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広告会社のクリエイティブを辞めてAIの会社にマーケターとして入社した話

この10月に博報堂を辞めて、Preferred NetworksというAIの会社のマーケターになりました。
Preferred Networksはこんな会社。

これはいわゆる『退職エントリ』というやつなわけですが、これを機に古巣を叩こうという気も有名になってやろうという気もなく(嘘、ちょっとバズってほしい)、あまりにも多くの友人から「なんで辞めたの!?」と聞かれるので、せっかくだから整理しておこうかなと思ってタイピングをはじめました。

ご多分に漏れず長くなりそう感が満載なのですが、ちょっと学生時代から振り返らせてください。
「早く本論に入れよ!」って思われそうですが、様々なことがつながった感がありまして。。

忙しい人は目次からスキップ!

みなさんが読みやすいように(嘘、僕が書きやすいように)、箇条書きで書いていこうと思います。

高校時代

・愛知県の東海高校という男子校に入学
・当時は算数が得意で、理系に進むことは自分の中では「自明」であった
東海高校は全国でも有数の医学部進学率を誇るが、冷静に「他の人の血を見るの嫌だな。。」と思い工学部を志す
・中学のときのスクールカースト上位勢に憧れ、学祭の実行委員に入る
・しかしここは男子校
・ラブハプニングはその後も起こらない
・顧問の先生がかなり特殊で、「どうやったら人が動いてくれるか」という方法論をかなり叩き込んでくれた
・高2のときにメインで関わった学祭が近年稀に見る成功をする
・その打ち上げで「僕が教えていたことは学祭をうまくいかせるなんていうレベルの低いことじゃなく、『経営学の基礎』だったんですよ」という言葉を聞き、経営学がちょっと気になる
・一生懸命勉強して東京工業大学に合格

大学時代

・地元を離れ東京に上京
・意識高く入学するが、ご多分に漏れず一瞬でサボり始める
・テニスだけでも飲みだけでもない、ちょうど真ん中くらいのテニサーに入る
・2年生のときの学科振り分けで、もともと志望していた制御システム工学科に入る
・授業でロボコンをやることが特徴で、「いよいよ始まるぞ!」と思う
・授業ではじめてプログラミング(C言語)を習う
・自分が1-3の課題をやっているタイミングに学科の半分くらいの人が最後の課題(7-4)まで終わらせておりしっかりめに絶望する
・と同時にロボコンの授業が始まるが、かつての熱量はどこかへ行き、全く熱中することができない自分に気づく
・とりあえず単位を取り続ける
・3年後期の2回目のロボコンの授業で、改めて熱中できないことに気づく
・挙げ句、チームの他のメンバーとソリが合わないことにも気づく
・「研究室に入ったらなにか変わるのではないか!」と期待を抱くが、何も変わらないことに入って気づく
・しばらく迷いに迷って、大学院入学時に経営工学に変えることに決める
・先生になんとなく嫌な顔をされながらも、なんとか卒論を提出して卒業をキメる

大学院時代

・経営の勉強を始めるととにかく楽しくて、「ああ、ここだったのだな!」と思い始める
・インターンに応募しまくるがけっこう落ちる
・奇跡的に博報堂のインターンに通る
・当初はコンサルあたりに行きたいなーと思っていたが、博報堂のインターンに出席するうちに「こっちのが楽しいかも。。」と思い始める
・博報堂の内定をもらう
・なんとなく暇になり始め、あと1年なんかやろうかなーと思い始める
・当時から友人であった木下さんと一緒にapplimという学生イベントを始める
・それまで一度も学生団体などやったことなかったが、飛び込みに飛び込んでなんとかイベントを成功させる
・詳しくはこちら
・「自分が動いた分組織が動く」という感覚はなにものにも替え難く、素晴らしい経験だと感じる

・なんとか無事卒業

博報堂(1〜3年目)

・WEBやSNSを主戦場とする『インタラクティブ職』を志望しまくるも、イベントやキャンペーンを中心とする『プロモーション職』に配属される
・できたばかりの、部員3人の部に配属される
・崖から突き落とすスタイルで様々なことを経験させてもらう

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・隅田川に青い玉を10万個流すイベント『東京ホタル』ではSNSの中の人やオンライン中継などいろいろ経験させてもらうが、当日の夕方暴風雨が訪れて死にたい気持ちになる(いい思い出)
・所属していた部が1年で解散し、トレーナーと別の部になる
・その後2年所属することになる部で『自分で仕事を取ってくるしかない状況』に追い込まれ、必死に仕事を探す
・自分を売り歩くだけではしんどいと思い、公募の賞に出し続ける

博報堂(4〜6年目)

・野武士みたいな部署から安定的な部署に移り、後輩もでき、「これはこれでアリかも」と思い始める
・能力の伸び率が鈍化してきたと感じる
・アジアオセアニア方面の海外賞『Adfest』に会社の金で行かせてもらい(アザス!)、広告賞とは狙って取らねばならんものだと感じる
・とにかく海外賞が欲しくて、それらしい打席ではとにかくフルスイングを心がけるようになる
・その翌年、なんとか2つの仕事で賞をもらう

