春の曠日
私が知っている言葉をどれだけ並べても、
自分が感じたことや想ったこと、受け取ったことを言葉にできない気がしている。
それでもどうにか言葉を絞り出して書き記しておきたくて、noteを開いて、綴ることにした。拙くても、日記のように、自分のために。
出会いは、ちょうど1年前ぐらいになるんだと思う。
何気なく再生された、曖昧に甘いのMV。
声が好きだと思った、
聴いていくうちに歌詞が刺さるようになった。
それはもう必然で当たり前のように他の曲も聴くようになった。
のちに与太話でさらに彼の書く歌詞で刺されることとなる。
実際に同じような体験をしたことがある
経験がある
っていうわけではないと思うんだけど、
そうなりたいという想いや恋愛をしている時の自分の気持ちに重なる部分があって、刺さったのかなぁと思う。
ライブで、目の前で、生で、歌を聴いたらどんな気持ちになるのかなぁ。
そんな気持ちで、チケットを手にしていた。
ライブ当日は、思っていたよりも寒くて。
日中はだいぶ暖かくなる日もあったので油断していた。
別に整理番号も真ん中ぐらいだし、近くで見れなくてもいいや。
そんな気持ちでゆっくりと会場へ向かう。
とここで、会場についてから整番毎に会場に入れるわけではないことを知る。笑
だいぶ後ろの方になって入る。
カップルで来られてる方もいれば、1人で来られている方も多く。
会話の内容から、きっと空海理さんのお友達なのかなっていう男性の方もいたなぁ。
なんて開始前の空気を存分に味わいながら、そこそこぎゅうぎゅうになったライブハウス内の後方に。
動画撮影いつでもオッケーってことだったのだけど、
動画にして誰かと共有するっていう気持ちよりも、自分の全神経使って歌を音を声を感じて、脳内にインプットしたい、今を感じたいと思ったので、それを優先した。
サブスクやインスタライブで聴いていた音源がリアルになった瞬間。
めっっちゃくちゃ良すぎて刺さりまくった。
MCで上京して失ったもの、得たもの、ワンマンでやるべき理由をゆっくりと丁寧に話す空海理さんのことを私は何も知ってはいないはずなのに、少し知れた気がして嬉しかった。
“ここにいるひと、目が優しいね。“と優しく愛おしそうに話す空海理さんに思わず涙腺緩んで、泣けてしまった。
ここにいる人みんな敵じゃなくて味方なんだよ、似たような価値観を持っていて、似たような人種なんだよ
って空海理さんからも、会場からも全力で伝わってくるライブだったなぁ
幸せな空間とはまさにこのことなんだろうなって。
数日前に、大好きだった隼ちゃん(sumikaのギターリスト)が亡くなったことを知ったあとだったからこそ、音楽に触れるのを少し躊躇っていたんだけど、
1曲、なんとなく隼ちゃんを彷彿させる曲があって、泣いてしまったこととか。
終わった後に来てよかったと、心から思えたこととか。
心に響いて、刺さって、なかなか抜けない。
帰りの電車の中で音楽も聴かずにぼーっと愛おしい人たちを思い浮かべたり、好きな人と共有したい何かを抱えながら、帰宅したライブでした。
そんなふうに心が満たされるライブに今後どれくらい出会えるのだろうか。そうないだろうな。なんて思った。
そう思って、この気持ちはちゃんと形にしておきたい。
ってなって、もう丸3ヶ月半も経ってしまったなぁ。(我ながらやってんなぁ。笑)
3ヶ月半経っても、こう思えている、そうやって思い出すぐらいには鮮明で。とっても濃密なライブでした。
ライブに行こう、行きたいって思うタイミングもあると思うんだけど、
巡り合わせみたいなものを感じるライブはいつまで経っても印象に残るもので。
今出会うべくして出会ったんだろうな、タイミングが合ったからこそものすごい刺さるんだろうな、響くんだろうな。
自分の置かれている環境や心境によっても感じ方が変わってくると思っているので、あのタイミングであの場所にいられてよかった。
空海理さんを知って、ライブに行きたいと思ったタイミングでライブをやってくれてチケットを取ることができて、紛れもない僥倖だなって。
きっとずっと忘れられない1日になるなって確信した帰り道でした。
きっと1人のことを思ってひとりの人に向けて刺した曲だと思うんだけど
何度だってこの歌詞を聴くたびに、“私もそうありたい“と思うんだよね。
きっとライブで聞ける日は来ないんだろうなって思っているけれど、
私の中での人生の指針となるような、大事な曲。
この感性をこれからも大切にしていきたいな。
話は逸れてしまったけれど、
そんな風に思えて、あったかい気持ちになったライブでした。
“春の曠日“
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