メモの魔力という本は一切読んでいませんが_メモについて語ります_

ZIBUNプレゼン:メモの魔力という本は一切読んでいないですが、メモについて語ります。

2019/05/27(月)

@石井家のリビング


ども、心の世界地図のゆうきです!

今日の投稿の内容は以下の通り

➀メモの落とし穴とは
➁あえてメモを取らない「ルール」を作る



➀本日の定例会の感想
今日も通常通りモノポリーをがつがつ行ってきました。


学んだことを書きだすのはキリがない。

なので一言だけ言わせてください。


「インプット」は「アウトプット」されて初めて「インストール」される。


インプット→アウトプット→インストール。

この繰り返し。


一度のアウトプットでインストールされるものもあれば、何回アウトプットしても修得出来ないものもある。

というか本質的に習得するのには数えきれないくらいのアウトプットをするしかない。




だから今回は「メモ」について話をしたい。




皆さんは「メモ」を取りますか?


Armoryのメンバーはめちゃめちゃ「メモ」を取る。

いや、それもびびるくらい全員が。


パソコンで取る人、ノートで取る人、A4用紙で取る人、そしてスケッチブックで取る人。

それぞれのスタイルでメモを取っている。



一方で、メモを取るという行為にも落とし穴があると思っている。



それは「思考停止」しているかもしれないということ。


メモを取っている以上、後から見直すことが出来るという安心がついてくる。

メモを取っている以上、今は学ぶ時間にして後で覚える時間にすれば良いと思う余裕が生まれる。

メモを取っている以上、使う前提というより学びをまとめるために議事録代わりとして使用することもあるかもしれない。


学びの為の学びはない。

学ぶために学びたいです!っていうのはどこか的外れ。


メモではそれが頻繁に起こる、かもしれない。

例えば、効率よく学ぶために学びの整理をしているメモとか。


〇〇で使うために学んだことを整理する。

〇〇を修得するために学んだ要素を後から見返せるように書き残す。

それが本質。


今日のモノポリーでも葵さんが言ってたように

「8割ターゲットに会って価値を与えて、2割上に会って価値の伝え方を盗めばいい」


つまり、メモを取る時の2割の時間は8割の時間の為に利用する学びを整理しているはず。

メモを取る際に、8割のターゲットに価値を与える瞬間のことを想像できるか。


できなければまず間違いなく使えない。



メモを取っている時に「身の丈」でその学びを使用するとしたら「いつ」使えるだろうか。

メモを取っている時に「身の丈」でその学びを使用するとしたら「どこで」使えるだろうか。

メモを取っている時に「身の丈」でその学びを使用するとしたら「誰に」使えるだろうか。

メモを取っている時に「身の丈」でその学びを使用するとしたら「どうやって」使えるだろうか。


もし自分が今学んだことを行うなら「こんな場所で、こんな時に、こんな人たちを相手に、こうやって伝えるんだろうなぁ」ってまるで映画みたいにその情景を頭の中で思い浮かべることが出来るか。



スポーツ経験者は分かるかもしれない。

大会で自分が点を取ることが出来るイメージもないのに、点を取れるはずがないと。

点を取ることが出来るイメージを完璧にしていたとしても、現実に出来るかどうかは難しいのに、イメージすらも出来ていなかったら絶対に出来ない。



受験経験者は分かるかもしれない。

テストで自分が点を取ることが出来るイメージもないのに、点を取れるはずがないと。

満点を取ることが出来るイメージを完璧にしていたとしても、現実に出来るかどうかは難しいのに、イメージすらも出来ていなかったら絶対に出来ない。



音楽経験者は分かるかもしれない。

ライブ本番でノーミスで演奏することが出来るイメージもないのに、ミスをせずに完璧な演奏が出来るはずがないと。

ノーミスで演奏を終えるイメージを完璧にしていたとしても、現実に出来るかどうかは難しいのに、イメージすらも出来ていなかったら絶対に出来ない。



ここまで何回も繰り返し、同じ言葉を言い続けた。



学んだことをメモした経験がある人は分かるかもしれない。

学んだことを実際に自分が使う姿が鮮明に浮かんでいないのに、いつになったら実践に移せるのだろうかと。

教えてくれた人のように完璧に学んだことを実践している姿をイメージしたとしても、現実に出来るかどうかは難しいのに、イメージすらも出来ていなかったら絶対に出来ない。




➁心のノートにメモをする。

僕はメモする時としない時を明確に分けている。


メモをする時、それは覚えきれないと感じた時。

いくら鮮明に思い浮かべて納得感があったとしても、僕が一度の機会に覚えてられるのは多くてせいぜい5,6個。


今日の学びは13個あって、まず一つ目は。。。ってなかなかあり得ない。

一定の質を担保することが出来ない。

10個以上のインプットがあるなと感じる時は必ずメモをする。


逆に学びが3,4個の時はあえて「メモ」しないという選択を取るのも全然ありだと感じている。


僕の好きな言葉に「心のノートにメモをしろ」って言葉がある。

(あれ、心の〇〇シリーズ、俺好きだったんだって書いてて今気づいた笑)


本当に大切な言葉はその日その時限りの一瞬で心に刻んでおけってニュアンスの言葉。


この言葉の本質とは、

「メモしている本を読み返さないと思い出せないくらいなら、そのメモには価値がない」ってこと。


想像してもらえたら割と簡単で、

ターゲットが目の前にいて、どうやって巻き込もうかって瞬間に、メモを見ながら巻き込んでいくって普通あり得ない。笑



メモを見なきゃ使えない知識なんて、自己満足なだけ。



過去に、ことある毎に「必ず」メモをしていた、思考停止やろうのメモについての考え方でした。




では、またの。

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