない日々を思い出してつらくなってしまうのでまだ長袖しか着れていない。全盛期にあった左腕を隠す癖も抜けないし、長袖がずり上がるのも嫌なのでゆるい長袖を着るときは使いもしないシュシュを腕につけている。もうリストバンドでもつけたらいい。

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でも、あの頃のしんどい経験があってこそ今があるのかもしれないと無理矢理思うことにしたい。あと安井金比羅宮はガチ。


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