虚弱体質な子
2歳の頃、私は数日間ギャン泣き継続で高熱が出てたようです。
かかりつけの病院に受信させても原因不明で熱は下がらず泣き喚くばかり。
そんな日が続いた夜、両親は私を熊本日本赤十字社へ連れて行きました。
いろいろな検査をした結果…。
左の肺が肥大して心臓を押しつぶそうとしてる。このままでは左側の肺が爆発するかもしれないと言われたそうです。
手術するか否か両親は問われたそうです。
父は女の子だからと私の胸に切り傷を残したくない一心で定期検査を選びました。
私は毎年決められた月にレントゲンと心電図と肺活量の検査を長年に渡りしなければなりませんでした。
お次は保育園児時代です。
私はどうやら歩き方が周りから見てもとてもおかしかったようです。
常に片足はビッコ引いてチンバトッテチンバトッテしていました。
これも普通じゃないと思い両親は又しても日本赤十字にいきました。
医師たちが検査結果を見ました。
なんと熊本大学病院へ回されたのです。
そこで検査しました。
結果は若年性骨粗相症。
小学2年生の私の膝の骨に空洞が出来ていました。
1度目の手術は膝周辺の局部麻酔でトライしましたが痛くて痛くて泣きわめきました。
この時はもうとてつもなく痛かったです。
勿論失敗に終わりました。
そして後日全身麻酔をし処置は無事に終えれたのですが、膝を貫通する程の長くて大きい針を刺されるのはとても痛かったです。
小学生にはなってもそれは変わらず、
いつなんどき肺が爆発して死んでもおかしくないとの医者の見立でマラソンや徒競走は医師からの学校通達により禁止されていました。
この時はとても悲しかったです。
走らなくて羨ましい等言って来る子も沢山居ました。
同情されなくないのとマラソンや持久力したいのに「休めてていーよなー」の言葉にとても悩んだ時期でした。
大人になって体力も付いてきて定期検診診をサボるようになっていました。
高校生にもなると体力が付いて来たので肺はもう問題ないだろうと勝手に思ってました。
いよいよ私は大人になりました。
しかし驚いたのな産婦人科です
「貴方は国が指定する病院でしか産めない」
と言われました😱
肺が悪いのは事実なので国が指定するハイリスク妊婦指定受け入れ病院である日本赤十字に転入しました。
いよいよ生まれるぞーのめちゃくちゃ痛い陣痛が3日間続きました。
骨盤を大きなハンマーで打ち砕かれてるようでした。
それでも出てこないからもう肺が持たんとのことで緊急帝王切開に切り替えました。
それで産まれてくれたのがタクマです。
タクマが3歳の頃、わたしは運転中の居眠りで近所のブロック塀にそのままのスピードで突っ込んで鼻を真っ二つに割り、口からも血を出し肝臓を3つに引き裂きました😇
この時は主人とタクマは勿論私の両親や弟にも覚悟してくださいとの通達がありました。
成人男性二人分の輸血をして頂きました
オペ初めの1日目はとにかく出血を止める為の処置で身体割ったまま体内に大量のガーゼを入れて一晩放置。
2日目、出血が収まり始めたので3つに引き千切られた肝臓を縫い合わせて貰ったそうです
目覚めたのはオペから3日目、
私の腹に太い4本の管が刺さってました
手首には鉄で出来た点滴仕様で向こうが覗けるほどの鉄製の針なのかな、とにかく鉄の輪っかが手首にぶっ刺さってました
目が覚めて私が1番に口に出した台詞
「看護婦さん私が刺さっとる」
だったようです😂
主人はこの一連の話が好きでした
寝返りも何も出来なかったです
少し動くだけで痛い
検査の度に麻酔無しで肝臓に通している管を入れ替えする。
肉の間を進むあの透明の直径0.7mm程の丸いチューブは地獄のような痛みでした。
時間はかかりましたが無事に退院しましたよ
これから数年後、どうも生理痛が痛過ぎるって事で産婦人科を受診しました。
ムムムこれは非常に怪しいとの事で紹介されました浜の町を。
福岡の浜の町病院を紹介されまして見立て通り卵巣癌1歩手前でした😂
もう卵巣ごと取っぱらいましたよ
卵管もサービスで切ってもらいました。
いやぁー我ながらハードやったと思います。