見出し画像

[#SDGsへの向き合い方] オッサンの気づき 第25話 ~ふでばこに気づいた!~

私は昔から、新品よりも使い込んだものが好きな感じがありました。今回の漫画に描いたこと以外にも、3歳か4歳ごろに白い猫ちゃんぬいぐるみを常に(日常生活でも寝る時でも)だっこしていて、悲しみメンタル値が上がってくるとそれに顔をうずめたりしていたため、だんだん垢で汚れてきたんです。そこで親がその汚い猫ちゃんは捨てて代わりに新しいのを買ってきてくれたんですが、その新しいぬいぐるみにはもう興味が持てなかったということがありました。自分的には垢とか涙アンド鼻水で汚れたビンテージ猫ちゃんのほうが全然良かったんですよね。新品の状態はむしろゼロで、使っていくうちに汚れや思い出がくっついて加点されていく感覚が、この頃からありました。似たテーマで、以前にこういう漫画を描いたこともありました。つまりは「味」ということなのです。

ところで、こういう曲が去年バズったのをご存じでしょうか。「神っぽいな」という曲で、歌詞の内容も韻の踏み方も結構面白いです。

「神」は私の世代で言う「やばい」に該当する言葉です。ベリーグッドを大げさに表現する若者言葉です。そしてどちらの言葉もあまりに皆が使うから、安っぽく聞こえるという前提がこの曲の基本にあります。歌詞の大まかな内容は、世の中にはいろいろな流行りものやバズり現象があるけれども、みんな「神」というような軽い言葉で消費されちゃうというというものです。タイトルの意味も「(新曲をつくっても、またどうせ)神(っていう安い言葉で消費されちゃう)っぽいな(。嫌だなあ。)」ということだと私は解釈しています。消費されるとは、長く愛したり深くのめりこむことがなく、その場だけ楽しんで次の新しいものに移ってしまうという意味です。鼻水ビンテージ猫ちゃんよりも、新品の猫ちゃんを次々欲しがるようなことです。

こういう現象って昔からありましたよね。私がすぐ思いついたのは、90年代のCDバブルの頃です。特にカラオケブームが始まった90年代中盤から、ポップスがカラオケ用としてすごいスピードで消費され始めたのを覚えています。残念ながら私も流行に乗って、その消費者の一人でした。例えば私が中学生の頃、米米CLUBが大ヒットしました。「君がいるだけで」という曲が、今までCD売り上げ一位だった「およげ!たいやきくん」を超えたというのも話題になりましたし、ラブソングなのでカラオケでも定番曲でした。でも、米米CLUBの曲はファンクミュージックを土台にしているというこだわりは誰も知りませんでした。同様に、桑田佳祐が日本語歌詞を英語っぽい発音で歌うという発明をした人だとも誰も認識していませんでした。カラオケでモノマネして歌うとウケがいい程度だったんですよね。本人たちが一生懸命、しかも新しいことを取り入れて作品を作っても、アホウな子供の我々は、カラオケ用として軽く消費して、また次の曲を鼻をたらして待っていただけだったんです。「神っぽいな」では「アイウォンチュー ウォンチュー IQが下がっていく感じ」と韻を踏みつつ皮肉られています。この作曲者はとても人気がある方で、それって昔で言うと桑田佳祐が鼻たれ小僧の私たちを皮肉るようなことです。それには大きな意味があると思うんです。また、この曲はフランス人の友人もカバーしていました。

彼女はフランスの出版社に勤めていて、日本の漫画も出版しています。なので日本の文化が大好きです。そして先日メールしていて、↓↓の画集を引用して「こういう80sぽい雰囲気が流行ってるのは、世の中のスピードから逃げたいという意識があるからなんでしょうか?」という話題になりました。

https://pie.co.jp/book/i/5333/

現在の80s&90sブームの底にあるのは、スマホ普及からのWEBメインの生活になったことで流行&消費のスピードが上がって、それにちょっと疲れてしまい、古いものが持つ素朴さ・おおらかさに惹かれているというものだと思います(もちろん単純に、古い物が逆に新しく見えるというのもあるのでしょう。)。流行&消費のスピードが上がりそれについていこうとすると、一つ一つの物を長く愛せなくなり心が貧しくなるのは確実ですよね。現在は流行についていくためにドラマやアニメを倍速で視聴する人が多いと聞いたこともありますし、それっておいしい料理を早食いするようなもので、満足感は少ないはずです。そして国も歳も離れたフランスの友人が、私と同じように世の中の流行&消費のスピードが上がったな~と感じていたことにもなるほど感がありました。たぶん世界の多くの地域でもそうなのでしょうね。

世界の多くの国や人は資本主義(お金を多く持っていると有利になる)の世界で生きています。それは世の中が新しい物を作って売り続けることと同じ意味です。そして新しい物が売れるようにするためには、古い物を捨てさせる意識を植え付けることも必要になります。つまり古いものはださいという意識です。そのサイクルが今は速くなりました。現代はアニメブームですが、アニメは年間200本以上作られて、翌年には多くが忘れられます。今、去年の3月に何のアニメがやっていたかはあまり覚えていない人のほうが多いのではないでしょうか。2016年にヒットした「君の名は」を今、熱く語るとなんかださく感じる人も多いのではないでしょうか。それは↑↑で書いたCDバブルと一緒ですよね。作品がすごい速さで消費されてしまっているのです。そして作品はただの品物ではありません。それに関わった人間が存在します。思想も存在します。つまり、人間も思想もすごい速さで消費されてしまっているのです。その誰もが、自分と同じ重さを持った存在なのに、です。

