パラスポーツすごろくを中学生だった私に届けたかった
すっかりごぶさたしております。まえゆかです。
パラリンピックに向けて猛烈に働いて、終わってみたら落ち着くかなと思ったら、ちょっと燃え尽きつつも「パラリンピック期間中より忙しいって何かのバグ?」とバタバタしていたら気づけは10月半ば。
バタバタしていることの中の一つに、レギュラーで出演している渋谷のラジオ「渋谷の体育会」で2019年末からスタートしたパラスポーツすごろくのクラウドファンディングがある。
すごろくができた経緯は、クラファンサイトの本文に全力で書いたのでこちらを読んでいただきたいのですが、すでに多くの方にご支援いただいて、目標金額は達成。
クラファンは残り3日。
でも、私は今更ながらこのパラスポーツすごろくについてのnoteを書いている。
それはなんでかというと。
私自身もちょっと驚きながら、ひょんなことから気づいてしまったのだ。
スポーツを楽しみたいって思っていることに
気づいたというか、思い出したが近いかな。
ひょんなことをきっかけに思い出してみたら、色んな感情と現実に向き合って、クラファンをやりながら、このパラスポーツすごろくを中学生だった私に届けたかったなと思っていて。
久しぶりにnoteを書きたい気分になったので、少々長くなりますがお付き合いください。
突然痛み出した左手首
いきなりパラスポーツすごろくから話はそれますが、パラリンピックがいよいよ開幕するという8月中旬。
手首に違和感があった。動かすたびに痛みが走る。
「捻ったかな…?」
いや、在宅勤務の私に捻るような機会はない。
痛みは無視しながら、連日テレビでパラリンピックを観ながらバタバタと事務局業務をこなす。
選手の運動量が激しいのに対して、私はお尻と椅子がくっつくかと思うくらいにリビングの椅子に座り続け、パソコンに向かって業務をこなしていた。
9月になったら、いよいよ左手首が腫れだした。
日常生活にも困ってきたので、パラリンピックが終わったところで慌てて整形外科に向かった。
明らかに腫れているけれど、骨には異常はなく。
筋肉が炎症を起こしているのはエコーで確認。
でも、PCを使い過ぎているとはいえ腱鞘炎ではないとのこと。
原因が良くわからない。
診察で思い出すザラっとした感情
原因を探るため医師に色々質問される。
医師「君、左利き?」
私「いえ、右利きです。右手の力が弱いので左手はかなり使いますが」
医師「なんで、右手が弱いの?」
私「中学生の時の怪我が治ってなくて…リハビリは途中でやめてしまったので」
医師「なんでリハビリやめちゃったの?」
ザラっとした感情が沸き上がる。
ずっと考えないようにしていたのに、医師に聞かれたことをきっかけに私の頭の中で、当時の診察室で向き合った医師とのやりとりが再生された。
中2の冬。器械体操部だった私は、平均台で倒立をした時に手が滑って落下。右肩から首を強打して治療開始。骨は折れてないものの肩関節と首を痛め、2カ月治療しても痛みは取れず、満足に腕も動かない。
リハビリの効果がなくてイライラしながら診察で医師に詰め寄る。
「来月試合なのに、いつになったら部活できるんですか?!」
はぁっと面倒くさそうにため息をつかれる。
「君ね、オリンピック目指すわけじゃないでしょ? 部活は諦めて」
オリンピック…? 何を言ってるんだこの人は。
諦めてって、諦めてって、どうゆうこと・・・?
私が、オリンピックを目指す選手だったら、先生は治してくれたの?
私が下手だから諦めないといけないの?
