半生を面白おかしく紹介①


初めまして美容サイコパスゆかです。
瀬戸内海の温暖な気候に育まれ心身ともに穏やかに過ごしております。
どうして美容サイコパスになったか半生を綴りました。ご興味ある方はぜひご覧下さい。


①生い立ち 美容への目覚め
②ジェンダー自覚と容姿コンプレックス
③大学入学、そして女性性の受容
④女性onlyの職場に入社!
⑤激務による4回の入院
⑥仕事量調整と気分障害発症
⑦沼食ルーティン化と茶道との出会い



①生い立ち、美容への目覚め

瀬戸内海の穏やかな自然に恵まれ何不自由なく過ごしました。ラブラブ両親と堅実で強く賢く美しい姉。私は早産で1800kgで生まれたので、姉やほかの同級生に比べるとやや虚弱。走れば喘息泳げばアトピーでしたが10歳超えたあたりから症状は軽くなり、成人後は全く症状がでません。ありがたや。

少し特殊な境遇の祖父がおりました。大正15年アメリカ🇺🇸サクラメント生まれ。15歳時に帰国し日本国籍を取得。大東亜戦争を日本人として参戦。シベリア出兵の陸軍少佐。シベリアでの捕虜生活を経験し、日本刀とロシア語辞典物々交換することでロシア語を習得しロシア兵に囲碁や将棋教えることで優遇され生き残ったそうです。その時将棋で「チェスと異なり、捕虜にした駒を自分の陣営で使うとはなんと卑劣なお国柄よの!」と批判されたそうです。「我が国では捕虜も自国民と同等に扱う。それを卑劣と何事か。」と言い返したそうです。日露戦争での捕虜の扱いについて熱弁したそうです。松山の捕虜施設で温泉浸かりながら♨️養生してやんですよ。ロシアの捕虜さんたち。広島の原爆の日、捕虜搬送先であった呉からキノコ雲を見たそうです。

シベリアでは囲碁や将棋を教える見返りに社会主義について教わったそうです。終戦後、社会主義を広めんがために選挙に出馬するも大大大大惨敗。あっさり資本主義の波に乗り換え、ゼネコン入社。社長にまで上り詰め定年まで一生懸命働いたそうです。私が生まれたのがちょうど祖父が定年した頃だったので、私は祖父によく遊んでもらいました。マナーに厳しく、箸の持ち方やフランス式英国式テーブルマナーを叩き込まれ、ティーカップの持ち方やお茶の啜り方、カップの置き方、車の乗り降りの仕方などそれはもう厳しく躾られました。姉には囲碁や将棋、社会主義と資本主義、珠算とロシア語教えていました。やはり元少佐だけあって、適材適所がわかっていたのでしょうかね。

祖父の口癖は「日本は弱いから負けた。これからはゆかサイコパスや姉サイコパスが強い日本を作っていかにゃあいけんのんよ」
祖父の血統的ルーツは不明です。当時の日本人にしては大柄の178cmでグレーがかった瞳に大きな鷲鼻。岡田真澄似でけっこうイケメンでした。私が9歳の時認知症を患い施設に入院。18歳のときに逝去。長い闘病生活でしたが、やっぱり最後まで「強い日本を作れ」と言っていました。虚弱の私には荷が重いですができることからしていこうと思います。そんな祖父と努力家の父、献身的な母のおかげでなに不自由なく生活できました。


3歳〜始めたピアノ。ガラスの仮面の月影先生のようなピアノ教室に通い、今の常識では考えられないようなスパルタ指導を受け、見事に音楽嫌いになりました。ピアノあるあるですが鍵盤の上に生卵持って来られて、これを握って弾きなさい!もちろん割ることは許されません。スタンウェイの高級ピアノ。割ったら大惨事なのは3歳でも分かります。あと普通に鞭で叩かれたりしました。バイオリンは11歳までピアノは18歳まで続けました。バイオリンはアメリカ人の先生で日本語通じなかったけど陽気で楽しかったです。某米軍基地の中に週1回習いに行ってました。ハロウィンやクリスマスのパーティーに招待されてアメリカ人の気合いの入れ方の本気さに度肝を抜かれる体験をしました。軍人さんの奥さんが日本人相手に英会話教えたり、音楽教えたりは普通にあって、私の同級生も基地の中に英会話教わりに行っている人が何人かいました。

15歳冬。高校受験を控えた中学3年生。
近所の公立進学校は制服がダサいという理由で受験せず
遠方の制服デザイン性高い偏差値低めの公立高校に行くと決めていたので受験勉強なんて全くしませんでした。そんな中私は部活(剣道してました)もなく皆が受験勉強勤しむ時間を全て読書に充てるというとんでも贅沢時間を貪っておりました。
そこで出会った本「美容塾」浅野裕子著。内容を要約すると「美容に手間をかけることを惜しんではなりませんよ」。

15歳冬から春にかけ、母にせがんで10代向けの化粧水を買ってもらい、丁寧使うとニキビがなくなり、肌が綺麗になりました。日焼け止めも毎日塗るようになり、スキンケアに注力しておりました。当時人気がうなぎ登りだったIKKOさんや華道家の假屋崎省吾さんに憧れていました。

さて、ここまでの文章だけ読むと
私が男なのか女なのか
どちらとも取れますよね。
私は長いこと自分が男なのか女なのか考えることができず、自らの女性性を受け入れることができませんでした。なんとなく女と言われたので女の人が普通にしているようなことを真似して女の人っぽく振舞っている状態でした。

そして中村うさぎ著の本を読み、綺麗な女性は優遇されるという残酷な事実を発見。タイトル忘れました。内容をざっくり言うと、女が活躍できるようにと社会を変えるよりも、自分が社会に大切にされるような存在に変わったほうがお得である、という内容。2章のジェンダー受容にも関連していきます。

女という性別で受肉した以上
女性性を高めて美しくなろうとうっすら決意した15歳の春でした。


②につづく


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