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エッセイのようなもの

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普通に生きていきたかった庶民の雑文です。
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#生きる

今とは。

今、生きて感じている自我や、目の前で認識している全てに疑問を感じることがある。 この瞬間に死が訪れた場合、時間から解き放たれて、この生きている時間に知覚している「モノ(この場合、概念になるのか)」が全て無くなるのだとしたら、今この認識しているという感覚は一体何なのか。まるで誰かの記憶の中に存在しているようである。 私たちが集合体の中の一部分だったと仮定した場合、存在した(している)という認識も第三者ともいえる、集合体が存在することで、自らを自覚し知覚することができ、記憶と