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私が産業カウンセラーを取る理由《前編》

(YouTubeご覧下さい  

https://youtube.com/channel/UCl6-XhI-rnFUaC4-s0MJc_g)

昨年11月から養成講座の受講が開始し、4月末で終了する予定の産業カウンセラー。
これはもちろん、「産業カウンセラーとして働きたいから」という想いがゼロと言ったら嘘になるが、私には特別な想いがあって。
それは2016年に遡る…


育休明け 有給休暇をMAX溶かす

私は2016年4月末、息子が0歳9ヶ月で会社へ復帰した。
その際、元々在籍していたところと異なる部署へ異動することになってしまった(どちらも営業部隊)。
理由は2つで、かつてその部署に新卒時配属されていて慣れているだろうということと、その部署でちょうど私と入れ替わりに産休者が出て人員補填の為だった。
経験している部署とはいえ、23〜26歳くらいの頃の話で、つまり10年近くブランクがある。なにより復帰時は勤務体制が時短勤務だったのと、息子が0歳で風邪の免疫がなく、これから風邪をもらったり熱を出すであろうというバッドタイミングだ。
後から聞いた話だと、お坊ちゃん育ちの社長が「彼女は経験者なので即戦力になるだろう」という無責任な言葉を放っていたらしいが、、、そんなわけないじゃん。
案の定、復帰してすぐの月初の会議中に保育園からの「お迎え要請」が。
しかも出社して1時間経つか経たないかくらいの10時頃だったな。

で、もちろんこんな事はその後も頻発するわけで。

まず最初にRSウイルス性の急性中耳炎にかかり、鼓膜を切開して膿をを出しもらい、その後高熱が出て、布団の上で初めての熱性痙攣を発生。その後も、鼻水が少しでも出始めるとすぐ耳に回ってしまい、中耳炎になるのでまた発熱。熱性痙攣は彼はかれこれ累計10回近く起こしている。

復帰初年度は1ヶ月に2、3回は熱を出していた。あり得ないよね…
結果的に1年間あったはずの20日間の有給はあっという間にゼロに。

何故なら、一度の発熱(風邪)で、次に登園できるまでに最低でも合計して丸2日は消費せざるを得ないから。初日(お迎えのあと病院へ)→翌日は流石に自宅看護→翌々日にやっと登園可能に。それも、医師から「もう熱もないし感染性もないから登園してもいいよ」という許可証を書いてもらわないと預けられない。しかも保育園は10時くらいまでに預けないと、預かってくれない。
そもそも病院開くのが9時だから、混んでたらアウトやんか!ムキー!!!ww(って当時心の中で叫んでた)

というわけで、乳児の頃は本当に病気の移し合いで、休む間がない。
他のママも会社へ行くことに必死だから完治してない・微熱があっても強引に預けてしまうから、他の子に移る。この繰り返し。地獄絵図。
もちろん、丈夫な子は丈夫だけど、初めての集団生活なのでまだまだ免疫がない乳児には無理もない。比較的女の子はやっぱり身体丈夫だった印象だな〜。


義母や義姉、夫に頼れない

息子のお迎えやお休みの対応は主に私。
何故なら夫は、上司に「お前の嫁は時短勤務だな、なら何かあれば嫁に行かせるのが道理だろ」と言って圧をかけられたし、義母や義父は普通に現役務めだし、義父はそもそも男性だから赤ちゃんの対応は無理(喋れるようになるまでは無理だと本人も言っていた)。義姉は住まいが少し離れているのと自分にも幼稚園の娘がいて頼みづらいということがあった。
私の両親は栃木なので無理w

じゃあ私が行くしかないやんけ!となり、結局被るのは私。会社から冷たい目でみられるのも私。
実際問題、完母で育てていたので、息子の対応は私がおこなうのがスムーズだったのは事実だが。

…部長が全く理解がなかったことが辛さの1番の根源だよ…泣


いわゆるパワハラ部長

元々、「社長の大学時代の先輩後輩の中だから入れた」その部長のことは私はよく思ってなかった。アラフィフ(バブル世代ど真ん中)で、大手デパートからリストラ→家業を継ぐも→廃業にしてしまう→からの中途入社 だったのだが、入ってすぐに部長の席が用意されている点も気に入らなかった。

(余談だがこの人、私を含め計六人もの女性の部下を退職に追い込んでいる。理由はそれぞれだが、まあ一言で言うと「パワハラ」。そして男尊女卑が強い。今回はこの点は掘り下げずに次へ進みます。)