無言で診察室を後にし、待合室にいる母に「部活、やめる。」とだけ伝えた。
逆上がりもできずに器械体操部に入部した私は、正直「ド」が付くほど下手だった。
それでも部活が好きだったのだ。
その時の私にとって、部活に戻れるかどうかが何よりも大事で。
部活に戻れないなら、リハビリをやる意味なんてない。
今思えば若気の至りなんだけど、当時の私には世界が終わるような絶望感だった。
封印されたスポーツを楽しむ気持ち
現在通院中の医師との会話に戻る。
医師「なるほどね。でも痛いままでしょ? 治したいと思わなかったの?」
私「動かさなければあんまり痛みはないので」
医師「でもスポーツやりたくならない?」
私「動かすこと自体に痛くなるかもって恐怖心があるので別に」
痛くなるのが嫌というのは本音ではない。
痛みだすのが怖いという気持ちはあるれけど、それよりも痛みと共に思い出す当時の医師の言葉を思い出すのが辛い。
このnoteを書きながらでも涙が目頭に溜まる。
今思えば、私は心の底からスポーツをやることを楽しんでいた時期だったんだと思う。
運動神経はものすごく悪かったけれど、誰と比べるでもなく、器械体操に取り組む時間を楽しんでいたのだ。
ただ単に、そこに戻りたかっただけだった。
でも、それをかなえてもらえなかったことで、私の心にはオリンピックを目指すレベルになければスポーツをやりたいと思ってはいけないんだと、楽しむ気持ちを心の深く深く奥まで沈めて鍵をかけてしまった。
切ない思いをするくらいなら、もう二度とスポーツをしたいって思いたくない。
そんな私は、高校野球部のマネージャーになって、それからもずっとスポーツの傍にはいる。
何度かジムに通ってみたりはしたものの、やっぱり痛みとスポーツをやることに向き合うことができなくって、結局ずっと「私はスポーツは観る専門」といい続ける結果になった。
パラスポーツが「スポーツはできる」と教えてくれたけれど
そんな私がパラスポーツに出会ったのは、25歳くらいの時のこと。
衝撃的だった。
怪我でスポーツを諦めた自分にとって、自分の怪我以上に状態の悪いのに、楽しむどころか世界で戦っているなんて…!!!!
一瞬で彼らの強さに心が奪われ、気づけば9年もこの世界に携わっていた。
怪我をしていても、障害があってもスポーツはできる。
工夫次第でいくらでも。
自分の逆境に果敢に立ち向かう選手に、何か少しでも貢献したい。
パラリンピックを目指さなくっても、スポーツをやりたいと思った人に機会を届けたい。
そう思って自分にできることを1つずつ積み上げていった結果、今のキャリアに繋がった。
でも、パラスポーツの仕事をしながらも「私はスポーツはしません」と言い張り続けていたのは、心のどこかで思っていたのだ。
「彼らはすごい人。私とは違う。」
って。
だからこそ憧れの気持ちをもって応援していた部分もあるんだと思う。
彼らはすごい。
だから私ができることで貢献したいと思ったけれど、パラリンピックや国際大会を観てパラアスリートに感動しても、「スポーツをやりたい」という気持ちが沸き上がることはなかった。
純粋なスポーツを楽しむ気持ちを思い出させてくれたのがパラスポーツすごろく
また話がそれるんだけど、「スポーツはやらない」といい続けていた私が、今年に入ってゴルフとヨガを始めた。
思い付き? 気まぐれ?
特に理由はないと思っていたのだけれど、改めて思うとパラスポーツすごろく制作がきっかけなのだ。
「私はスポーツを楽しみたい」
今までパラスポーツの傍にいても、全くその感情が湧かなかったのに急になぜ?
その気持ちを沸き上がらせてくれたのが、すごろくのマス目とカードを作るためにゲストのパラアスリートに聞いていたエピソードだった。
パラスポーツすごろく制作のために、収録にはパラアスリートにお越しいただいて、怪我をしてから世界で戦うまでの期間をどのように経たのかを順を追って聞いていく。
あわせて、すごろくのプレイ中に引いてアスリート力を上下させるアスリートカードのエピソードも聞いていく。
どんなことをしたらアスリート力が上がったか?
どんなことをしたらアスリート力が下がったか?
アスリート力というのはすごく抽象的なものだけど、それぞれのパラアスリートがイメージするアスリート力で答えてもらった。
出てきたエピソードはそれはそれはバリエーション豊かで。
豊か過ぎてどうしようってくらい(笑)
パーティーで飲み過ぎて転倒して怪我をするとか、上り坂見つけると誰が一番早く登り切れるか無性に勝負したくなるとか、試合観ながら居眠りしちゃうとか。
めちゃくちゃ尊い存在だと思っていたパラアスリートから、どんどんとクスッと笑えるエピソードが出てくる。
もちろん、アスリートとして彼らをより尊敬するエピソードもたくさん聞いた。
そのどちらもパラスポーツすごろくに盛り込んでいる。
尊敬する部分が出てくるほどに、クスッと笑える人間味あふれる選手の側面がより彼らを身近な存在にしてくれる。
気付けば、自分の中でアイドルのようにすごい存在になっていたパラアスリートがめちゃくちゃ身近な存在になった。
そして同時に気づいたのだ。
彼らは、楽しんでいたから乗り越えたんだって。
彼らの努力の中にはアッと驚くようなものもある。