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・一方で、普通のクライアントワークでは大きな成果が残せてるとは言えず、どうしたもんかなと思い始める
・大先輩のもとでポップアップ店舗のしごとをやらせていただき、忙しさにかまけてコミットしきれていなかった自分に対して「お店は生き物なんだからもっとちゃんと考えたほうがいいと思うけど」とお叱りを受ける
・反省する

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・このときになってもまだ『インタラクティブ職』へのあこがれが捨てきれず、職種転向試験に出す
・試験の結果、まさかまさかの結果
・クリエイティブブティック『SIX』への異動を告げられる

SIX(6〜8年目)

・圧倒的猛者の集まりに異動してしまい、とにかく困惑する
・「おまえは真ん中を考える力がなさすぎる」と言われ凹む
・「おまえは解像度が低すぎる」と言われ凹む
・「これは企画になってない」と言われ凹む
・凹み続けつつも、いままでの自分に圧倒的に足りていなかった部分が浮き彫りになり、何を頑張るべきなのかが少しだけ分かり始める
・とにかく上げられ続けるハードルの中、必死で頑張り続ける
・成果はなかなか出ない

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・広告業界のU-30のワールドカップこと「ヤングカンヌ」の対象年齢から外れる
・2つ上の先輩が世界最高の広告賞『カンヌ』でゴールドを取り、震える
・この頃、facebookのカバー写真を「いつになったらバズるのかしらわたし」に変える

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・「どの山に登るか」と「どの程度登れるか」という2つの問題に対して、どちらにも回答できていない自分に凹み始める
・「テクノロジー×クリエイティブ」の山に登りたいと願うが、考えれば考えるほどこの山に登ることが難しいことを痛感する
・2年ほど並走させてもらっている案件を引いて見た時に、褒められるクリエイティブを出せずともグロースさせることに幸福を覚えられるという自分に気づく

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・本当に心中できる事業と出会えたならば、賞を取るとかおもしろいことするとかそういうのを置いておいても一生懸命働けるのではないかと思い始める
・そう思った時、実は広告会社ではない場所も相当楽しめるのではないかと思う

SIX(9年目:辞める直前)

・「もしかしたら自分は広告クリエイティブをやらなくてもいいかもな」と思い始める
・とりあえずLinkedInのプロフィールを更新してみる
・とりあえず英語の勉強を始めてみる
・久々に飲んだ古い友人に「久野ちゃんはあんま向いてないことやってるよね。30過ぎて向いてないことやってるのってどうなのよ?」と言われ胸が痛む
・成果が出る見通しが立っていない中、「Preferred Networksのマーケティングチームの立ち上げの案件があるんですが興味ありませんか?」とLinkedIn経由でエージェントから連絡が来る(2019.01.19)

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・いったん会ってみる
・いったん面接に行ってみる
・だんだんと「これはマジだぞ…?」と思い始める
・意外と面接がポンポンと進み始める
・かなり真剣に考え、「最先端のテクノロジーならば、マーケターとして心中できるかもしれない」と心を決め始める
・最終面接の直前、1ヶ月連絡連絡が途絶える(2019.04ごろ〜)
・メンタルがブレまくる
・一方、会社のお金でカンヌに行かせてもらえることになる
・メンタルがブレまくる
・1ヶ月越しに最終面接の連絡が来る
・SIXのオフィスが移転する
・SIXのオフィス移転パーティーが開催される(2019.06.06 創業6周年)
・その当日、内定が出る
・心は決まるも、移転おめでとうムードに声がかけられない時間が続く
・翌日、意を決して社長に声をかける
・小部屋に行き、転職することを告げる
・この瞬間、一生分の汗をかく
・社長は驚き、優しい顔になり、「SIXいづらかった?」と言われる
・さすがに泣きかける
・カンヌまで2週間なのでキャンセル料がかかってしまうことを震える声で謝る
・「え、行けばいいんじゃない?」という男前の回答を受け、カンヌに行かせてもらえることに決まる
・たいした成果が残せなかったにも関わらず、みんなに「ナイス判断だ!」と言ってもらえて心が震える日々を送る
・8年半勤めた博報堂 / SIXを退社する

その後

・「エンジニアだらけの会社に行って果たして大丈夫だろうか。。」と心配していたものの、相当おもしろいということに気づく
・また、なんとなく自分の想像していた「クリエイティブ×テクノロジー」の領域もやろうと思えばできるということにも気づく
・そしてまさかの、博報堂とも仕事をし始められることに気づく

・申請すれば副業OKであることをいいことに、副業プランナーを始める
・外界には意外と自分の能力にニーズがあることに気づき、博報堂に心の底から感謝する

所感

・はっきり言って「クリエイティブ向いてない」と思い続けた8年半だったが、そこをがんばったことによって得たものは本当にたくさんあったなと思う
・一方で、その中のルールをずっと見続けるのでなく、ちょっと外に目を向けてみるのも相当いいもんだなとも感じます

・スティーブ・ジョブズは"connecting the dots"といいましたが、本当にそのとおりだなと思います
・あのとき学祭実行委員をやっていなければ、
 あのとき東工大に行っていなければ、
 あのとき経営に鞍替えしていなければ、
 あのときapplimをはじめていなければ、
 あのとき仕事を探し歩く身にならなければ、
 あのときSIXに異動しなければ
・どれを欠いても今の状況が想像できないのはとても不思議なことです

・ここからが勝負だと思って、人類にとって素晴らしいものを作っていくぞと思う所存です


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