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“自分らしさ”とは


私は今日、いろんな友達に質問をした。

うちって自分らしく生きてると思う?
もし思うなら、どんなところにそう思う?

”自分らしく”って言葉にしてよく最近自分は言っていたけど、そもそも自分が自分らしい時ってどんな時なんだろう?
ふと、こんな疑問が湧き上がってきたから。

この間のセミナーから学んで、いろんな人に聞くことにした。
自分の近くにいる人だけじゃなくて、あんまり頻繁的には連絡を取らない中学校の同級生とかにも。

そしてこんな意見をもらった。

・いい意味で周りに合わせない
・いつでも自分の考え、やり方を持っていて、その自分を信じている
・わたしはわたし!という考え方
・自分に全力で向き合っている

客観的な意見がもらえてよかったんだけど、でも何人かの友達は、「あんまりこんなとこってのは思いつかない」って言ってくれた。

そしてもうひとつ質問をした。

「自分自身についてはどう思う?」

これに対する答えを聞いて、ひとつ分かったことがある。

自分らしさって、その人が決めるもの。
そして、”自分らしさ”よりも、”どうしたいのか”
そして、納得感

なんか、私が他人に対して、「この人自分らしく生きてないな」って勝手に思ってるだけで、「自分らしく生きられてないな」って思って生きてる人っていないんじゃないかってふと思った。気づけた。

「自分らしく生きる人を増やしたい」
って、ずっと掲げてきたこのビジョン。もう少し解像度を上げる必要がある。


私が考える、”自分らしく生きる人”とは、”自分がどうしたいのか”を大事にし、心に素直に行動できている人

こういう人を増やしたいって、強く思うようになったきっかけは

・海外にいた時、自分らしく生きている人が多いなって思ったこと。
・親友に、「枠」を外してもらって自分らしく生きられるようになり、自分自身が生きやすくなったこと。

この二つ。

ひとつ目に関して。
”自分らしく生きている人”というのを言語化すると、他人からどう思われているのかではなく、自分はどうしたいのか、を大事にして生きている人たち。そして、その人たちには共通して「余白」があった。

「余白」がないと、他人はおろか、そもそも自分の心の声を聞く余裕すらもない。自分がどうしたいのか?もわからない。
自分の心の声に集中できるようにするには、他人を必要以上に気にしすぎるノイズを取り除き、余白を作り出す必要がある。

二つ目に関して。
よくよく考えてみると、この親友から枠を外してもらって、人と比べなくなったり、自分の意見をちゃんと伝えられるように自分が変わったのも、自分がそうなりたいって求めてたからで、自分のニーズと合致してたからなんだと思った。
現に、親友の近くにいる人全員が同じ影響を受けてたわけじゃない。
そして、親友と出会う以前の自分だって、「自分って自分らしく生きられてないな」なんて思っていなかった。

人は考え方も、求めるものも、その時々で違う。
だから、全人類に、自分らしく生きられるようになる一つの手段なんて存在しない。
なのに私は正解を探そうとしていた。

尊敬できる方に、以前、「自分らしく生きる人を増やすにはどうしたらいいのか?」と質問したときに、
1、まず自分が体現する
2、自分の価値を高めて、自分の声が多くの人に届くようにする

という答えが返ってきた。

当時、理解ができたような気になっていたが、今もう一度読み返してみたときに、気づきがたくさんある。

2に関して、単に「影響力」という簡単な言葉で自分の中に落とし込んでしまっていた。
会社で成果を出すとか、発信して少しでも自分を知ってもらうとか。

今読み返すと、その方は当時にすでにヒントをくれていた。

影響力についてだけど、「いかに他者に貢献できるか」が鍵だと思う。影響力がある人とは、多くの人の役に立てる人だと思う。

って。
自分はあのとき、この言葉の重み、いかに本質的か、が理解できていなかった。

でも、最初から「他者のためだけに」っていうのは現実的ではない。
「自分のため」を突き詰めていった結果、それが他者のためになっていたり、ベクトルが自分だけの狭い範囲だけじゃなくて、他者へと向かい、広がっていったり。

