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ようこそ、マイワールドへ。

「どんなことを書こう?」大好きな音楽を聴きながら、書き進めています。

Twitterを始めたのは、2019年11月。目的はHRの人と繋がりたかったから。当初はやり方も分からず、独りで呟き続けるという運用をし、フォロワーが少し増えたものの、改めてTwitterをする目的は?という壁にぶつかることになります(この話はまた今度)。

今は、すぐにでも会いたい人がたくさんいます。きっとこれを読んでくれているあなたも、私の大切な人。落ち着いたら、笑顔で会いましょう。

noteを書こうと思ったのは、圧倒的なマイワールドを創りたくなったから。Twitterの世界も好きだけど、感情が溢れる私にとっては自由気ままに表現できる自分だけの場所が欲しい、そんな感じです。

Twitterでは伝えていないお話を。

18年目の東京

東京に住んで丸17年が経ちました。それまでは父の仕事で、仙台、鳴門、札幌、大阪と転々としてきたので、地元と呼べる場所がなく、実は成人式を経験していません。でもそれはそれで良いかなと。

東京が一番長いですが、このまま東京で終わる気がしません。むしろ羽ばたきたい。

初めてのお受験

厳格な両親のもとで育ち、母はスパルタ教育でした。私の受験勉強は、国立大学付属小学校の受験から始まりました。今でも覚えているのは、バスの絵を見て、右と左どちらに走っていますか?っていう問題。必要?(笑)くじ引きという抽選もあったので、運も必要でしたが、1つ年上の姉も私も無事合格しました。

自由奔放に遊ぶ日々

小学校2年生の途中で、札幌に引っ越しすることに。私は編入試験を受けず、公立の小学校へ転校。ここから3年間は、勉強漬けの毎日の反動から遊ぶ日々。

毎日放課後は遊び呆け、駄菓子屋さんで買い食いをしたり、飼育小屋のウサギをスカートに隠して自宅に持ち帰ったり、雪道にいた首輪をつけた犬を引き連れ、捨てられてたから飼おうと母に訴えたり。とにかくやりたい放題。

お受験、再び

そんな私を母が許すわけもなく、入塾させられました。大学までエスカレーター式で進めるお嬢様学校に入れたかった母は、もちろん猛勉強。リビングの座卓に向かい合って座り、一緒に問題を解く。母がお手洗いに行った隙に答えを見て、必死にノートに書き写し、戻ってきた母に解けましたと報告。まあ、バレるわけです。途中で居眠りをしても、赤鉛筆を飛ばしてくる恐ろしい母でした。

授業料0円の6年間

入試大全という塾オリジナルの分厚い問題集を必死に解き、たまにそれで塾の先生に叩かれながらも、カトリックのお嬢様学校に入りました。幼稚園の頃もカトリックだったので、お祈りや聖歌に馴染みがあったものの、シスターという存在は不思議だったのを覚えています。

そして母との勉強が嫌だった私は、車で送り迎えをしてもらいながら進学塾に通い、中学高校6年間は常に上位3位以内の成績、特待生になり、授業料を免除にしました。もちろん母も諦めてくれました。

ただ、憧れの学校帰りの寄り道は出来ず、学校が山奥だったこともあり、かまくらを作って遊ぶとか、トランペットやホルンを吹くとか、振り返ると可愛らしい遊びしかしていません。

志したのは獣医

初めて猫を飼ったのは、札幌に引っ越してからすぐ。それから現在まで、猫がいる生活なので、人生8割くらいは猫と共に生きています。

また、幼い頃から自然の中で遊ぶのが好きだったので、一人で海や山に行ったり、極太の巨大ミミズを振り回したり、ヘビを触って興奮したり、育ってきた環境と私の性格が動物への興味関心を深め、獣医を目指すことになったのだと思います。

余談ですが、小学生の時に秋刀魚を泣きながら(可哀想で)解剖し、一番上手ですねと先生に褒められ、満面の笑みで喜んだ記憶が蘇ります。

挫折、浪人、そして大阪の洗礼

文系の学校なのに、理系に突き進む日々。親が行かせたかった女子大には見向きもせず、獣医学部だけ受験。一校は受かったけれど、気に入らず浪人。

札幌から大阪に引っ越した時、大阪あまりの都会ぶりにカルチャーショックを受けました。そして大阪人のお笑いの洗礼。冗談で「死ね」と言われたことに泣いていた純粋な私だけど、標準語を貫き、電車の中で全身を上から下まで見てきた大阪人に「何かついていますか?」と言った気の強さもありました。

良い思い出ばかりなので(エステ勧誘に引っ掛かったのは除く)、大阪人は好きです。

社会人への一歩

大恋愛の末、東京へ。札幌から大阪の引っ越しより、大阪から東京の引っ越しの方がカルチャーショックが大きくて体重が10kg増えました。仰向けになって起き上がれないくらい。

社会人になってから、現在5社目。どの企業も私の中では大きい学びがあり、マネジメントまで経験させてもらえたこと、そして本当に人に恵まれてきたことに感謝をしています。ただ、私にはカリスマ性はなく、先陣を切っていく人たちの後ろで一緒にその先を見据え、戦略的に動きながら支えていくことが得意です。仕事の話は機会をみてお話しますね。

最後まで読んでくださってありがとうございます。



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