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3話 男女を超えて

思えば、小さいころからLGBT+や異性装に触れる機会が多くあったように思います。

「ぼくのバラ色の人生」を映画館で観たのが9歳。
強烈な女装で野点(のだて)をするきむらとしろうじんじんさんと出会ったのが10歳。
お化粧をした男性と毎日同じ電車に乗っていた小学生時代(あの頃は、心の中で彼のことを「不思議ちゃん」と勝手に呼んでいた)。

大人になってからも、ブロードウェーで「Kinky Boots」を観たり、
グザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」を渋谷UPLINKで観たり、
マツコ・デラックスさんの毒舌と傾聴をうまく使い分けているあの感じに魅力を感じたり、
美輪明宏さんの名言bot(@_miwa_akihiro)に幾度となく励まされたり。

彼/彼女らはわたしにとっていつも魅力的。あいにく知り合いの中にLGBT+や異性装を趣味にする人はいないけれど、彼/彼女らと腰を据えて話せる関係になれたら、わたし自身も大きく深く変わるだろうな、と思います。

フィリピンのLGBT+事情

わたしが住むフィリピンでは、Bakla/バクラ(体は男、性自認は女)、Tomboy/トンボイ(体は女、性自認は男)の存在が目を引きます。

街中で見かけるBakla(バクラ)は、ぴちっとしたTシャツにスキニージーンズかショートパンツを履いて、からだのラインを際立たせる恰好をしていることが多い印象ですが、その骨格と声で「あ、Baklaだな」と気がつきます。
きゅっきゅっとお尻を振りながら歩く姿や、ねとっとした話し方は、彼女ら(彼ら)から見る「女性らしさ」の表れなのだなと思いますが、あの歩き方や話し方は、女性に近づいているというよりは、女性を超えている感じさえします。美容師やアーティストなどに多いと言われています。

一方、Tomboy(トンボイ)は、髪をベリーショートにして、だぼっとした服を着ていることが多い感じ。でも胸があるのはわかるし、その背の低さやつぶらな瞳で、「Tomboyかな?」と気づくことがあります。
落ち着いている人が多い印象で、彼ら(彼女ら)にニコッと微笑まれると普通にドキッとしちゃいます。フィリピンはすべてのビル、お店に警備員がいるほどの警備員大国ですが、Tomboyは警備員に多いように思います。

彼/彼女らは堂々と生きていて、フィリピンはLGBT+に大変寛容な国に見えます。

しかし、ふと頭をよぎる疑問。

「キリスト教国フィリピンで、なぜLGBT+が受け入れられるのか・・・?」

”RiseUpTogether”に参加

知り合いに誘われて、6月30日にフィリピン・Marikina市(靴産業が有名な市)で”RiseUpTogether”というイベントに参加しました。 

6月はプライド月間(Pride Month)。世界各地でLGBT+の権利や文化、コミュニティーへの支持を示す、さまざまなイベントが行われます。
ニューヨークで1969年6月に起きた「ストーンウォールの反乱」を記念して、1970年以降、各地でイベントが行われるようになったようです。

わたしが参加したイベントには1日で2万5000人が参加したらしく、東南アジア一を誇る規模のイベントになりました。ステージや模擬店が設置されたスポーツセンターを中心に、何時間にもわたって外周をパレード、その後は夜中まで歌ったり踊ったり。 "Happy Pride!"が合言葉。

Lady Gaga(バイセクシュアルであることを公言)の"Born This Way"、Sam Smith(ゲイであることを公言)の"Lay Me Down"、ミュージカル「RENT」(性的マイノリティも含め社会的マイノリティに焦点をあてた舞台)の"Seasons of Love"などが、彼/彼女らのソウルソングのようです。  

イベント当日挨拶をしたMarikina市長の言葉。
“Kung wala kayo, walang kulay ang mundo! Kung wala kayo, walang tunay na pag-ibig sa mundo!”
(あなたたちがいなければ、世界に色はないでしょう!あなたたちがいなければ、世界に真実の愛もないでしょう!)

