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私が産業カウンセラーを取る理由《後編》

前編の続き。
産後育休明けに職場復帰した際の地獄の日々。「私の人生、もはやここまでか…!」八方塞がりでもう限界だったその時、遂に、遂に、光が射したのだ。


手探りで解決手段を見つける

前編でも語った通り、当時どうにかしたくて、同じ状況に陥っている仲間がほしくネットの中を探しまくったが見つからなかった。

そこでもう相談機関に頼るしかないと思い、とりあえず転職や人材サイトへ飛び、覗いてみた。
すぐに話を聞いてほしいと思っているのに、なにやら煩わしい前段階での登録作業やら入力やら手続きやら…
一般的な大手エージェントの利用の流れは、新規登録→担当者からメールが来て面談(カウンセリングなどの称されている場合もある)の日程を決める→面談までに諸々を入力して準備しておくよう指示のメールがくる(簡易履歴書や得意分野を選択するようなシートなどなど)
正直しゃらくさくて、やる気にならなかった。
その当時は気がつかなかったが、今思うと、私の求めているものと違ったのだ。
「そうじゃない」
そして何より
「え、すぐには面談できないの」と落胆した。

当時まだTwitterを使用していなかったので、使っていればまた変わったかも知れないが。


マザーズハローワークの存在を初めて知る

しかしながら諦めずに何とかしたいと思った。
その時浮かんだのがハローワーク。ここならすぐに話ができるかも、ということと、場所も会社から近かった(山手線で3、4駅となり)ため、外回りがてら、立ち寄ってみようと思いついたのだ。
因みに会社の中は人間関係などがほぼ崩壊していたので肩身が狭く、居心地の悪さMAX(しかも例の部長は目の前に座ってるし)なので会社から一刻も早く出たかつた。

電話を念のため入れたところ、すぐ面談できるということと、無料ということと、開館時間も長いということで私にはありがたい条件。


到着すると、名前の通り子持ち女性向けの施設なので内装や色使いなども優しく、赤ちゃんを遊ばせておけるスペースがあったりと、心が落ち着いて行ったのを覚えている。実際に赤ちゃんを連れて来館している女性が数人いた。
新規利用なので簡単な書類に記入をして、いざ、話せるときがきた。


産業カウンセラー保持者だった

たまたまKさんという60歳前後ほどの女性が対応してくれたが、彼女こそ、私を救ってくれたその人だ。
自身も若い頃は教育業界やセミナー業界などでキャリアウーマンとして秘書等をしながら活躍し、産後も共働きをした、まさにワーママ経験者。
経験者はやっぱり私の心に強く響いた。経験していないとどうしても分からない体感的な話ができない・共感できないから。

で、とにかくバーーーーーっと思いの丈を吐き出させてもらった。
私に非があるとも捉えられる内容でも、「うんうん」と聞いてくれ、とにかく彼女は「あなたは悪くないから!」を連発してくれた。これだよ、これが大きかったよ。
普通の人に話せば「え、それは自分がなんとかすべきだったんじゃない?」というような「べき」や「普通は」とか「常識だと」とか、そんな枠の中でしか聞いてくれないものだ。実際母にはそう言われてしまって余計傷が深くなったし。

ボロボロ泣いた。部長や私を不当な立場に追いやった人へ対する私のどす黒い感情もすべて受け止め、何なら共感してくれた。彼女の世代だと尚更、女性が働き続けることへ理解のないおじさんが多い中で働いていたから、それも多少あったのかもしれないが。

また、話をしたいけれど来館できない時は、どうしてもということで、取り急ぎ数分間電話で話を聞いてくれることもあった。


「無条件の受容」の重要さ

で結局、この「なんのジャッジもせずただただ無条件に受容して聞く=傾聴」が当時の私の出口のなかった苦しみから助けてくれたのだ。
当時は傾聴という言葉も産業カウンセラーという名称も知らなかった。
講座を受けているので、このワードを習った時、心の中で大きくうなづいた。「あーそうそう!これこれ!」と。


彼女のところへは当時5、6回通ったが、確か初回の最後のほうで思った事があって、それは「私も彼女のようなことをしたい」という気持ち。
純粋に、自分がどうしようもない気持ちを軽くしてくれたこの職業に憧れた。
自分が体験しているからこそ思えたことだ。そこに価値がある。

それを伝えると彼女は、産業カウンセラーと他にも確か資格を取っていたはずだが、ずっとこのワードは残っていた。同時に、こういった仕事はなかなか就く事がむずかしいことも教えてくれた。理由は、ビジネスとして成立が難しい仕事だから。無料で相談を受け付けるというのは、このハローワーク(国からお金が出ている)だから実現できるサービスだと。
彼女の話を聞いて一旦は私も諦めた。資格云々なんていう精神状態ではなかったし、まずは現状をどう打破するかを考えねばならなかったから。


「選択肢は他に沢山あるという安心」

当時彼女と相談して、「色々条件は現状の職場がベストだし勤続年数の長さが絶たれることはもったないけど、それよりも今はメンタルの保護が先」という結論になり、求人票を一緒に探した。
数件見つかり、私も「次の指針」を向ける事で気持ちがとっても楽になった。まだ動いてはいないけど、「世の中にはこんなに選択肢がたくさんあるのだ」ということ、「居るべき場所はいまのところが全てではないんだ」と思えたことの安堵感といったらもう言葉にできなかった。

当時2、3月だったので、退職届を用意して退職は3月末にして、並行して転職活動しちゃおっか!ってことになっていた。
そのつもりで私の気持ちは動いていたが、同時に「もしかして時期的に人事異動があるかも」という淡い期待もあった。4月が期首だったのだ。
なぜ期待したかというと、執行役員の一人に、「辛いから異動してほしい」旨を直談判していたからだ。この願いが通ったら、退職を踏みとどまってもいいと思った。


退職は免れた

そして蓋を開けてみると…やっぱり異動!
同じ会社ではあるし、毎日顔は合わせてしまうだろうけれど、とにかく別部署になったことは事実。
噂が広まったり後ろ指を刺されるのではという危惧はあったし、実際そのような雰囲気は感じ取ってしまったが、もうしょうがない。今度は気持ちを入れ替えてがんばりますの姿勢を見せるだけだという気持ちで仕事に取り組んだ。
しかも異動先は、産休前まで在籍していた部署。メンバーもほぼ変わらないし、その意味で「家に帰ってきた」ようなほっとするような気持ちもあった。



過去の自分がペルソナ

かくして私が産業カウンセラーを志したいと思った理由はこのような実体験を経て形成されたものだったのである。
「自分同様に右往左往しているワーママを救いたい」
シンプルに、そんな気持ちで。

もちろんワーママだけに絞らず多様な人に希望を与えられるような活動をしたいと思っている。
その一つが「ナチュラルコーチング」、「セッション」なのだ。

産業カウンセラーの講座も大詰めになってきた。
これからはもっともっと沢山の人の心の整理のお手伝いや、希望の光を探しているかつての自分のような人を一人でもおおく笑顔にすることを志して生きていきたいと思っている。


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