育ての父
この内容を文章にしているだけで、涙が溢れてくるのは何故だろう?申し訳ないからなのか?母親の裏切りや、苦悩を理解しているからなのか?それともただの同情?それは未だに私もわからないまま。
初めて会ったのは小学2年生の頃。鮮明に覚えてる。小学生ながら、ラブホテルとやらものを知っていた私は、母親にラブホテルに連れてこられたんか?と母親頭大丈夫か?と思いながら車から降りると、ラブホテルの隣にあるワンルームマンションの一室へ。そこには体の大きな母親よりも、年上であろう男性が。
映画が好きで、漫画が好きな人はいつのまにか、私のお父さんになっていた。というか、なってくれていた。小学生高学年の頃は、近所の同級生にも、新しいお父さん出来たんや。と野次られたりしたけれど、強気な私は、「だからなに?」の一点張りだった気が。
私が中高の間は、職を転々としていたお父さん。次第に母親も、愚痴をこぼすように。
私が専門学校に進学し、家をあけることが多くなり、家庭の会話も少なくなってきた頃、ついに母親はよく旅行に行くようになった。
お父さんとよく行っていた、映画館にも行くことはなくなり、お父さんは近所のTSUTAYAで借りたDVDをリビングで一人観ていた。そんなお父さんに、家で会えばわたしから声をかけていた。それは、わたし自身も、母親の心境の変化に気づいていたから?なのかもしれない。
いつのまにか、父親が福岡へ行く話がでてきた。当初、その話を母親も頷き、わたしも共に福岡で住もうかと。いう話もあったが、そんな話はとうになくなり、いつのまにか、母親の旅行は頻繁に行われていた。それは、旅行のレベルではなく、どこかに外泊している。明らかだった。
私が25歳のころ、ついに母親はお父さんとの離婚を決意した。正直、私は失望した。1度の人生、2回もよく離婚できるね?母親に単刀直入に切り込んだかも。
母親にとっても、勿論簡単に決意したことではないし、お父さんへの不満が募っていることも、同じ女子としては今になれば理解できる。
ただ、私としては、ここまで育ててくれた恩がある。人生1度きりの中、私という人間を一人前にしてくれた。感謝しかない。だから私はその恩を忘れずに、生きていきたい。たとえ、お父さんが拒んだとしても、私のお父さんに代わりはないから。
結婚式の予定も当分ないからね、こういう場で、ちゃんと共有しとかないとね。そんな今も、スマホを打ちながら、涙が止まらないけど。
ほんと、なんの涙なんやろう。
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