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サラリーマンという道を捨てたワケ


私は今年1月に退職し、13年のサラリーマン生活に終止符を打ちました。
延べ営業9年、事務職4年、広報3ヶ月それぞれ経験し、ワーママとしては4年間頑張った計算になります。

最終出勤日はその旨ツイート。沢山の方に労いや門出を祝うメッセージをいただきました。

しかしながら、辞めた理由は特に述べたことはなかったので、自分の頭の中の整理も兼ねて、この場で一度きちんと残したいと思います。


サラリーマン最終日

先に述べたとおり1月20日、退職日に以下のツイートをしました。


思えば怒涛の1年間でした。。。
〜怒涛の1年間 時系列〜
・2019年1月  キャリア支援をされてる方に会い転職やキャリアについて軽く相談
・2019年2月   のちに転職することになる会社の社長を囲む会に呼んでもらう
・2019年3月  のちに転職することになる会社の社長の「弊社で働きたい人いませんか」ツイートに反応→とんとん拍子に話が進む
・2019年6月   新卒で12年勤めた会社を退職→新しい会社へ転職
・2019年7月   息子が喘息・肺炎の疑いで1週間入院
・2019年8月   体外受精を試みるも撃沈
・2019年10月  広報
・2019年11月  自社主催セミナーの担当&産業カウンセラー養成講座スタート
・2020年1月   退職


2018年の年末から2019年1月にかけて少し転職を意識していたものの、相談した結果「この職場のままで出来ることややりたいことをしてみよう」という結論に至り、そのまま続けるつもりでいました。

しかしその後いろんな出会いがある中で、結果的に転職することに。
潜在意識では転職を望んでいたのかもしれません。


そして入社して約1ヶ月後、息子が咳の悪化により1週間の入院。実はその前の会社で産後復帰した際にもやはり7月に1週間入院しています。私の環境が変わったばかりの状況だと彼は入院するのかもしれません笑。
この時は、夜寝る際、主人がメインで息子に付き添ってくれました(日中は看護師さんや院内保育士に任せていた)。

その後広報なども経験する中で、かねてより関心の高かった産業カウンセラーを取得することにしました(取得理由は下記リンクより)。


理由その① やりたいことがあった

自分の経験から、一人孤独に悩む全ての人を、1対1のセッションもしくはカウンセリングにて、救いたいと思ったのでした。(以下自分の体験一覧)

・産後復帰したけれど上手くいかず困っているワーママの心の支えになりたい
・(主に母親)からのモラハラ等で心の傷がまだ癒えていない人に寄り添いたい
・摂食障害を患い苦しんでいる人に自分の体験を踏まえサポートしたい
・不妊治療で不安や孤独を抱える女性の気持ちを支えたい
・愛着障害を抱える人の心のケアや認知の歪みを一緒に治してあげたい


できれば対面でセッションやカウンセリングを行いたかったのですが、それが不可能な2つの理由がありました。

1つは、時間的に難しい(日中は自由に動けない(営業ではなかったため))こと。
2つ目は、土日は産業カウンセラーの養成講座があって動けない上、夫に息子を2日とも託すのは流石に申し訳ないこと。また、場合によっては自社セミナーが土日両方にかかることもあり、そうなると土日は完全に塞がってしまいました。

こういったことから、対面でお会いすることが難しいという結論に至ったワケです。


理由その② 息子のこと

上で述べましたが、息子は体があまり丈夫ではなく、転職してからもそうでしたがその前の職場の時もしょっちゅう熱を出す・感染症にかかる・熱性痙攣を起こすなどのトラブルに見舞われてきました。

転職した時は息子は3〜4歳でしたので、さすがにもう大丈夫だろうと思っていたけれど、そう思うようにはいきませんでした。

最初のうちは、私がまだ有休を付与されない(勤続半年以降に付与の決まり)主人が代わりに息子のお迎え要請に応えてくれたり有休で丸一日看護してくれたり、義理の父に頼んだり病児保育を利用していましたが、流石にそれも限界。夫は上司に理解があったのでよかったものの、繁忙期である年末に差し掛かると、自分が休むわけにはいかなくなりました。