だから、この方は、1の「体現する」というのも大切にされているんだろうと思った。


でも、自分はこの「体現する」についてもちゃんと分かっていなかったかもしれないと思った。

体現する目的は、「自分がまず自分らしく生きるため」であって

自分は、
「自分が自分らしく生きるのを体現して、影響力をもてば、その背中を見せることで、見てくれた人から自分らしく生きる人を増やすんだ!」

って思ってた。

でも昨日、友人と話していて言われてハッとしたのが、
「仮に自分が自分らしく生きることを体現できたとしても、それで結果として周りに自分らしく生きる人が増えるかは別。」

本当にその通りだ。


さっきも言ったけど、自分の場合は親友に影響受けて変わったけど、それは、あのとき、自分が求めていて必要としていたから。

だから私は、今まで「全人類!」を相手に、目標としてきたけど、「そのタイミングで必要としている人」にちゃんと向き合ったほうがいいことに今更ながら気づいた。

普通に考えると、どんなビジネスだってそうだ。
全人類をターゲットにしてサービスをしている会社なんてないのに。

そこにニーズがあるから、課題が解決する。

一周回って、ビジネスの存在意義をちゃんと理解したような変な気分だ。

でもここで分かったのは
・自分らしく働ける会社
・他者への貢献

この二つが、自分にとって仕事を選ぶ軸となる気がする。

この二つは一見抽象的だけど、自分なりに相当な時間を費やして考えたものだから、ここには文面だけじゃ伝わらない思いもある。

「自分らしく働ける会社」というのを少し言語化すると、

・個人、多様な価値観を受け入れられる寛容さ
・個人が尊重しあえている
・今までのやり方を保守するのではなく、本質的かどうか、ゼロベースで考え判断できる
・それぞれがクリエイティブに仕事を楽しみ、自分なりのやり方、考え方を提案でき、実行できる活気のある職場

こんな感じ。

一方で、「他者への貢献」は、
正直、誰にも貢献していないビジネスなんて存在しないはず。

だから、どう貢献したいのか?を考えると

・誰かの「枠」を外す
・人の心に余白を作り出す

こうだ。
そう、これに繋がるような事業だ、多分自分がわくわくするのは、、!
自分の今までの生き方、経験から生まれるクリエイティビティさを還元できるような生き方をしたい。
その還元ができるような仕事をしたい。仕事を通して実現したい。

枠を外すというのは、自分的には「人との関わり」か「旅」って気がしてる。

余白は、「デザイン」「暮らし」「マインド」あたりがキーワードかなと思う。

この二つの「どう貢献したいか?」という指針が見えただけでも大きく進めた気がする。

そう!1人で考えるのには限界があるし、スピード感に劣る。
だから、”考えても答えが出ないなら、行動してみよう。”

今日のセミナーの登壇者である、村上由里子さんが言っていた。

いいなと思っている人と一緒に働いてみる。
自分に何が足りてないのか、そして意外とできることはあるんじゃないかとか、
実は自分の「理想を語っている状態が好き」で、「やっている状態が好き」ではないのかも。
そういうのがわかるようになる

村上さんの言葉には、本当に、重みがあった。
ちゃんと考えて考えて、言語化されていた。
本当にかっこいい女性だった。

だから、”考えても答えが出ないなら、行動してみよう。”って村上さんが言われた時に少し自分自身、考えてみた。

最近、行きたかった会社に落ちてしまい、就活を休憩していた。
だけど動くことをやめるのはなんか間違っている気がしてきた。

自分の中で、ビジョンを実現するために必死で考えたし、本気だったから落ちてしまったことは残念だったけど、でも後悔はしていない。
本気だったし、あの時の自分に出せる力は全部出せた。

でもその会社の方から聞いた、自分が落ちた理由が「ビジョンを実現するための行動が足りてない」だった。

実現するための行動=就活 ではないけれど、
あの時エントリーして、必死で取り組んだプロセスで自分が一歩前に進めたのは事実。

就活を休憩して何かをやっているわけではない。
だったら、私にできるとりあえずの行動って、就活を進めるとか、気になるインターンに参加するだとか、こういうことなんじゃないのかなって思ってきた。

うん、何もしないで止まってるのもったいないや。
動き出そう。





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