フィリピン人に聞いてみた

このイベントがきっかけで、このテーマに一層の興味を持ちました。
さて、フィリピン人は自国のLGBT+事情についてどう思っているのか。

(フィリピンがLGBT+に寛容な理由)
・物心ついたときから社会にLGBT+の人が多く、違和感がない。
・フィリピン人と言えばホスピタリティ。外国人に対してと同様に、自分とセクシュアリティが違う人にもホスピタリティを発揮する。
・芸能界で活躍するLGBT+がいるから、隠す必要はないと思ってる。
※フィリピンのタモリさんと言われているVice Ganda(ヴァイス・ガンダ)や、かつての歌”姫”であるCharice Pempengco(現在はJake Zyrusという名前で活動)など。

(フィリピンのLGBT+の苦しみ)
・フィリピンでは、友だちにはカミングアウトできても、家族にはカミングアウトできない人が多い。
・家族がLGBT+を拒む理由は、宗教的な理由が主(聖書では同性愛を認めていないという解釈が一般的。)。
・また、フィリピンでは結婚すると男性の名字を引き継ぐので、特にBakla(体は男、性自認は女)の場合は、名字が途絶えてしまう点に家族は難色を示す。
・自分の友だちや見ず知らずの人がLGBT+であることは友好的に受け止めるのに、自分の家族だったら受け止められないというのは、本当の意味で寛容な国ではない。

何よりも家族を大切に想うフィリピンだからこそ、家族が一番の理解者であってほしいけれど、逆に、何よりも家族を大切に想うフィリピンだからこそ、自分の家族はLGBT+であってほしくないと願い、家族にカミングアウトするのはやめておこう、と思うのかもしれませんね。

彼/彼女らの魅力とは

わたしが彼/彼女らに魅力を感じる理由。
それはきっと、自分を客観視した上で、誰よりも自分のことを理解しているから。そして、真実の愛を知っているから。

実は人生で一度だけ、女性に対して「これはなんだろう?」という感情を抱いたことがあります。
これまで、何の疑問もなく男性を好きになってきたので、その感情に向き合うことはありませんでした。しかし、もし「自分も同性を好きになることだってある」という考え方が物心ついたときから備わっていれば、もしかすると、あの感情は「好き」という感情だったのかもしれません。
そういった感情を「自分の中で生まれるはずのない感情」と思い込み、向き合わずに終わるのか。それとも、向き合ってみるのか。

「これはなんだろう?」という感情は、今この瞬間も、世界のどこかで芽生えています。そして、それはあなたやあなたの家族にも起こるかもしれません。
彼/彼女らは、そういった意味で、自分をとことん理解しているし、自分の存在が社会でどう思われるのか客観視できている人が多いとわたしは考えていて、そこが魅力的に映るのだと思います。

そして彼/彼女らは、「大きな愛」を持っています。それは、性別を超えた大きさでもあり、恋愛を超えた大きさでもあり、きっと辛い思いもたくさんしてきてそれを乗り越えた大きさでもあり、辛いときに支えてくれる人に出会った経験から得れる大きさでもあり。そこも魅力を感じる理由なのだと思います。

マジョリティ、マイノリティ、L、G、B、T、と括るから特別な存在になってしまう。みんな同じ人間。相手が男性であろうが女性であろうが、「好き」と思える人に出会えること自体が素敵なこと、とシンプルに考えてみてはどうでしょう。

自分に誇りを持って、自分にとって大切な人を誇りに思って。そんな人生を送ることができれば最高なんじゃないか、と気づかされたnoteになりました。

最後にひとつ、豆知識。フィリピン語では、「彼/he」も「彼女/she」も性別関係なくsiya(シャ)と言います。なんだか、進んでる気がしますよね。

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