そうなると私が休むということになりますが、転職してきてまだ日が浅い上、育児しながら働く女性の雇用は実績がなかった為、なかなか肩身の狭いの思いをしました。

会社の皆さんに迷惑を掛けることにも罪悪感があり辛いものでした。

こういった、息子の育児や風邪の際の対応におわれることも、サラリーマンの限界を感じる大きな要因となっていったのでした。


③サラリーマンが向いていないと感じた

これは、前々職の頃から感じていたことではあるけど、実務に向いていないことや、仕事内容それ自体よりも、人間関係などに気を使って疲弊してしまう(HSP?神経過敏なんです)ことから、社会不適合者なんだなぁとより確信を強めていきました。

転職して環境が変われば。。。と思っていたのですが、複数の人と長時間一緒に過ごすことや細かな規律やルールなどに段々息苦しさを覚え、その上に毎日の往復2時間の通勤、そしてフルタイム・週5勤務という労働スタイルが辛くなり、体力的な限界を感じました。前々職では、通勤は自宅すぐのバス停から通えた(朝は確実に座れる)ので、それと比較するから余計だったと思います。
さらに、営業でも思うように直帰ができなかったり、途中からは営業職ではなくなったことで、直帰が基本認められなくなってしまい、これも自由主義者の私にとっては大変苦痛なものとなりました。

正直に言えば、世の中の風潮的なものもありました。
フリーランスというスタイルに憧れたわけではありませんが、家事育児との両立を考えると、フルタイム正社員という働き方が難しいと感じました。しかもあと数年したら息子は小学校。小学校の方が親の負担が大きいという話はよく耳にしていたので、そちらの懸念もありました。


もう一つ、私の背中を押してくれたこととして大きかったのは、昔父に言われた一言でした。おそらく本人は特別な意味はなくノリで言っていたのだと思いますが、
『お前は人に雇われるようなタイプじゃないからなぁ』
という彼の言葉はずっと心に残っていました。(父は一応3代続く自営業の社長です)

自分でもおかしいくらいくだらない理由だと思いますが、親から言われたことって、良くも悪くも子供には印象強く残りますよね。



さいごに

ここまで理由を並べてきましたが、忘れちゃならないのは、家族の存在です。

退職当時の1月頃と、遡って11月からの数ヶ月間は、土日も予定があり(産業カウンセラー講座とセミナーの当日手伝いで終日)、平日もフルタイムで働き…という生活スタイルで、身も心もヘトヘトでした。

で、土日はもちろん保育園へ預けませんので、その分夫にしわ寄せが行っていたわけです。
平日夫もフルで働いているのに、土日の両方とも一人で息子の子守りという生活を続けることも、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、大変私を苦しめました。元々うちは理解のある夫ですが、その彼も流石に最後の方は疲労困憊してメンタルの余裕も欠落していたように思います。


自分自身改めて振り返ってみて、
社会人になって13年間…出産・育児もしながら突っ走ってきて、正直疲れたのもあります。

『どれ、ここらでちょいと、やすみますか』

こんな気持ちも正直ありました。何より夫が快諾してくたので、そこは本当に感謝感謝だと思います。

つらつらと書き連ねてきましたが、
とはいえ世の中の状況は刻一刻と変わりますし、私自身自分の中でも日々変化しています。
結果的に、またサラリーマン(雇われる生活)に戻る可能性はあります。

ですが、これまでのように安易に決めるのではなく、経験や失敗から学んだことをもとに、今後は自分の働き方・ひいては、生き方についてもっとよく吟味して選択していけるのではないかと思っています。


最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
今後とも、生暖かく見守って頂けると幸いです^^

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