"似合う"を考える

似合うとはなんなのだろうか。
かなり抽象的で、個人によって認識に差がある表現だ。

職業柄、街行く人の服装に目が行きがちだが、自分に似合う服装をしている人の割合はどれくらいだろうと考えていると、およそ2割あればいい方だろうと思う。
それでは残りの8割近くは似合っていないのかというと、そういうわけでもない。
通勤通学のためのフォーマルな姿であったり、部活帰りのジャージ姿であったり、社会的属性に即した格好であることも多い。好みに関わらず、そういう決まりだからと制服化している面もある。
TPOを優先した服装というものも当然大事だ。

しかしその制服化したスーツでも似合っている人とそうでない人がいるのも確かだ。

"似合う"という言葉を言い換えれば、"らしい"とも言える。
これはさらに”キャラクターに即している”とも言えるだろう。
例えば新学期の中学一年生。初めて制服に袖を通し、シワや擦れ一つない生地で、成長を見込まれた少し大きめの制服は、初々しいが似合っていない。
しかし3年性にもなれば、体格も大きくなり、本人も学生生活にも慣れて新鮮さを感じておらず、毎日使い込まれた制服のくたり感や、全体から発せられる雰囲気がいかにも学生らしく見える。
これは、制服という慣れていなかったものに、心身ともに追いついたということである。社会人のスーツについても同じである。

いやいや長年社会人をやっていても、スーツが似合わない人もいるじゃないかと思うだろうが、これを先程の話に即せば、スーツに心が追いついていないからだと思う。より詳しく言えば、スーツの持つ社会的なイメージに、心身が追いついていない、伴っていないということだ。

似合う似合わないという判断は、常に他人から下されるものだ。
つまりは服を着る本人は、多くの場合服が自分に似合っているかを客観的になって判断しなければならない
その際に重要な物差しの一つになるのが、"イメージ"である。

例えばスーツのイメージはどうだろう。
世界基準にフォーマルな服装として認識されているスーツは、正装としても扱われる。
清潔感があり、礼儀正しく、信頼感がある。
(このイメージを利用して、多くの詐欺師や胡散臭い職業の多くはスーツを着るのだそうだ。見た目や言動からいかにも胡散臭いと思割れる詐欺師は、詐欺師としては3流だろう。)
そんな社会的なイメージのあるスーツが似合っている人とはどんな人だろうか。
髪は短く、綺麗にセットされていて、髭もなく姿勢も正しい。
綺麗に磨かれた革靴に、体型に合ったシワのないスーツ。電車でもマナーを守った立ち振る舞いであれば、俗にキマっている、スーツが似合う人だろう。
ところが寝癖がついたままだったり、無精髭が生えているとどうだろう。
姿勢も悪く、マナーも悪い。これではいくら高いスーツを着ていても似合っているとは言えない。
つまりはスーツのイメージに合っていないのである。

若者のような全身ストリートな服装をしたおじさん。
憧れのロックバンドのような姿をしたおとなしそうな青年。
大学デビューだと意気込んで、とりあえず髪だけ染めてみた大学生。
街中でも多く見かけるのではないだろうか?
その多くが似合っていない。らしくないからだ。
真新しい制服に身を包んだ新中学1年性のように、心も体もついてきていない。あるいは理想だけが先行し、自身を客観的に見れていない。

これを踏まえると"似合っていない"とは、服装の持つ社会的なイメージを捉えられず、客観性もないために、服とそれを着ている自分の擦り合わせができていない、チグハグな状態と言える。


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