「おいしいね」と私に言えた七月七日はホットチョコレート記念日
最近、梅雨時ということもあり、体調も気分も優れないことが多い。
何より、"なんとなく生き辛い"という感覚が、低気圧とともに"かなり生き辛い"という感覚になる。
この感覚は完全に個人的なもの 。
似たように悩む人はたくさんいるだろうけど、同じ悩みは一つとしてないだろうし、私の中での悩みの大小はあっても、悩みというものは人と人の間で比べることはできないと思っている。
昨日、久しぶりに感情的になった。
とはいえ、誰かにわかってほしかったわけでもないし、この生き辛さを誰かと共有してハッピー!と言いたいわけでもなかった。
ただ、私の中ではそれなりに大きな問題で、私にとっては人生の目的を示すものでもあって、苦しみつつも向き合ってきたもの。
それなりに、大事にしてきた感情を、言葉のあやとは言え、「無駄な悩み」と言われたことに酷くショックを受けた。
世間一般的に見れば、幸福な家庭に生まれたし、それなりの給料で働くことはできている私は、世間一般的には【幸せ】なのかもしれない。
この状態で、生き辛さを感じることは確かに贅沢な悩みなのかもしれない。
とはいえ、苦しいものは苦しいし、辛いものは辛い。
最近思うのは、私の感じる"生き辛さ"というのは、誰かに与えられたというよりも、自分で作ってしまったものなのかもしれないということ。
いくらエジプトのピラミッドを作った奴隷は過酷だったと聞いたところで、私の悩みは減らない。
いくら逆境に向き合ったアスリートの話を聞いたって、「あの人が頑張ったなら私も頑張らなきゃ!」とは思えない。ただそのアスリートへのリスペクトが増すだけ。好きな人が増えることで人生は豊かになるけれど悩みの総量は全然減らない。
誰かの悩みに共感しても、似た人がいるんだなとちょっと勇気をもらうだけで、その人の行動をそっくりそのまま真似することもできないし、真似したところで100%解決するわけでもない。
誰かと自分を比べて自分の悩みを評価することはとうの昔に諦めていて、ただひたすらに自分と向き合ってなんとか昇華させようともがき苦しんでいるのが今の私なんだと思う。
かっこ悪いことなんて百も承知だけど、かっこ悪く見えるかどうかなんてそもそもどうでもいい。
私がこの課題とただ、戦っている。
一人相撲であることにも気付いているの。
ただただこの状態から抜け出すために、何とかしたいと思いつつも、「生きてるだけで丸儲け!」と思えるだけの経験を積めなかったからこそ、日々の苦しみがあると思ってる。
でも、その苦しみで同情を買いたいわけでもない。
わかってほしいなんて言ってないのに、理解できないなんてそれこそ余計なお世話。
私は、私と戦っているのだ。
何十冊も自己啓発本を読んで、何万回と「私は素敵です」とアファメーションしたって、納得感を得られなかったのは 、【私が】そう思っていないからだ。
生きてるだけで素敵なんです
と言われたって そんな実感を32年間で1度も抱いていないんだから、しょうがないじゃない。
それは、どんなに無駄だと非難されても、何の救いにもならない。
感情的になる私の肩をさする優しい手が周りにあった。
その手も存在もすごくありがたかった。
自分が自分を否定している中、自分を肯定してくれる存在があることは本当にありがたいと思う。
でも、私はその優しさをうまく受け止めることができない状態でもある。
そもそも、わかってほしいわけじゃない。同情されたいわけでもない。
ただ、自分が今の自分を許せない。
どうにか変えたくて、そのままで良いと言われても自分に納得感はないのだ。
そもそも、私は感情的になった時に優しくされた経験が圧倒的に少ない。
長いこと親友でいてくれるその子は、私がショックな出来事があると「私が代わりにぶっ飛ばしてくるわ」と言ってくれる存在だった。
真正面からの優しさは、今の私にはうまく受け止められない。
申し訳ないなとただ思うのだ。
本心ではその優しさに甘えたくても、甘えることを自分に許せない。
何よりもこの私を苦しめているのは、私自身の価値観に他ならない。
感情的になるきっかけの言葉と同時に温か過ぎる優しさを真正面に受けて気付いた夜だった。
私から生き辛さを取り除くのは、非難でも優しさでもない。
私自身しかいないのだ。
私は昔から、「こうあるべき」の価値観にかなり縛られて生きてきた。
学校は行くべきだし
成績は良くあるべきだし
校則は守るべきで
いい会社に入ってしかるべきであって
いい家庭を築くべきなのである
自分の持つこの価値観に当てはまらないからこそ、ただただ苦しいと思うのだ。
世間一般的に見てどうかなんて、全く関係ない。
ただただこの価値観に縛られて苦しい。
もうこんなに苦しくなるのは嫌だと思う。
だから私は、一つ一つ、その価値観を崩していくことが必要なんだと改めて思った。
一晩、苦しんで明かした今日。
ダイエット中だけど、立ち寄ったカフェで美味しそうなオーラを醸していた【ホットチョコレート】を注文した。
喉に絡み付く甘さはなく、ただ優しく包み込んでくれるような甘さだった。
ホッとした瞬間だった。
ダイエットをすると決めたのは私。
ホットチョコレートなんて飲んじゃダメと決めたのも私。
飲んで良いよと許可したのも私。
誰も怒らないし、何に対してもがっかりする必要なんてないんだ。
ほんのりとした甘さとオーガニックであることが罪悪感も軽減してくれて、私はようやく自分で自分を慰めることができた時間だった。
今の私には、友達の優しさももちろん大事だけれど、この生き辛さを乗り越えるには、私自身の価値観を変えない限り、甘える自分にまたがっかりしてしまうのだ。
今日のように、「落ち込んでるならホットチョコレートを飲んでいい」と自分に言える優しさが必要で。
【「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日】じゃないけれど【「おいしいね」と私に言えた七月七日はホットチョコレート記念日】なのだ。
奇しくもサラダ記念日と1日違いだった。
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