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イヤな言葉を受け入れない。

こんばんは。まえゆかです。

今日は自分らしさにフォーカスするワークショップに参加して、すごく気付きが多かったのでその話を。とりとめもないかもしれないけど。

ワークショップの約4時間、本当に色んな話を聞いたし、色んな自分の話もして、全部をさらうことはできないけれど、今日出会えて良かったという言葉があった。

今もその言葉を噛みしめて、ちょっとあったかい気持ちになる。

イヤな言葉を受け入れなくていい

嫌だなと思うことは、たくさんある。
生きていく上で、全く傷つかないことなんて無理だとも思う。

大人になると、自分の悪いところを指摘してくれる人は貴重だから大切にするように、とも言われる。

でも、イヤな気持ちに鈍感になるのが正解なわけではない。

「あなたのそこがダメだよ」

と仮に指摘されたとして、それに対して本能的に「嫌だな」と思ったなら、受け入れなくていいと言われたのだ。

受け入れたいときは自然とやってくる。
嫌だと思ったその直感を大事にしていい。

"自分が悪い"の呪縛

当たり前のように聞こえるけれど、今までできなかったことだった。

指摘されたこと、ダメ出しされたこと、傷ついたこと。

全部、自分が悪いからだって思っていた。

私の出来が悪いから、私の容姿が悪いから、私の〇〇がダメだから…

だから、頑張らなきゃいけないって。

このままだと誰にも好かれないから、好かれるためにも頑張らないと。

もっと。
もっと。
もっと。

気付けば、どんどんと自分を苦しめていた。

頑張って報われたという経験はほとんどないのに。

ずっと未完成で、ずっと不完全で。

自分が駄目なんだって考えて、ずっと駄目な自分を否定し続けていた。

その結果が、うつだったのかもしれない。

嫌だと思っていい

悲しかった出来事を打ち明けたら、

「その時、なんて思ったの?」

と聞かれた。

「この人がそう言うなら、私が駄目なんだって思った。」

そう言って、吐き出した言葉と同時に涙が溢れ出た。

本当はすごくすごく傷ついていたのに、その傷つきに気づかないふりして、もっと自分を苦しめて、嫌な言葉を放った人の価値観を自分に採用してきた。

出来上がった自分はいつも不安定で。
とはいえ、本心の自分は否定され続けているからもっと嫌いで。

どうしたらいいんだろうって思ってた。

嫌だと思ったなら、受け入れなくていい。

そんな言葉を言われたのは、初めてだったのかもしれない。

褒め言葉に喜んでいい

これまでの人生でも、たくさんの褒め言葉をかけてもらっていたと思う。

仕事頑張っているね
可愛いね
素敵だね

たくさんの褒め言葉ももらってきたのに、ついついダメ出しの方を採用して、褒め言葉を聞き流していた。

全部、社交辞令ですね。
褒めても何も出ませんよ。

常に周囲を敵だと思っていたのかもしれない。

嫌だと思ったことを受け入れないのと同時に、嬉しいと思った褒め言葉は受け入れていいんだって。

嬉しい褒め言葉の方を自分に取り入れられたら、もっともっと楽になれたのかと気付いて、少しホッとした。

本当はたくさん傷ついて、本当はすごく嫌で、でもその評価を下す人達に評価されない自分をものすごく責めていた。

でも、そんな必要なかったんだ。

私が傷ついたことを、自分のことのように怒って、悲しんでくれる存在にすごく救われた。

そして、ちゃんと傷ついたことを認められたし、ちゃんとその人たちからの褒め言葉に喜べる自分がいた。

もうちょっと、自分の気持ちや自分の本心に、素直になったら、自分自身を苦しめる現象から楽になれるのかもしれない。


なんだかすごく大切なことに気づかせてくれた時間だった。

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