以前のブログで、ジョニースペードのデザイナーの半沢さんという方について書いたことがありました。半沢さんは個人ブランド以外にもバンド活動もしています。

このTonightという曲の歌詞はすごく私も共感するところが多くて、その感想をメールしたところ、とても嬉しいとともになかなか歌詞までは理解してもらうのは難しい、お客さんはやっぱりノリ重視だからねという意味のお返事をいただきました。もちろん、半沢さんはファンに対する皮肉とかネガティブな言い方ではなく、感想をもらえたことの嬉しさの例としてのニュアンスでしたが、これもやはり90年代のCDバブルと同じで、曲にこめられた思想やこだわり、人間的なものよりもわかりやすいノリが求められやすいのだろうなと私は思いました。私の子供の頃でいえば、カラオケで盛り上がる曲が求められるということです。上記の「神っぽいな」では、「踊れるやつちょうだいちょうだいビーム」という表現をしていました。

洋服も同じですよね。毎年流行があって大量に作られて大量に消費されます。私も、裏原ブーム世代なこともあって今までいろいろなお店に行って服を買っていました。実際に服飾の仕事にも長く携わっていました。そして現在は一周回ってベーシックなものでいいんだよねーという感じになっています。そんな中でも今でも半沢さんのところで買っているのは、そういう流行や消費のスピードに左右されない感があることが大きいです。昔とそう方向も変わりませんし、ブログで紹介される音楽からも自身のルーツを大事にしている感が伝わってきますし、何より「人間」を感じるからなのです。服がただの品物ではなく、半沢さんという人間が作っているという感じがあるからなのです。そういう意味でも、自分は今回のふでばこ漫画の頃から、そしてビンテージ猫ちゃんぬいぐるみを抱っこしていた頃から、本質は変わっていないんだな~と思います。最新よりも思い入れ重視なんですよね。それは人間を感じたいということであり、人間を消費することに抵抗があるんだと思います。ふでばこからはおばあちゃんを感じ、ぬいぐるみからは自分自身を感じ、インスタのキラキラ巨乳美女はみんな同じに見えて妻ちゃんからはオンリーワンを感じているのと一緒です。

さらに、この漫画をTwitterに載せたところ、別の友人から「わびさび」の漫画を思い出したというコメントをもらいました。この漫画です。

確かに、我々は元々わびさびという、ちょっと地味でぼろくなったくらいが良いという感覚を持っていたんですよね。ドーンと派手に六本木で巨乳美女とエロパーティーよりも、地味なお寺とか盆栽だったわけです。なんでも鑑定団みたいな感性だったわけです。でもそれが、お金持ちの国になるにつれて忘れてしまったのではないでしょうか。そのコメントをくれた友人は、以前ブログにも書いたスウェーデンのコミック作家の方です。

我々がうっかり忘れてしまっていたことを海外の人が思い出させてくれるなんて驚きですよね。そして実は今回の漫画は、彼がよくメールで見せてくれた古い物の写真からもインスピレーションを受けて描いたものだったんです。


世界最古の、石炭で動く砕氷船や…


彼自身も、コミック用の画材をこういうアンティークなトランクに入れているようです。机周りの雰囲気も合わせて、いい味が出てますよね~。

モーターヘッドのレミーです!70年代から40年以上活躍していました。北欧と言えばヘビーメタルですよね。実際、彼もメタルファンで、友達もメタルバンドをやったりしています。

最後に、最近よくSDGsって言葉を聞きますよね。でも「持続可能な開発目標」って意味がわかりづらいと思いませんか?「ごみの量を減らしましょう」とか「貧困を無くしましょう」とか「海の豊かさを守ろう」とか17項目もありますし…。でもこのブログを書いていて、本質にあるのは愛情豊かになりましょうということなんじゃないかなと気づいたんです。愛情というのは、アイラブユーという意味ではなく、私が筆箱からおばあちゃんを感じて使い続けたり、半沢さんの人間を感じる洋服を買うのがいいな~という、思い入れのような意味です。

例えば、物に愛情を持つようになればすぐに捨てたりしなくなってごみが減ります。物に愛情を持つということはそれに関連する人間に愛情を持つということです。すると遠く離れた人間にも、例えば恵まれない人のためにどうすればいいか想像できるようになります。人間は大きなくくりで言えば動物なので、人間に愛情を持てば動物や自然を守ろうという愛情も芽生えます。そしてそれらの愛情が、地球の人間も動物も環境もいい方向に導くよという「持続可能な開発目標」へつながるのではないでしょうか。

日本人はもともと八百万の神と言って周りの物をリスペクトする考えもありましたし、古くなってきても逆にそれがいいというわびさびも、そこから来た気がするんです。割と天然でSDGsマインドがあったぽいんですよね。しかし資本主義ブームにうっかり乗っちゃってお金持ちの国になったら、それを忘れてしまったんだと思います。でもそんな中でも「根性履き」なんて言って汚いジーパンを何年も履き続け、それがクールだという価値観もあったんです。いつかまた、「神っぽいな」の「神」が、本当のリスペクトの意味で使われるようになるといいですね。私も引き続き、使い古しのアイテムたちを愛用し続けます。(ジーパンはちゃんと洗うようになりました😇)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?