見出し画像

敬愛なるKANさん

皆様どうもです。

今朝、心をザワつかせるニュースが飛び込んできました。

KANさんがご逝去されたのです。

今年3月、病気を公表され治療に専念されながらもラジオ放送も時々され、Twitterにもちょくちょくつぶやいておられました。

10月には大好きなフランスへ奥様とご旅行されており、その時のお写真がぼかしであるとはいえ、とても痩せておられて…なんとなく、なんとなく覚悟はしていました。しかしながらKANさん自身が楽観していて下さいとおっしゃってたので復帰を望んでいましたが…

私の最後のKANさんは2022年12月10日のZeppOsakabaysideでのバンドライブツアーでした。このライブ中にコロナ感染され、一部は延期になったのですがこの日はなんとか開催されたものの、声の調子が良くなくとても心配でした。

KANさんとの出会いは中学2年生の頃、ラジオのDJをされていたのを聴いたのがきっかけ。いや、実際には間違ったんです。ミスチルの桜井さんと週交代でラジオされており、週を間違ってKANさんの週を聴いたのがきっかけなのです。その時のお話のおもしろさに惚れ込んだのです。なので皆様がご存知のあの名曲からではないのです。

当時、KANさんのファンな友達なんていなくて初めてのライブは母親に一緒に行ってもらいました。

そこからファンクラブに入り、文通などで友達ができ、オフ会とか集まりに参加してさらに輪も広がりました。

その頃は同じツアーなのに4回も5回も行っていました。熱烈でした。

ラジオ収録やライブの時、出口や新幹線の駅で出待ちもしました。

サインを貰った時、名前なに?って聞かれた時私の名前の漢字の説明が良く分からなくて「??」って目が合った時、目の青さに惹き付けられたことは今でも鮮明に覚えています。

KANさんがフランスへ移住される前にラジオ公開収録があった時は見に行ったし、行って欲しくなくてタクシーに乗り込むKANさんを追いかけて握手をしてもらいました。

2年弱の移住生活から帰国された直後のホールでの音楽イベントでは嬉しくて号泣しました。

家事や育児に追われ、ライブにもなかなか行けなくなった…今、やっと少しづつ時間がとれるようになってきた所だったのに…

しかしながら思うのです。

悲しい、信じられない、なんで?

その後にふと我に返るのです。

辛かったね、痛かったね、なにに対しても真面目で、妥協を許さないKANさん。

もうゆっくりしてもいいんですもの。

私に、できることはずっと作品を愛して、伝えて続けること。こんなに素晴らしいアーティストがいたってこと。

約28年、いや、これからも心に生き続けていると、そう思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?