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『山月記』の李徴が虎になった理由と月に吠える意味(考察)

中島敦『山月記』で主人公の李徴(りちょう)が虎になってしまった理由の芸術的解釈というか考察記事です。

山月記とは(ざっくり説明)

『山月記』(さんげつき)とは日本の小説家「中島敦」による短編小説です。人間が虎になってしまう変身譚で、国語の教科書に載っていたので覚えている人も多いと思います。

舞台は中国で、頭が良くて才能もある李徴(りちょう)という男性が主人公です。李徴は若くしてお役人になるくらい優秀でしたが自尊心が高く、地位に満足せず退職して引きこもって詩人を目指します。役人になって働くより偉大な芸術家になって後世に名を残したかったんですね。

しかしその道は全然開けませんでした。もたもたしている間に自分より下手だと思っていた人たちに先を越され、なまじプライドが高かったので屈辱に耐えられず、とうとう発狂して家出してしまいます。

李徴が行方不明になってしばらくしたある日、旧友が山道を通りがかると虎が現れて自分は李徴だと名乗ります。李徴はいつの間にか虎になってしまっていて、虎としての生き方と人間の理性どちらも抱えて生きていました。しかし今では虎としての時間の方が長くなっており、いつ人間の記憶が消えてしまうかわかりません。

李徴はわずかな理性で旧友に人間だったときのことやどうしても遺したい詩を伝え、別れを告げて去っていきます。そして二度とその姿を見ることはありませんでした…というお話です。

※「山月記」は青空文庫で無料で読めます。https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

李徴が虎になった理由

この物語を読むと、李徴本人にも自分が虎になってしまった理由は完全にはわかっておらず、前半ではこう語られています。

何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ

そしてわからないなりに後半では李徴が思い当たるふしについて語っており、

「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」
「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕おとすのだ。」

などと自嘲しています。そのため、虎になった理由を「李徴がこういう人間だから虎になったのだ」と考察する人は多いです。

物語の中では、とうとう真実は明かされないまま終わってしまいます。彼が虎になったことは重要でも、虎である必要性までは書かれていません。虎になった本当の理由は推測するしかありませんし、物語なので明確な答えはないのかもしれません。

※よく「登場人物(もしくは作者)の気持ちを考えよ」というテスト問題がありますが想像上の人物に気持ちも何もないですし、作者はノリで書いてる可能性もあるので今思えばああいう設問はどうかしてるような気がします。

虎である必要があった

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さて、物語の中で彼は「一流っぽいけどなんか足りない詩」をダラダラと旧友にメモらせて最後は泣きながら草むらに消えてしまい、月に向かって咆哮してまた消えます。もとは人間だったことを考えると最後の最後までナルシスト気味ですし中二病っぽくもあります。

けれどこの「月に吠える虎」というのが重要で、彼はどんな理由で虎になったのかよりも物語として「最初から虎にならなければいけなかった」のではないでしょうか。

堕ちて獣になるのなら、野良犬でも猿でも熊でもよかったわけで、そこは「あとちょっとで一流」というところまで才能を磨き上げたその力があってこそ虎というカッコイイ生き物になったのかもしれませんが、それだけでは足りないんですよね。実際、虎になってまで遺した詩は旧友になにかが足りていないと見抜かれています。

ではなぜ虎なのかというと、もちろん野良犬や猿じゃかっこつかないからという創作上の理由もあるかと思いますが、

「月に吠える虎」という構図は芸術作品になりえるモチーフなんですよね。吠えてなくても「月と虎」で十分な素材ですし、絵画や刺繍でたくさんの作品が生み出されていると思います。

つまり李徴は「虎になったことでやっと一流の芸術になれた」のではないでしょうか。自分自身が芸術そのものになったのです。人間としての理性や生き方と引き換えに…。

発狂するほど芸術に焦がれた李徴の行く末として、悲しくも美しい結末ではないでしょうか。

この「李徴は最終的に一流の芸術になれた」という考えをもって山月記を読むと、ただぼんやりとした「虎になった上に報われなくてかわいそうな奴だな」みたいな印象から一歩先の別の見え方になるでしょう。実際に私もこの考えを受け入れてからは数十年経っても忘れられない作品となりました。

以上が山月記に対する私の考察です。これから山月記を読む方も、以前読んだことがある方も、こうした角度から見つめてみて新しい気づきや何か思うことがあれば幸いです。

やさしい世界