しかも最初はニコニコヘラヘラいい人そうに見せかけて、裏の顔はすごく腹黒く、上にはヘコヘコ、自分より下だとみなした相手にはふんぞり返り、急に横暴な態度を見せるような人。
その掌の変わりようはまるでどこかで見たことのある漫画のように、180度人が変わったかのようで、ピュアな私にとってはある意味ショック・裏切られた・騙されたかのような感覚があった。
だって急に顔が怖くなって、顎が上がるんだもんw(威嚇してんのか?w)

尚且つ、仕事ができない。本当にできない。脳ミソまで筋肉&ゴルフや遊ぶ事しか考えてないので就業中ゴルフのメールを社内メールで送り続け執行役員に注意されたり、売上も悪い・部下に丸投げ・アイデアも出せない・得意先へ行くふりしてサボるなど…きりがないほど色々と酷かったのだが、「社長のアレだから…」ということで誰も注意できない。傍若無人とはこのことかと…。ww


ワーママに理解のない上司の元で

当時部署には私を入れて6人。妻が専業主婦&名門校へ通う息子2人持ちのボンボン育ちな(上記した)部長(20個くらい上)、同じく妻が専業&息子一人の課長(12個上)、同じく妻が専業&二人の子持ちのマネージャー(3つ上)、独身女性(3つ下)、新婚子なし男性(3つ下)という構成。

お分かりだろうか?部長を筆頭に、私以外は共働き家庭ゼロw
皆、奥さんは専業主婦。つまり私の日々の忙殺ぶりが全然理解できないようで、部長以外もまあまあ心無い言葉をかけたりしてきたものだ。
なにより悪の強い部長のこと。私はこてんぱんにいじめられた。

みんなの前で聞こえるような大きな声で「息子さんまた風邪?環境厳しいんじゃないの〜?!(薄ら笑い)」と言ったり、「どうして君の子供はそんなに身体が弱いんだ?!」と問い詰めたり。「しらねーよ!こっちが聞きたいわ!」と叫びたい気持ちを堪え、いつも自分一人で抱えていた。

そして悪夢は続いてしまう。7月には急患で運ばれた先の病院のベッドで熱性痙攣を長い時間起こしてしまい、てんかんなどを心配した医師に「このまま検査入院を」と言われてしまった。まさに泣きっ面に蜂。真っ先に頭に浮かんだのはあいつの顔(部長)。「あぁ、今度はなんて言われるだろう」「何て説明しよう」と、そればかり頭をぐるぐる…
そして1週間、私がつきっきりで入院に立ち会った。小さいベッドに息子と二人で寝るので、体を広げられず疲れが取れなくて毎晩辛かった。


仲間がほしかった

この頃だ。
実母に電話で愚痴っても「まあ、大変だろうけど部長さんも部長さんで大変なんじゃない?あんたが泣いててどうするの」と言われ、「説教するならもういいや」と距離を取るように。
そして人生で初めて、出口のない、解決の糸口のない暗くて長いトンネルをさまよう感じを味わった

「もうダメだ」「今度こそ私の人生終わった」と思った。
毎日帰りのバスでは涙を堪え、寝床では何か解決の糸口がないかとずっとネットサーフィンをして、たまに暗い動画とか見て余計マインドが落ち込んでいくという悪循環…。
当時私はとにかく仲間が欲しかったんだ。

同じ営業職(過去形でもOK)で、実家が遠くて頼れず、パワハラな性悪上司に苦しんでいる、そんな似た境遇のワーママを。

でもさ、居ないんだよねなかなか。マジで。
近所のママ友はなんかうまくやってそうだから悩みを言い出しにくいし、話したところで仲がそこまで深くないからイマイチだろうし、社内のワーママにはどこで話が漏れるか分からないので公言できなかった。
なのでネット上で、私の悩み解決になるようなブログを書いているワーママや情報がないかを毎日必死に探していたんだ。
(余談だがこの頃たまたま見つけた女性起業家の「小田桐あさぎ」さんをこの頃以来崇拝している。「ママなのにこんなに自分の好きなように・自由にキラキラ生きてる人が実在したんだ?!」ってゆう衝撃。ある意味希望の光だったんだよね、彼女が)

遂に突破口が

そんな踏んだり蹴ったりな毎日だったが、遂に長いトンネルの出口が見えた。
それは…

次回のお楽しみ。後半へ続く。

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