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YUKA10代 〈シンガーへの夢〉


幼少期
元シンガーでピアノ講師の母、ジャズ好きの父の影響を受けて育つ。
自然にシンガーの道を目指すようになり、12歳で初めてオーディションを受ける。

13歳。両親が離婚。
母の実家東京へ引っ越す。
シンガーを目指しオーディションを数多く受け続ける。
13歳で「第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン決戦大会」に出場。優勝は井森美幸さん。
ホリプロの守屋浩氏よりスカウトを受けホリプロ養成所にて2年間レッスンを受ける。

その後、4つのオーディションの決戦大会に出場。
その中の一つ「アイ・シティヒロインオーディション」で東芝EMI特別賞を受賞。

校則の厳しい高校へ入学したため芸能活動は行わずレッスンの日々を送る。


初仕事は油壺マリンパーク「イルカアシカショー」のダンサー。14歳の夏

15歳
「ファッションエイド・ジャパン」というファッションショーに出演。

高校在学中はニューミュージックやシティーポップ、洋楽に傾倒。
次第にシンガーソングライターを目指すようになる。

高校卒業後、就職活動はせず都内のライブハウスで2年間活動を続ける。

バブル経済の中で、街中に流れる音楽はアナログとデジタルの融合。とてつもなくワクワクする世界観だった。
そんな中でアメリカンポップスやモータウン、R&B(50年代〜70年代)を2年間歌わせて頂き、とても充実していた。
1950年代から1970年代にかけてのアメリカの音楽はメロディーやコードが素晴らしく、音楽観が変化していく。
この頃、特に強く影響を受けたのは「ダイアナ・ロス」

しかし昼夜逆の生活が2年近く経ち、体力も気力も消耗してしまった。

ある日、とある店でグロリア・エステファンのライブ映像が流れていた。ラテンのノリで燦々と太陽の光を浴びるようなダンスミュージック。
大きな会場で流行の曲を歌い踊るグロリアの姿に刺激を受けた。

連日の歌唱で声帯にポリープが出来てしまったことをきっかけに、ライブハウス専属シンガーの活動を卒業させて頂いた。

様々な経験をさせて頂き、今でも感謝の気持ちが込み上げる。

3ヶ月休養し体力も声帯も回復。
母に勧められクラシックの声楽家(国立音大二期会 野村浩子先生)からレッスンを受け発声方法を改善。

その後、15歳の頃にお世話になった音楽事務所のS氏に相談したところ作家事務所を立ち上げられたとのことだった。
多くの作家が在籍するその事務所は東京の三田のMITスタジオと連携しており、一流のレコーディングスタジオで数多くのレコーディングの仕事をさせていただけるようになった。
S氏は私にとって音楽業界の架け橋となった大切な恩人である。

有名な作曲家から新人の作曲家までの様々な楽曲をレコード会社にプレゼンするために仮ボーカルを録音するアルバイトから始まった。
後藤次利さん、井上日徳さん、井上ヨシマサさん、鶴由雄さんなど、一流の作曲家の方々の楽曲を多数歌わせていただき流行歌が作られていく過程を学ぶ事ができた。

その後シンガーソングライターとしての目標に向かいさらに新しい挑戦をする事になる。

続きはまた^_^

いつもご観覧ありがとうございます。感謝いたします。YUKA