MRを辞めるのに2年かかった
綺麗な文章を書こうとしたり推敲を重ねるのは結構負担であり記事投稿への心のハードルが高くなってしまうので、徒然なるままにMRを辞めた理由や背景を書いていきたいと思います。
①製薬業界の将来に悲観
一般企業の場合は商品の値段はその企業が決められる一方で、社会保険料(=税金)がその支払いに関わってくる医療用医薬品は国(=厚生労働省)に値段が決められます。
MRは給与が高く、福利厚生も抜群に良い。家賃補助で家賃のほぼ全額が出されるケースも珍しくありません。
つまり高い薬をプロモーションするMRには高い経費がかかっており、薬価算出の根拠にその人件費・プロモーション費も乗っている。それを問題視している厚生労働省が薬価を下げ、MRの余剰人員を減らそうとするのも不思議ではありません。その分薬剤費にかかる税金が少なくて済むのですから。
自分たちの売り上げを国にコントロールされ、MR不要論が長年叫ばれる中、どうしても製薬業界の将来に明るさを感じられませんでした。
①MRの将来に悲観
私が働いていた当時は2年に1回薬価が変更され、ほとんどの場合は下がる。良くて横ばい。特許が切れたら薬価は半額近くまで下がってしまう。そのため特許期間の約10年は我々MRが売り上げを最大化し、研究開発費を回収するため『この薬を第一選択薬に』と医師にプロモーションをする。
他社の薬の方が適する患者さんもいるはずなのに、会社は自社製品こそ神の薬のような教育を従業員にしていました(笑)
また、当時効き目の高く、高価である抗生物質を寝たきりで意思疎通が取れない高齢者病院でたくさん使ってもらうよう説明会や情報提供をするように会社から指示されたときにも違和感を覚えていました。
まだ素直だった私は割り切ることや考え方を柔軟に持つことができず、会社の方針に不信感を抱きながら目の前の数字を追わなければいけない状況に疲弊していました。
③工夫はいらない、チャレンジできない
入社した当時は既に医療関係者向けの接待がコンプライアンス上してはいけないというルールがありました。お酒が飲めない私にはありがたい環境であったことは間違いありません。
コンプライアンスやルールは一度厳しくなると緩むことはないので、年々”できないこと”、”やってはいけないこと”、”言ってはいけないこと”項目がどんどん増えていきました。
例えば整形外科医から「〇〇という病気に、A社の〇〇薬と比べて、おたくの〇〇薬はどう違うの?」という誰もが抱く質問に対して『A社はこうでああで』と答えるのは誹謗中傷にあたるかもしれないので他社の薬について言及してはいけない。というルールができました。
自社の薬についても、あくまで会社からお墨付きを得られたエビデンスを持つ論文でないと医師に情報提供できません。
一症例やこの前の講演会で聞いた内容というのはエビデンスに乏しいため口にしてはならないのです。
でも、特に新薬については大規模研究やエビデンスが認められた論文が出るほどの研究も少なく、医師が聞きたいことに答えられないというジレンマが発生していました。
自分で調べたり勉強したり見つけてきたデータで医師に情報提供することは許されず、会社から降りてきた資料した使ってはいけないという現場のニーズに即さない構造が生まれていました。
オリジナリティを出せないなら自分がこの地域の担当である必要はないと考え始め、仕事に対するモチベーションが下がっていきました。
転職まで2年かかった
入社5年目の頃、現状が辛くなんとかそこから抜け出したいと思い転職サイトに登録したりエージェントと電話面談を行いましたが、初めての転職、環境を変えることに不安を感じひよってしまいました。
マイナスな理由で離職してもどの会社からも拾ってもらえない。まずは目の前の仕事をやり切ってから転職を考えよう!という気持ちに変わり、いったん転職活動からは遠のきました。
そして2019年1月、新しい抗インフルエンザウイルス薬の発売がきっかけで新しい問題に直面し、転職することを心に決めて動き始めました。