強い気持ちでスポーツに向き合うエネルギーは私にはないものでもある。
でも、その強いエネルギーは1つのアクションで構成されているわけではなく、無数のアクションが集まって大きなエネルギーになっている。
その1つずつのアクションを見てみると「そうゆう考え方をしたら、私もできたかもしれない」と思うヒントがたくさんあるのだ。
その根幹に、スポーツを楽しむ気持ちがある。
もしも中学生の時の私が出会えていたら。
別の医者を探すとか、トレーナーを探すとか、「オリンピック目指してやる!」と本腰を入れてリハビリするとか。
考え方の方向転換ができたら、私はあのままスポーツを楽しむ気持ちを失わずに済んだのかもしれない。
彼らが身近になることで、私自身にも自然とスポーツを楽しみたい感情が湧きあがってきていた。
切ない思いをもう一度味わうんじゃなくって、今度は前向きに痛みにも向き合えるかもしれない。
無意識にそう思えたからこそ、私はゴルフやヨガをやっているんだと思う。
受け止め方が変われば、現実も変わる
もっと早く出会いたかったな、と少しだけ運命を呪いたくなる。
でも、パラアスリートの中には30代、40代から競技を始めた方もいて。
今からだっていくらでもできるってことも同時に教えてくれた。
ちょっとだけ大人になって出会えたことで、新たなスポーツに出会うことができた。
これはこれでいいかなって思ってる。
今からだって遅くはない。
別にスポーツじゃなくっても何でもいい。
何かを諦めようと思った時に、ちょっと考え方を変えたら、ちょっと見方を変えたら、受け止め方自体が変わるかもってことに気づいてもらえたら嬉しいなと思う。
別にパラアスリートが天才で、ものすごい人たちだからやってるんじゃなくって、私たちと同じようにダメな部分も笑える部分もあって、すごい身近なんだよってことを知ってもらたらなって思って。
私は一番このすごろくを中学生だった私に届けたい。
中学生の時の私にとって、目の前にあることが人生のすべてだったから。
その時に絶望感に向き合う術を知ってたらよかったなと思う。
でもそれは叶わないから。
多感な小中学生にパラスポーツすごろくを届けることで、何かに気づいてくれたら中学生の私も報われる気がする。
大人の私でさえも、出会えてよかったと思う。
34歳になって改めてスポーツの楽しさを思い出した私みたいに、気づきがきっとあると思うから。
逆に大人の方が、たくさんの挫折を味わっているから、気づきはもっとたくさんあるかもしれない。
こんなこと、左手首が痛み出すまで全く考えていなかったんだけど。
病院に行ったのは、日常生活にも困りだしたからだった。
ゴルフはもう半分くらい、諦めていた。
つくづく、スポーツをやることに縁がないなって思っていたと思う。
だからこそ、最初の診察ではゴルフのことは伝えてなかった。
また、中学生の時のザラっとした感情を味わうのが嫌だったから。
このまま何も言わずにそっと自分がゴルフを諦めればいいと思ったのだ。
この時の私は、まだスポーツを楽しみたいと本当は思っていることに気づいていない。
まだ鍵をかけたままだった。
でも、優しい笑みを浮かべた医師が口を開いた。
医師「スポーツやっていいんだよ。怖がらずに動かして。痛くなった時のために医者がいるんだから。安心して痛くなりなさい。治してあげるから。」
この先生は、治してくれるんだ。
諦めなくっていいんだ。
そう思ったら「実は、ゴルフをちょっとだけやっていて…」と自然と話していた。
医師「ゴルフね!今の体力だと全然でしょ(笑)ゴルフが上達するようにね、リハビリやっていきましょうね!」
先生は、私がスポーツを楽しめるように手を差し伸べてくれた。
今回は、楽しむために痛みに向き合えばいいんだ。
切ない気持ちは味わう必要がないとわかって、私はスポーツを楽しみたいって感情を封印していただけで本当は持っていたことに気づいた。
ゴルフを始めたのは、パラスポーツすごろくを通じて無意識にその感情に向き合っていたからだったと思う。
ただ、自覚していなかっただけで。
再び逃げようとしたときに、今度は目の前に現れた医師が私にもう一度楽しんでいいと教えてくれた。
なんだか大げさだけど、手首の痛みが消えたら、私の第2の人生が始まるような気がする。
今度はちゃんとリハビリに向き合えると思う。
そんな気持ちになったからこそ、このパラスポーツすごろくが一人でも多くの人に届いたらいいなと思ったのだ。
やってみたらきっとわかる。
騙されたと思って支援してみてください(笑)
パラアスリートの半生と自分の共通点、自分の相違点。
すごろくで人生をなぞることでたくさんの気づきがあると思う。
パラスポーツやパラアスリートの魅力って何だろうってずっと思っていたけれど、限界を突破する強い力だけじゃなくって、諦めていた気持ちにもう一度火をつけてくれるところにあるのかなって今は思ってる。
すごろくを通じて、そんなことに気づいてくれる人が一人でも増えたら嬉しいなと思ってます。
パラスポーツすごろくのクラファンは10月24日まで。
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